この瞑想をしていると、
月が満ちていくときと、欠けていくときの違いが感じられる。
一つ目の違いは、眉間への光の届き方。
満ちていくときは、眉間に指を押し付けられているように力強く、まぶしい。
欠けていくときは優しく、ゆるやかで、押し付けていた指をゆっくり離していくような感覚だ。
二つ目の違いは、光そのものの性質の違い。
満ちていくときは、光自体の粒子が大きく、強い波として感じられる。
欠けていくときは、粒子が小さく、繊細になる。波も細やかな振動になる。
どちらがいいということではなく、違いがあって、
光を受け取る私たちの状態に応じて取り入れればいい。
今日の体の状態、心の状態に合わせるのだ。
疲れて元気のないとき、つらいこと、悲しいことがあったとき、満ちていく月は少し強すぎる。
疲れていても、基礎体力があって、明日はがんばるぞ、と素直に思えるとき、
目標があるとき、夢があるとき、勇気をもらえる。
一方、欠けていく月は、私たちを癒し、なぐさめ、そっと包んでくれる。
ただ、身を任せ、ゆだねる。
自分でも気付かなかった心の緊張から、ゆっくりと解放される。
どちらにも、ポイントがある。
勇気は下丹田(おへそ下三寸)から湧き、
解放は中丹田(胸の真ん中)から始まる。
満ちていく月の光は上丹田(眉間あたり)から入れ、
欠けていく月の光は頭頂から浴びる。
これらをイメージするだけでも、瞑想は始まり、月と呼応し始める。
もちろん、誰一人として同じ状態の人はいないので、
その人の、今の状態に応じたポイントがある。
その場所を知り、より健やかに月の瞑想を行う。
そうすると、
やがて、月は、毎夜語り合う友のような存在になる。
決して批判せず、決めつけず、
心のどこかで変化を恐れる私たちに、その姿を変えながら、教えてくれる。
私たちも、森羅万象の一部なのだと。
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