私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

曼陀羅寺公園のふじ祭り

2017年05月08日 | Weblog

 ゴールデンウイークも好天に恵まれて終りました。私の場合今年は、短い時間もありましたが、連日畑に出ました。明日は、来客があるから仕事をやりこしておこうーという無理はせず、孫たちの半数が結婚して、5人のひこ孫が来ました。勿論会う事は楽しみですが、大きいおじちゃん、大きいおばあちゃんの立場をわきまえて、対処したつもりです。自分のことは、自分でできて、小さな会話が出来る老後でありたいとおもいました。

 近くに由緒ある曼陀羅寺があり、この時期「ふじ祭り」が行われており、今年は是非写真を撮りに行きたいと念願しておりました。6日(土曜日)この日しかないと、しかも早朝日の出に合わせるように出かけました。自転車で数分の距離です。 

 曼陀羅寺の由来 正中元年(1324)創立の浄土宗の古刹で尾張北部における最も格式の高い霊場です。江戸時代には山内に14ヶ寺寺院を有し、現在も9ヶ寺の寺院(塔頭)が現存しています。
 開山天真乗運上人は、藤原師継(ふじはらもろつぐ)氏の8男で、後醍醐天皇の御母檀天門院の弟に当たる方です。帝の隆盛を祈り、北条氏の調伏を祈祷するため寺院を建立するよう詔勅を賜り、乗運上人によって開かれた「後醍醐天皇勅願寺」です。元弘3年(1333)北条氏は滅び、「建武の中興」は成りましたが、足利氏の反逆にあい室町幕府は成立します。しかし、当寺は後醍醐天皇勅願寺故に足利氏家臣で、尾張国代斯波氏の、上人拉致(殺害説あり)・寺領没収の弾圧にあい80年間の無住時代が続き荒廃していきました。
 やがて第2世召運上人によって寺運も上昇に転じ、 安土桃山時代は、信長・秀吉の庇護を受け、江戸時代に入ると徳川御三家尾張藩の庇護を受け、幼少期塔頭本誓院に学んだ阿波国守蜂須賀家政公
より本堂再建の寄進を受けている由緒ある寺院です。
 昭和45年に市の管理のもとに境内の一部を曼陀羅寺公園として整備され、多くの品種の藤が植えられ、50年近く経って多くの観光客が訪れるようになりました。本堂は解体修理中です。

                        

                         

                
        公園の「シャクナゲ」が目に留まりました。 

 日中の人混みを避けて早朝5時過ぎに訪れました。朝陽に輝く!を期待しましたがうす曇りでした。

曼陀羅寺公園のふじ祭り


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3 コメント

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藤の花 (齊藤直一)
2017-05-09 20:52:06
平成26年にお嫁さんに連れて行って頂き、見事な藤の花を見ると言うより鑑賞致しました。故郷舞鶴にも一か所ありますが、問題じゃありません、鑑賞さして頂き、ただ驚くばかりでした、次回再開の折に藤の話を致しましょう、待っております
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Unknown (Bear)
2017-05-09 09:00:45
 何時もありがとうございます。気がつかずに申し訳ありません。ホントを一ランク上げました。
早朝曼陀羅寺に着いてみると、雲っていて薄暗い感じでした。雲が切れて日差しがある時もありましたが、明るい写真が撮れませんでした。
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素晴らしい記事に感動! (ダイヤ・ドラゴン)
2017-05-09 06:49:41
良くお調べ頂き、何度も拝読。願わくば、もう少し大きい活字で《フォント》お書き戴けると助かりますが・・・・・。老眼が進み視力が衰え、細かい字が読み辛くなりました。・・・・・・。
勝手なお願いでコメントではありません。お許しください。メールにすべきだと、もう一人の自分が自分を叱っていますが、つい、甘えております・
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