タロット柊

考えること、感じることの記録

23日(土)ペンタクルのエース(逆)「私的スピリチュアルの探求」

2019-03-23 23:59:16 | タロット2019・3月

逆位置のペンタクルのエースを解釈するとき、

避けているのが、「スピリチュアルの探求」という言葉。

スピリチュアルは日本語ではないこともあって、

本来の意味とは違う解釈をしている方が多いと思う。

なので、うかつに口にすると、

「やっぱりタロットって、スピリチュアルよねぇ」とか

「占いするのに、スピリチュアルな力って必要なの?」とか、

全く、意味の違う反応が返ってきてしまう。

 

けれども、

今日は、あえて「スピリチュアルの探求」という解釈をしてみたい。

タロットはヨーロッパのカード遊びが発祥なので、

きっとスピリチュアルの解釈も、ヨーロッパの歴史、宗教、風俗などを理解しないと難しいのかもしれないが、

今の私ができる、「私的スピリチュアルの探求」として書いてみたい。

 

 

偶然にも、明日、伊勢神宮に行く。

これまた、そんなことを言うと、

「やっぱり、占いする人って、お参りとか大事なの?」とか

「神様としゃべったりするの?」とか、全く不思議な質問を頂くが、

そんなことは、少なくとも私にはありません。

 

実は、大学時代、仏教考古学を専攻していた。

それは、

単に仏像が好きだったこともあるが、

人のつくったものが、なぜ、信仰の対象になるのかということが、とても不思議だったからだ。

そのことにより、

神社仏閣は、私にとっては信仰の対象ではなく研究の対象となった。

なので、今回ももちろん信仰のためではなく、研究のため、と言えれば格好がつくが、

全く俗っぽい話で、赤福を食べに行こうとしている。

せっかくなので、お参りも・・・

 

けれども、やはり歴史や古物が好きなので、年に数回は、そういうものを見て回る。

神社仏閣だけではなく、建造物や庭園、古美術、古い樹木などに接しにいく。

そうすると、そこに確かに何かがある。

それは、単に時間を経たということ以外に、

それぞれが持つ、独特の精神性のようなものが存在している。

 

人の手が入り、長い年月をかけ守り続けてきたものには、

その向こうに、数え切れないほどの人々が何かを思い、何かを感じたであろうその様が、

例えば仏像の存在と混然一体となって、独特の雰囲気を持つようになる。

その雰囲気は、何十年、何百年と受け継がれることで、さらに深まり、

見る者は、そこにスピリチュアルなものを感じるようになる。

つまりそれは、その場特有の、厳粛さだったり、静謐さだったりする。

スピリチュアルとは、そういう、思わず身を正してしまうような、

祈りの心や畏れの心のことなのだと思う。

 

だから、スピリチュアルは何も不思議なことではなく、

目に見えるものから感じる、目に見えないもののことだ。

それは、自分とそのものとだけに開かれる道筋のようなものだから、

何を、どのように感じ取るかは、全く見る者に任されている。

 

逆位置のペンタクルのエースがいうスピリチュアルの探求とは、

その感じ取る感性をどこまで高められるかということであり、

今一度、そのことに目を向けるよう求めているのだ。



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