残照亭の日日

日常の腹立たしいことなど、自分のストレス解消に書いてます。

故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書こうかな。

行列のできるラーメン屋、運が良けりゃ・・

2023-09-20 | 日記

かれこれ30年も前の事

たまたま乗ったタクシーの運転手さん、雑談の時

「ここのラーメンね、美味しいんですよ~」と教えてくれた

小さなお店、上品さは感じられない、駐車は店頭前に2台

カウンター10席、ある日行ってみた

手打ちの「醤油ラーメン」「味噌ラーメン」「」ワンタン麺」

「チャーハンの大・中・小」が全メニュー

いつ行っても、行列ができている

15年ほど前に、店がすぐ近くに新築、引っ越した

駐車7台分、カウンター12席・テーブル席✖3・こあがり席✖1

いつ行っても混んでる。行列、スープなくなり次第終わり

11時に行っても食べられるのは運任せ

12時なら、ほぼアウト

13時30分で終了なので、運がよけれゃ食べられる

取材は一切お断り「お客様に迷惑がかかるから」

3年ほど前に、主がなくなって今は息子さんに代替わり

味は変わってない。行列も一緒

行列のできるラーメン屋さんは、結構あるけど、本当に並んでも

食べたいと思うお店は、わたしはここ一軒

妻「そんなにしてまで食べなくてもいいんじゃないの」

分かってないナ~・・・

並んでも運がよけりゃ食べられる店なんて、そんなにないぞ~

妻「カップめんも結構美味しいのが有るわよ~」

こら~・・一緒にするな~


「落石注意」って、どうすれば良いのよ❓

2023-09-19 | 日記

過日、ガン検診のとき「状態は落ち着いているので、気をつけるように。

数値が上がると抗がん剤併用になるから・・」と云われた。

これって、どうすれば・・、どんな毎日を送ればいいのよ?

例えば、山間の道を走っているとき「落石注意」って標識見ると

どうすれば良いのって思う。

「猛スピードで行け」

「キョロキョロ見ながら行け」

「上を見て走れ」か

妻「めんどくさい人ね~。普通に走ればいいじゃないの」

ん~、そういうものか・・

「ほんじゃさ、医者の言う「気をつけるように」っていうのは?」

妻「ほんと面倒くさいわね。普通の毎日でいいのよ」

なるほど。

「ほんじゃさ、ゴロゴロして飯食ってりゃいいって事だ」

妻「うるさいッ」

ん~っ、落石だ・・。


「藤沢周平」⑪~初めの頃は、ユーモア的なのを書くと嫌になった~

2023-09-18 | 藤沢周平作品

*敬称略 悪しからず

藤沢周平の作家デビューは遅い。

昭和46年44歳の時、"溟い海"で「オール読物・新人賞」を受賞し

認められるようになるが、5年ほどはユーモアの有る明るい作品は

藤沢自身、書けなかったという。

 藤沢「時代小説というのはネ、一つのかたちみたいな物ネ、前には

    出来ていたんじゃないか、と思うんですよネ。

    特に、私なんかは、オールのね、新人賞の出身ですから、

    新人賞の作品と言うのは、なんか一つの型があるって言う感じてね

    中味も深刻で、文章も深刻でって言う、そういう一つの型式が有る

   ようで、僕はそういうのはドンドンやめた方がいいと思うんですよね。

   時代小説にユーモアがないって言うと、そんな分けはないと思う訳

   ですよ。

   昔の人なんてネしかつめらしく、さむらいにしてもそうそう毎日毎日

   渋面を作って暮らしていた分けでではないんで、ユーモアだって有っ

   たに違いないわけで、ただ、どんな風にどう書くかって云う事になる

   とネ。いろんな書き方がある訳ですヨ。

   田辺聖子さんみたいなのも在るし、井上ひさしさんみたいな書き方も

   あるんだけど、それは全体の問題でネ。

   一つは、題材でもってユーモア出していく、と。

   一つは文章で持って出して行くと、ドンドン入れたら良いと思うん

   ですよね。

   (略)時々考えちゃうんですよ。

   やっぱりね。どだい私の小説、人生観そのものが、大体、なんて

   言うか、人生を愉快に歩いていないって言うか、そういうものが

   根本にあるもんですから、それだからユーモアも書きますけどね、

   その後、嫌になっちゃうって言うか。その後、深刻なものを書いて

   しまう(笑)

   なんか繰り返しみたいな事をやってますね。」

藤沢の作品は、四度目の結婚にして、ようやく安定した生活ができ

軌道に乗ってからも、生涯を通じて真摯な作が多い


「藤沢周平」⑩~恋・青春時代~

2023-09-17 | 藤沢周平作品

*敬称略 悪しからず

藤沢周平の青春時代は、短かったと云えるだろう。

あえて期間を求めれば、昭和21年5月・19歳の時「山形師範学校入学」から

昭和28年2月・26歳の時、肺結核治療のため東京都北多摩群「篠田病院」に

転院したときに、終わりを告げられたようなものであろう。

師範学校在学中に、故郷鶴岡出身のKさんという女性との、交際。

師範在学中の下宿先で、Kさんに手紙を書く姿は同級の数人に

目撃されている。

結婚の約束をし、親公認だったが、肺結核が判明した昭和26年3月

実際には、この時点でこの恋を諦めざるを得なかった。

この時の出来事と心境を藤沢は、「半生の記」に書いていない。

蒲生や松坂など、同級生にも語っていない。

*蒲生芳郎著 2002年7月1日 初版第一刷

約25年後、某氏に「先生を辞めざるを得なかった話をした時に、

ポツポツとこの恋の顛末を話した」のが、最初で最後だと思われる。

もう一つ某氏に話してはいるが「半生の記」に書かれなかったこと

が有る。が、このことはまたの時に。

K女子は、親の反対を押しきり、「篠田病院」を何度も訪れるのだが、

結局は古き因習に従わざるを得なかった。

この出来事は、初期の藤沢作品に様々な形で、影を落としている。

事実を知らないファンや雑誌関係者が「藤沢の小説は私小説である」と

いう由縁であろう。

初期の藤沢作品の、どこか影落とす一種の暗さ、静謐な清潔感などは、

中期・後期の作品になっても、時折思い出したように、顔を出すことが

有る。

藤沢とK女子は、約40年後ほんのひと時、友人を交えて再会を果たす。

すべての区切りになったのだろうか?


やばっ、認知症か゛始まったようだ

2023-09-16 | 日記

ちょいと知人に贈り物する用があり、🚙で大型店へ・・

「じゃ、発送をお願いします。」あて名書きを終えて店員さんに渡す

店員さん「あの~、受取人も発送人も同じですが、よろしい・・」

あっ、書き直します。でかきなおし・・

自家用に少し買った。お金を払って歩き出した・・・

「お客様、お品物を」

横にいたババ様が、クスクス

なんかテレビで見たシーンそのまま、ショック

駐車場へ、あれっ、どこに停めたっけ。似たような車ばっか・ハー

こうして少しづつ始まって行くんだろうナ~

ちょいと落ち込むわ~