過去5年ほど、元日は木曽川堤に初日の出を撮りに出かけていました。しかし3日間の検査入院で28日朝退院しましたが、もうそんな行動は自粛しようと決めていました。そして大晦日も10時には就寝しました・・・過去にはなかったことで暮らし方の切り替へです。
元日は普段どおり5時30分起床でした。部屋の室温をみたら8℃・・・冷え込んでいるなーの感じでした。朝の担当に洗濯がありますが、外の水道が凍て付いて水が出ません。熱湯で溶かしましたがコックは廻りますが、水が出なくて・・・太陽が上がって暖かくなるのを待つことにしました。部屋に落ち着いて外気の温度を計ろうと窓を開けようとしたら、凍てついていて開きません。これも熱湯で溶かしましたが、15分ほどして外の寒暖計をとろうとしたら、もう凍てついて開きませんでした。再度の熱湯使用で・・・マイナス5℃でした。
コーヒーを飲みながら、ふと思いました。「緊急時(地震など)夜窓が開かなかったらパニックなるだろうな?」・・・と、もう外はうす明るくなっていましたが、確めてみたら・・・また凍てついていました。空を見上げると雲一つない晴天で、放射冷却で厳しく近年になかった冷こみの年の初めでした。
反面太陽が上がってくると、いっぱいの陽ざしがあって日向は春の陽気です。我が家は、本家という事もあって元日から訪問客があるのを習いとしています。私の兄弟が80~90代で6人、70代の妹1人の7人兄弟ですが、全てが元気とは言えませんが大方来てくれます。子供それに孫たちが顔を出してくれます。その孫で平成生まれが結婚ブームで二人がそろって顔を出してくれたのが嬉しかったです。とにかく大勢が・・・そんな三が日でした。本年も宜しくお願いします。
小生も生まれつきは少し身体が弱かったそうですが、成長するにつけて丈夫になって 85歳で白内障の手術で3日入院したのが、初めてでした。
87歳で「太郎と花子」に入所。毎日することが無い、三食昼寝つきの高価なホテルのような場所。春夏秋冬冷暖房に聞いた部屋で毎日 ボサーとして暮らすのは良いのか悪いのか、子供に居住費を助けていただいての入居。あの世に行く準備期間だと思い、毎日準備をしております。
ブログを読ましていただき、この処、寒い朝は零下5度になって 水道が凍てついて水が出ないと言う文を読んで、江南市は何をしているのかなと、太平洋側は常に暖かいので、水道に冬用の準備をしなくても良いのかなと思いました。小生の里、日本海側の京都府舞鶴では零下になっても水道が凍って水が出ないと言うことは、何時からか忘れましたが、絶対にありません。地下から家に入るまでの外部の水道のパイプには断熱材が巻いてあります。又名古屋は自動車生産の元締めなので、車の多いことは判っていますが、自動車事故の多い事、相変らず日本一で困ります。
小生の舞鶴で食料品の移動は販売をしている時、冬季には 大江山の麓まで行くと1メートルの積雪になりましたが、商売は一日も休まず4駆の自動車で(タイヤチエーンは巻きません)頑張りました。
正月は家族団らんで羨ましい光景を想像しました。熊沢様は7人兄弟で全員元気とまではいきませんが、正月には会えると羨ましい光景。小生は87歳までは盆 正月に子供 孫たちが舞鶴の我が家に集まり 小生の手作りのご馳走を食べて、里の味を楽しんで頂いたが、「太郎と花子」に入所して、家族の団欒ができなくなった事、時代の流れで致し方ありませんが寂しい正月でした、それでも小生の家族、子供男子のみで3人でしたが、嫁 孫8人曾孫8人合計28人の大家族になりました。小生が逝ったときには 本当の家族葬が出来ると微笑んでおります。正月の挨拶と致します。