最近、通勤往復の電車で本を読まなくなった。ついこの間までの通勤は、本が読める楽しみがあった。大体一週間に1~2冊の文庫本が読めた。それがこのところの自分は、まず書籍や新聞を電車に持ち込まない。ボーっとつり革に摑まったり、座っても、半分居眠り状態が多い。
1~2年前の私の通勤時間は一時間半、近くに引っ越してからのそれはドア・ツ・ドアで40分。電車に乗っている時間はジャスト30分だ。以前は、たっぷり一時間が車中だから、ゆっくり本が読めたのだ。通勤が楽になった分、読書の楽しみを失ったようだ。トシをとったからだと思いたくない”本離れ”だ。
文庫本や単行本を電車に持ち込まなくなった自分は、”ボーっとしている”なかに流行やファッションと季節を電車の中で知るようになった。風俗や世俗のトピックスに敏感になった。トシとって、若者やトレンドに敏感になった。本や紙面の中や上にだけ自分の目の焦点を限っていて、自分を狭くしていたようだ。
もっとも、自分が見ている毎日の車中の景色は、文字通り”象のオシリを撫でるの図”なのだ。郡盲象を撫でるが正確な言い方なのかも知れない。朝晩のわたしが乗る通勤電車の一両の中の風景なのだ。それでも、自分は何となく季節やはやりをわかった気になるから不思議だ。
つい4~5ヶ月前一斉に、電車の中の色が”真っ黒”になったのがウソのように、この4月1日は”ベージュやアイボリー”になった。皆さん、流行の黒のコートを脱ぎ、アイボリーやベージュのコートに変えたようだ。正確にはまだ半分は黒なのだが、その黒はコート半分、スーツ半分だ。もっとも、ついこの間の黒はほとんどが”新しい(新調)コート”のクロだったのだが、この4月のベージュやアイボリーは、どう見ても新調ではない。ほとんどの人のエリあたりがちょっと黄ばんでいる。いまの世の中や気分が垣間見られる。
短い通勤電車のなかで、ボーっと車中の景色をみているのも”それなりに楽しい”時間だと、自分なりの言い訳をしている。寸暇を惜しんで本を読むことが苦痛になってきた自分なのだ。お許しを得たい。
1~2年前の私の通勤時間は一時間半、近くに引っ越してからのそれはドア・ツ・ドアで40分。電車に乗っている時間はジャスト30分だ。以前は、たっぷり一時間が車中だから、ゆっくり本が読めたのだ。通勤が楽になった分、読書の楽しみを失ったようだ。トシをとったからだと思いたくない”本離れ”だ。
文庫本や単行本を電車に持ち込まなくなった自分は、”ボーっとしている”なかに流行やファッションと季節を電車の中で知るようになった。風俗や世俗のトピックスに敏感になった。トシとって、若者やトレンドに敏感になった。本や紙面の中や上にだけ自分の目の焦点を限っていて、自分を狭くしていたようだ。
もっとも、自分が見ている毎日の車中の景色は、文字通り”象のオシリを撫でるの図”なのだ。郡盲象を撫でるが正確な言い方なのかも知れない。朝晩のわたしが乗る通勤電車の一両の中の風景なのだ。それでも、自分は何となく季節やはやりをわかった気になるから不思議だ。
つい4~5ヶ月前一斉に、電車の中の色が”真っ黒”になったのがウソのように、この4月1日は”ベージュやアイボリー”になった。皆さん、流行の黒のコートを脱ぎ、アイボリーやベージュのコートに変えたようだ。正確にはまだ半分は黒なのだが、その黒はコート半分、スーツ半分だ。もっとも、ついこの間の黒はほとんどが”新しい(新調)コート”のクロだったのだが、この4月のベージュやアイボリーは、どう見ても新調ではない。ほとんどの人のエリあたりがちょっと黄ばんでいる。いまの世の中や気分が垣間見られる。
短い通勤電車のなかで、ボーっと車中の景色をみているのも”それなりに楽しい”時間だと、自分なりの言い訳をしている。寸暇を惜しんで本を読むことが苦痛になってきた自分なのだ。お許しを得たい。