かもめ見聞録

奇跡の炎上大王バーンをなま暖かく見守っていた、千葉ロッテ応援日記。

日本ハムファイターズ1軍投手コーチ

2012-11-17 00:00:01 | 千葉ロッテ
「ジョニー」黒木氏、日本ハム投手コーチ!佑再生まかせた! 【スポーツ報知】



日本ハムが投手コーチとして招へいする黒木知宏氏

 日本ハムが、来季の1軍投手コーチとして元ロッテ投手の黒木知宏氏(38)=野球評論家=を招へいすることが15日、分かった。現役時代は「ジョニー」の愛称で親しまれ、絶対エースとして君臨。斎藤佑樹投手(24)も中学時代からあこがれる存在で、佑ちゃん再生に期待がかかる。また、外野守備走塁コーチとして元西武外野手の大塚光二氏(45)=野球評論家=の入閣も濃厚となった。

 魂の男が北海道にやって来る。「ジョニー」の愛称で知られる黒木氏は現役時代、ロッテのエースとして97年から5年連続2ケタ勝利。98年には最多勝(13勝)に輝くなど通算76勝を挙げた。その実績とマウンドに雄たけびを響かせる熱血漢ぶりが、カリスマ的人気を誇った。

 だが、2001年以降は右肩痛に悩まされ、登板数が激減。07年、燃え尽きるように現役を引退した。以降は野球評論家として活躍。栄光と挫折を知り尽くすだけに、今季リーグ2位のチーム防御率2・89を誇った投手陣にとっても良き教材となる。

 指導者を務めるのは初めてだが、今季、監督1年目だった栗山英樹監督(51)がリーグ制覇を果たした。球団では当初、元横浜(現DeNA)監督の牛島和彦氏(51)を候補としてリストアップしていたが、来季も若さあふれる未知の手腕に望みを託す声が大きくなり、黒木氏の抜てきに至った。

 来季が勝負の3年目となる斎藤にとっても、心強い存在だ。中学時代には、背番号54入りのタオルで汗をぬぐっていたという黒木フリーク。入団1年目の昨年2月2日には、キャンプ初ブルペンを視察に訪れた黒木氏と対面。「自分の憧れなんで、会えて良かった」と胸を躍らせた。黒木氏が佑ちゃん再生の鍵を握ることになる。

 また、外野守備走塁部門で大塚氏=写真=の加入も決定的となった。90年から01年の現役時代は西武一筋でプレー。98年の横浜との日本シリーズでは、当時シリーズ新記録の6打席連続安打を達成するなど抜群の勝負強さを見せた。引退後は野球評論家として軽妙な語り口も好評で、選手の兄貴分としても、頼れる存在となりそうだ。

 来季2年目を迎える栗山監督は、黒木氏、大塚氏と熱血かつフレッシュな顔ぶれを加え、日本一に突き進む。

 ◆黒木 知宏(くろき・ともひろ)1973年12月13日、宮崎・日向市生まれ。38歳。延岡学園高から新王子製紙春日井を経て94年ドラフト2位でロッテ入団。97年から5年連続2ケタ勝利。98年に13勝9敗で最多勝と最高勝率のタイトルを獲得。07年引退。通算199登板で76勝68敗1セーブ、防御率3・43。178センチ、84キロ。右投右打。

 ◆熱血ジョニーメモ
 ▽悲劇 1998年7月7日、ロッテが16連敗中で迎えたオリックス戦(グリーンスタジアム神戸)に先発。3―1とリードした9回2死一塁、プリアムに同点2ランを浴びた。マウンドでうずくまり、悔し涙で交代。チームも延長12回、サヨナラ満塁本塁打で敗れた。
 ▽復活 2004年6月2日のダイエー戦(北九州)で、右肩痛を乗り越え、1061日ぶりの白星。その後に右肘を故障したが、05年8月28日のオリックス戦(千葉マリン)で452日ぶりの勝利をつかみ、チームのプレーオフ進出を決めた。
 ▽ジョニー スコッチウイスキーの「ジョニーウォーカー」にちなむなど、由来は諸説あるが、社会人時代に歌手の山本譲二に似ていたため、「ジョージ」と呼ばれ、次第に「ジョニー」に変わった説が有力?
 ▽イチロー オリックス時代の天才が、「対戦して、気持ちのいい投手。やられたときは(素直に)やられたと思う相手。数少ない一人でしたよ」と認めるライバルだった。[了]



ジョニー……




ナゼに公さんずで……( ノД‘)



いつの日か、かもめ~ずでコーチやってくれるコトを心待ちにしていたのに…
コレは、なんというか…





公さんずに嫉妬せざるを得ない…(,,゜Д゜)



でも、いずれ、かもめ~ずに帰ってきてくれますよね??☆≡(>ω<゛)≡
まだまだ、待ってます!!(≧▽≦)ノ




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