*敬称略 悪しからず
初期の藤沢作品では、登場人物がよく亡くなっている。
藤沢「~まあ~、あんまり本当は殺さないで済めば良いんですけどネ
だけどね、僕は戦争には行かなかったけど、
人間は死ぬものだって事が、非常にネ、病院生活をしていたんで、
いづれ人間は死ぬものだって言うのが一つ、それから自分はいづれ
死ぬんだって、こういったことで、死って物が頭に入ってくるんでネ・・
手術をしましてね、肋骨を5本ばかりやってね、手術をやったんですよ。
あの時だって、死ぬのと紙一重でしたネ。助かるとは思ってなかったしね。
そういう風な経験が基調として残ってるんじゃないかナ~。
それと、人は中中死なないもんだと、言う所もあるんですよ。
本当にもう、明日にも駄目かって病人がネ、どうにか手術に漕ぎ着けて、
元気になって退院して行く例を見ましたね。
逆に、非常に強い人が、あっけなく死んで行ったりネ。
だから、戦争には行かなかったけど、人が死んで行くのは随分見て
きましたネ。
だから、人を殺すってのいうのは、別に僕が惨酷なわけでなくてね、
人間の儚さって言うのを僕はいつも観てるわけですよね。
だから、こう、死ぬ場面って言うのは、一人の人の死というよりは、
人生の儚さっていうのを書きたいと思うわけですネ。
やっぱり、だから殺しちゃう場面も有るわけですね。
・・・別冊小説現代にネ、300枚位のを書いたんです。
注:〈狐は黄昏に踊る〉
これもネ、随分考えたんです。なるべく死なないようにしょうってネ。
でも、結末を着けるために、全部殺しちゃったんです。
結局は、人生観の問題だと思いますネ。(略)
だから、僕は明るい明朗な作家と言えないわけですネ。
「又蔵の火」に書いたとおりです。根底には有るわけですね。」
◎別冊小説現代「狐は黄昏に踊る」昭和51年新秋号 初出
・・単行本は「闇の歯車」と改題
藤沢の作品は、まだ暗味を歩いている頃の作品