老子を読む。
もう何年も前から読んで、まだ、読み終えない。
いろいろな訳者のものを読んでいるが、
読み終えた気がしない。
多分、これからもずっと読み終えない。
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隠者は確かに存在するが、目にすることは難しい。
まるで老子のいう「道」のように、
そこにあるが、それを理解することは難しい。
私たちが生きるこの世界には、
私たちの五感では感じ取ることのできないものが、あまりに多い。
けれども、感じないからないのではなく、
あるのだ。
それは、あまりに微細でとらえられず、充満していて気づかない。
小さすぎて見えず、大きすぎて見えないのだ。
それが何か、ということはできない。
なので、仮に「隠者」と呼んでいる。
「道」でもいいのかもしれない。
「愛」でもいいのかもしれない。
つまりは、私たちをここに存在させているもの。
哲学が生まれたときから問うているのだ。
到底理解できるはずがない。
しかし、そういうものが確かに存在し、
それはどういうものかとずっと考えている。
隠者が現れるとこの上もなくうれしいのは、
いつか、そのことを、
理解できる日がくるのかもしれないと、思えるからだ。
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