らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

感謝

2009年03月22日 18時05分55秒 | 親父考
今、親父の恩師のブログを見て、思わず書きます。

親父の今日のブログの写真の小学校の5・6年の恩師です。

親父が、今、見知らぬ大分で飯を食い、生きているのは

国立の小学校という高等な教育はもちろんですが、

58歳の若さで逝った、仏さんと呼ばれていた父、山の中の田舎育ちだったが、

近所から信頼され、教育熱心だった母、この両親のお陰です。

金持ちでもなかった家の子が、国立の小学校に入れていただき

色々な子供と会い、何とか卒業しました。

両親は、大変やったやろな と思います。

親父が両親にいつも、言われていたのは「感謝」という言葉です。

51年間、好き勝手に生きてきましたが、他人への感謝だけは忘れていません。

ただ、その逆を生きてきた人が許せない と、思ってしまいます。

「我が・我が」という人が許せないので、親父から離れます。

その為、金儲けもへたやし、これからもあかんでしょう。

けど、それが親父の人生やから、しょうがないです。

親父のお父ちゃんに教えてもろた通りにやっています。

まぁ、近いうちにお父ちゃんに会いに行くと思うのでよろしく。


【恩師のブログ】
http://kokugo.sblo.jp/

和服でした

2009年03月22日 10時35分11秒 | 親父の人生・思い出
京都も桜の開花宣言が、出たみたいです。

滋賀も間もなくでしょう。


写真は親父が卒業した小学校です。

入学したのは、大津駅の前、東浦の校舎で最後の児童です。

親父の頃は、入学式の頃が桜が満開で

桜の前で、母と写真を撮ったのを覚えています。

その頃のお母さんたちは、ほとんど和服でした。

親父の母も、朝から着付けをし、張り切っていたものです。

国立の学校でしたから、他のお母さんも気合が入っていたでしょう。

勿論、卒業式も中学の入学式も和服だったと思います。

桜には日本の心の和服が、一番合うと、親父は思います。

親父の子供の頃、親父の家は学校では貧乏な方だったと思います。

医者の子供とかが多い学校でしたから、派手でした。

ただ、親父の母も着物だけは、よく買っていました。

時代が変わったのか、入学シーズンでも和服のお母さんはあまり見ません。

やっぱり、子供の節目節目は日本の心、和服が良いと親父は思います。

何十万もするブランドバッグを持つよりも、着物のほうが良いと思います。


4月になったら、ランドセルが大きい

初々しい小学校1年生を見るのが、親父の春の楽しみです。