一つの鍵で、一つの情報が開かれる。
いったい何を読んでいるのか、何を見ているのか、何を聞いているのか。
今の段階で(科学的にという意味だが)、はっきりと説明することはできないだろう。
でも、
ウイルスだって電子顕微鏡が登場して存在を確認できたわけだし、
人間の目には見えない紫外線や赤外線も、
今では機械を通して、こんなふうに見えますよ~と知ることができる。
病気になって、一体どれだけ撮るのか!! と思うほどお世話になったMIRだって、
体の中の水素原子の動きで画像を得ているわけだし(大雑把な理解なので、表現が間違っているかもしれない)、
『瞑想について』のところで書いたように、
幽体離脱だって、今や脳波の問題なのだから、
このインナーガイドと名付けた光の情報も、何らかの装置の発明で
解明されるかもしれないと、すごく思っている。
10年ちょっと前に大学院に入り直して学んだのは免疫学だったが、
ずいぶんお世話になった物性物理学の教授は、
全く知識のない私のとんちんかんな質問に、
本当に飽きずに、丁寧に、平易な言葉で物理の世界を紐解いてくださった。
そして、タロットの『教授の退官』でも書いた免疫学の教授は、
生命の、驚くほど多様な可能性を垣間見せてくださった。
それを、哲学、科学、宗教、歴史、芸術と、あらゆる視点を織り交ぜながら、
日々、問いかけ続けるような教授たちに接することができたのは、
生き返ってきたのと同じくらい、奇跡的なことだったかもしれない。
どれもこれも、ほとんど理解できず、
ただただ、はーーーと感嘆し、マウスの解剖に明け暮れる毎日だったが、
そこで学んだのは、
秩序と無秩序、マクロとミクロ、生と死だったと、今は思う。
つまり、それらすべてがひとつながりの動作の中にあり、
(厳密にはつながっていないともいえる)
私たちはその両極の間でゆらぎながら、
ときに混沌としながらも、ある方向性を持っている存在だということ。
そういうことをうっすら考えながら、
明解な答えが、いつかやってくるかもしれないと思いつつ、
今日も、開かれた情報の世界に向かい合う。
ダイナミックに流動する生命の、
ある瞬間の、その連続が、
映像となり、音声となって届いてくる・・・
そう考えると、妙に納得したりもする。
だって、私たちの存在そのものが、そういうものの連続であり、
その連続性によって、この姿かたちを保っているのだから。
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