私はこれまで一度も誰かに占ってもらったことはないし、
そもそも、占いというものに興味がなかった。
けれども、ある事情によって、タロットを知ることになり、
使うことになる。
なので、
誰かに習ったのではなく、
気に入った本を見つけては読んで、という勉強の仕方だったから、
カードのめくり方も広げ方も、解釈の仕方も、今に至るまで全く自由だ。
そんな、かなり斜に構えた感じで、タロットとの付き合いが始まったころのことだ。
まだ、自分のスタイルも確立していないし、
カードの解釈も分かっているような、分かっていないような、
というより、タロットを信じる(こう書くと変だが)ということが、
どんなことかも、全く分かっていなかったようなころ、
ある方が、私のもとを訪ねてくださった。
その方の悩みは、驚くほど深く、
私なら、絶対、占いなんかで見てもらったりしない、と思うようなことだった。
そのことを率直に述べると、
「いいんです」と悲しそうに笑った。
自分でできる努力をすべてして、それでも、
自分ではどうしようないところにあるこの悩みを、何年も耐えてきた。
希望と絶望を繰り返し経験し、疲れ切っていたとき、
ふと、占いで腹を決めようと思ったのだという。
私はカードをめくるのが、本当に怖かった。
その方にとって、喜ばしいカードが出るのが、本当に怖かった。
嬉しくないカードが出ても、そののちの結果が嬉しいものであれば、
はずれたタロットも、良しとできるだろう。
けれども、その逆は、あまりにもつらい。
タロットをしたくて始めたわけではないが、
やり始めて間もないのに、きっとやめることになるだろう。
いや、こんな質問に答えなければいけないのなら、
やめた方がいいだろうと思うほど、重大な質問だった。
手が震えた。
頭が真っ白になって、何も考えられず、ただめくってみた。
たった1枚。
女帝だった。
タロットは、これ以上ない答えをあっさりと出した。
嘘はつけない。
その方の最も望むカードが出たのだ。
それから1年ちょっと経ったある日、その方が訪ねてこられた。
女帝は、全くその通りの結果をその方にもたらし、
それを知った私は、体中の毛が逆立つような感覚に襲われた。
その方は、
あのとき、女帝が出てからの、1年間のことを話してくださった。
とても素敵な笑顔だった。
そして、もう1度、カードをめくってほしいという。
あのときから1年が過ぎ、
少しずつだがカードをめくることにも、解釈することにも慣れてはいたが、
やはりその深刻な質問に答えるのはためらわれた。
はっきりと答えが出るのが怖かったのだ。
喜ばしくても、そうでなくても、結果が明らかに分かるものについて、
はっきりとした答えが出る可能性があることを、あのとき知ったから。
やはり頭は真っ白で、何も考えられなかった。
逆位置の女帝だった。
なんということだろう。
なぜこんなにも、あっさりと、答えを出すのだろう。
その方も、逆位置の女帝を見て、やっぱり、とおっしゃった。
それから、毎年、決まったときに、その方はいらっしゃる。
逆位置の女帝が示した通りの結果が、その後、起こり、
その方は、腹をくくり、前を向いた。
私も、腹をくくった。
女帝を見ると、そのことを思い出さずにはいられない。
その方も私も、確かにあのとき、何かが変わったのだ。
タロットはそういうものなのだと、
斜に構えた私を、真正面に座らせたのは、女帝だった。
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