らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

あさま山荘事件から40年

2012年02月19日 19時16分18秒 | 親父の人生・思い出



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『あさま山荘事件』て言うても、もう知らん人の方が多いかもな。

今日で事件発生から40年なんです。


覚えている人でも、連合赤軍とか河合楽器の保養所とかテレビ放送がずっとあったとか

カップヌードルが事件で有名になって売れたとか、記憶は色々やと思う。

親父、思うんやけどこの事件、まだ解決してへんのやろ。

それやのに今日、何のニュースにも取り上げられんかった。


犯人は5人やった。

その中で唯一人「坂東國男氏」だけは未だ国際手配中や。

親父が犯罪者に氏を付けるのは、四列目の男(菅)・弁当係(仙谷)よりも真剣にこの国の事を考えていたと思うから。

それと、故郷の先輩やし、製麺屋のバイトをしてる時配達してたからな。




今でも石山駅の前には『ばんと旅館』はあるんやわ。

石山駅前も変わって、モナコ・クィーンのパチンコ屋はない。

京阪の駅も変わって、宮角食堂も無くなった。

近代的な建物の間に坂東國男氏の実家が昔のまんまの姿である。

今でこそひっそりとした営業してない宿やけど、事件までは店もお客さんがいた。

当時はうどん屋言うか大衆食堂を一階ではやってたしね。

石山駅は近所に東レとかNECとか工場があったから結構賑やかやったんやわ。

親父も製麺・製氷でバイトしてたから、朝からはうどんの配達、夕方は飲み屋の氷の配達で忙しかったわ。

坂東旅館(正式にはばんど旅館)にも、事件後もうどんの配達に行ってたけど、オバちゃんとかだけやった。

坂東國男氏の親父さんは事件で自殺したしな。

今でも覚えているのは、店が暗かったんとオバちゃん(坂東國男氏の母親)の化粧が濃かったことやわ。


あれから40年、オバちゃんは生きているのか死んでいるのか知らん。

町も変わり、パチンコ屋も無く京阪グリルも純喫茶ACBも力餅のうどん屋も無い。

40年前のままは、ばんど旅館だけや。


親父、思う。

この街は坂東國男氏の帰るのを待ってへんけど、母親は家は坂東國男氏の子供の頃のままの姿で待ってるんやとね。

それと、あの時代は大学生・高校生が良も悪しきも真剣に国の事を考えてたいう事やろね。


今年も親父は石山にも帰ると思う。

坂東國男氏も65歳、帰ることは無理やと思うけど、待ってる家がある。


【やっこ食堂も無くなったけど、石山に大倉たこ焼き店はまだある。】


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