節制という言葉を聞くと、
何かを抑え気味に、超過しないように、慎重にする、という感じだが、
このカードはどちらかというと、
もっと自由な表現がなされている。
慎重に抑えながら、というよりも、
とてもシンプルに、軽やかに、完璧なバランスを表現しているという感じだ。
タロットの78枚のカードの中には、
明らかに、人知を超えることを表現しているものがいくつかあるが、
節制もその一つだ。
もちろん、普段の占いでは、人知を超えた意味合いではなく、
とても現実的な解釈をするし、たいていの場合、その方がふさわしいが、
ただ、純粋に節制を眺めると、
本当に素晴らしいカードだと、つくづくと思う。
節制は、ある意味で、陰陽五行ととても似ている。(節制の場合は、陰陽と4行というべきか)
世の中の構成要素、それらの性質、それらの働きの、見事な融合が表現されている。
その融合を支えているのが、ミカエルとされる天使というところが、やはり超人的。
では、われわれ人間には、この節制が示す完璧なバランスによる融合は、
一生、無理なのだろうか。
節制が本当に素晴らしいカードだなと思うのは、
私たちは、生来的に、誰もが完璧なバランスなのだといっているところだ。
私たちは、誰もが陰陽の交わりによって生まれ、
その後も、命ある限り、水や空気、その他のものを取り入れながら、
完璧な融合を成し遂げている。
数え切れないほどのものを、完璧なバランスで融合させることのできる私たち。
長い長い進化の過程を経て、このバランスを見出し、命をつないできた。
なぜ、このような、複雑でありながら、緻密な連携と融合を成し遂げる進化を遂げたのかを、
タロット的には、
何か見えない力によって、導かれているのだと、
どんなに科学が発達しようとも、決して理解できるものではないと、そのように捉えるのだと思う。
つまり、このカードのように、
自らの意志でこのように存在しているのではなく、
誰か(例えば、ミカエルとか)の手によって、完璧なバランスがとられた、尊い存在なのだと言っているのだと思う。
もちろん、そうなのかどうかは分からないし、
いつかは、科学的に生命の複雑さが解明されるのかもしれないが、
ここでは、それは本質ではない。
節制は、
この素晴らしいバランスを持った自分を、軽視してはいけない、
奇跡的なこの命の存在を、心から大切にしなければいけないと告げている。
生命は、複雑でありながら、完璧で美しい。その価値は計り知れない。
その素晴らしさを、節制は讃えているのだ。
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