逆位置のペンタクルのエースを解釈するとき、
避けているのが、「スピリチュアルの探求」という言葉。
スピリチュアルは日本語ではないこともあって、
本来の意味とは違う解釈をしている方が多いと思う。
なので、うかつに口にすると、
「やっぱりタロットって、スピリチュアルよねぇ」とか
「占いするのに、スピリチュアルな力って必要なの?」とか、
全く、意味の違う反応が返ってきてしまう。
けれども、
今日は、あえて「スピリチュアルの探求」という解釈をしてみたい。
タロットはヨーロッパのカード遊びが発祥なので、
きっとスピリチュアルの解釈も、ヨーロッパの歴史、宗教、風俗などを理解しないと難しいのかもしれないが、
今の私ができる、「私的スピリチュアルの探求」として書いてみたい。
偶然にも、明日、伊勢神宮に行く。
これまた、そんなことを言うと、
「やっぱり、占いする人って、お参りとか大事なの?」とか
「神様としゃべったりするの?」とか、全く不思議な質問を頂くが、
そんなことは、少なくとも私にはありません。
実は、大学時代、仏教考古学を専攻していた。
それは、
単に仏像が好きだったこともあるが、
人のつくったものが、なぜ、信仰の対象になるのかということが、とても不思議だったからだ。
そのことにより、
神社仏閣は、私にとっては信仰の対象ではなく研究の対象となった。
なので、今回ももちろん信仰のためではなく、研究のため、と言えれば格好がつくが、
全く俗っぽい話で、赤福を食べに行こうとしている。
せっかくなので、お参りも・・・
けれども、やはり歴史や古物が好きなので、年に数回は、そういうものを見て回る。
神社仏閣だけではなく、建造物や庭園、古美術、古い樹木などに接しにいく。
そうすると、そこに確かに何かがある。
それは、単に時間を経たということ以外に、
それぞれが持つ、独特の精神性のようなものが存在している。
人の手が入り、長い年月をかけ守り続けてきたものには、
その向こうに、数え切れないほどの人々が何かを思い、何かを感じたであろうその様が、
例えば仏像の存在と混然一体となって、独特の雰囲気を持つようになる。
その雰囲気は、何十年、何百年と受け継がれることで、さらに深まり、
見る者は、そこにスピリチュアルなものを感じるようになる。
つまりそれは、その場特有の、厳粛さだったり、静謐さだったりする。
スピリチュアルとは、そういう、思わず身を正してしまうような、
祈りの心や畏れの心のことなのだと思う。
だから、スピリチュアルは何も不思議なことではなく、
目に見えるものから感じる、目に見えないもののことだ。
それは、自分とそのものとだけに開かれる道筋のようなものだから、
何を、どのように感じ取るかは、全く見る者に任されている。
逆位置のペンタクルのエースがいうスピリチュアルの探求とは、
その感じ取る感性をどこまで高められるかということであり、
今一度、そのことに目を向けるよう求めているのだ。
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