前回その3 の続きです。2019年、モリッシー受難の年の続き。モリッシーは5月22日に60歳になりましたが、受難の還暦を迎えることに。このお誕生日月は、サイアクなことが多いモリッシー人生の中でも何本かの指に入るサイアク月ではないでしょうか。
(モリッシー2019年10月LA公演にて)
2019年
5月
●世界最古のレコード・ショップにてモリッシー全作品の販売中止
モリッシーはテレビ番組「ザ・トゥナイト・ショウ・スターリング・ジミー・ファロン」に右翼政党「フォー・ブリテン」のバッジをつけて出演、「ガチ右」のレッテルが貼られました。この「フォー・ブリテン」支持表明を受けて、英国カーディフにある1894年(日本で言ったら明治時代)設立の世界最古のレコード・ショップ、スピラーズ・レコードが、モリッシーの全作品の販売を取り止める決定をしたと、『ウェールズ・オンライン』が5月22日に報じます。これはモリッシーの60歳の誕生日、まさに“Unhappy Birthday”です。
スピラーズ・レコードでオーナーを務めるアシュリー・トッドは「悲しいことですが、今後一切モリッシーの作品をスピラーズに置かないということにはまったく当然のことです。ただもっと、早く決断できていればよかったです」と語っています。
オーナーのアシュリー・トッド。お店はカーディフの歴史的なモーガン・アーケードにあり、とっても素敵。映画にもなった「アザー・ミュージック」も彷彿とさせる素敵なお店です。まさにモリッシー好みの、インディペンデントで良質なレコード店と言えます。一度行ってみたい。
モリッシーは2012年来日時、日本に残存するレコード・CD店を見て、ロッキン・オンのインタビューに対して
「レコード店というのは、ぼくには幼い頃からの、生涯を通じて関わってきた記憶になるわけで、ぼくには寺院にも等しいものなんだよ、そこで跪いて床に口づけしたくなるほどの神聖なものでもあるんだ。すべての音楽を見渡して、すべてに口づけしたくなるという」
と答えていました。
カーディフの1レコード店ではありますが、そんな自分にとっての「寺院」に等しき場所から締め出しをくらったことはどんなに「屈辱」であったことでしょう。その悔しさを思うと、いまだにこちらも暗い気持ちになります。
「バッチをつけただけなのに」
でもその直径2.5センチくらいのピンバッチは、ただのバッチではありませんでした。フォー・ブリテン党は「ほれ!!」とばかりにこのような声明をホームページに掲載します。モリッシーは「いいよ」と言ったのかもしれませんが、私は正気を疑いました。「フォー・ブリテン、そういうとこだよ!!」と思いました。
すっかりモリッシーを「公式キャラ」みたいに掲載。あんたらのことを好きと言っただけでこんなに窮地に立たされてるのに「あ、悪かったな…うちらが右翼政党なばかりに。嫌われ者のせいであなたまでイヤな目にあって、ごめんね…でも、ありがとう。あなたの邪魔にならないよう陰の存在でいるよ」という奥ゆかしさはないんかい!!『泣いた赤鬼』の青鬼見習えや!!
…まああったらそもそも批判の矛先になることも辞さない極端な政党になるわけないので奥ゆかしさなどあるはずもなく、こんなコメントまで出してました。
「モリッシーは素晴らしい音楽で知られるが、政治家としても知られている。彼は恥も外聞もなく、英国、私たちの文化と遺産、そして私たちの国の屋台骨である労働者のために立ち上がっている。また、動物愛護にも熱心であり、彼がわが党に肩入れしたことは驚くにはあたらない。嘘と中傷に抗う彼の勇気に感謝したい。
モリッシーも参加しますぞ!彼に賛同せよ!(←播磨屋おかき播磨屋助次郎風あおり)
元労働党、保守党、緑の党、ユーキップ(イギリス独立党)、その他の政党、そしてどの政党からも、あらゆる背景を持つ人々がフォー・ブリテンに参加している。フォー・ブリテンが何を支持しているのか、だんだんとわかってきたからだ。良識、公正さ、思いやり、正義、そしてなによりも英国。
あらゆる方面からの攻撃に耐えているにもかかわらず、我々は輝き始めている。攻撃によって強くされているのだ!!
(で、延々自画自賛がえんえん続く…)」
モリッシーは言いたいことを言っているだけ、バッチをつけているだけで、自分の主張に政治を利用していません。それなのに、政治がモリッシーを利用するな!ということです。
私はフォー・ブリテンが極右であるとか以前に、その活動方法において、「いい気になるなよ」と思いました。なんかイラつく、なんかに似てる、、、と考えて、よく彼氏とか彼女がすごいと急にその気になって自分もそれくらいの才能なり地位があるかのようにトラの威を借るキツネ的にいきってくるアレだと思いました。
●リヴァプールの鉄道駅から、新譜告知ポスター撤去
そして5月24日には、市民からの苦情を受けてニュー・アルバム『カリフォルニア・サン』のポスター広告がリヴァプールの公共交通機関マージーレールのムーアフィールズ駅(市内中心駅)から撤去されたことを、リヴァプールの地元紙『リヴァプール・エコー』が報じます。
これはSNS上では何人もの英国の人が「ポスターとることないのに」「買わなきゃいいだけじゃん!」とマージ―レイルの行き過ぎた対応に反発しているのを見ました。『リヴァプール・エコー』も「何百人もがこの対応に反対でした」と続報を出しつつ、でもそれじゃつまんないと思ったのか「だけどこんな賛成意見もあります!」って載せていました。宗教的にも政治的にも性的にも人の志向は人それぞれなので、相容れなければその人を見なきゃいいだけなのに、「通勤途中にこんな差別主義者の顔貼るなんてきーっ!!」という利用者の意見をすぐ鵜呑みにするなんて鉄道会社、どうなんでしょう。攻撃的、暴力的ならともかく、顔を出しただけなのに…。ことの発端はアメリカだった「バッチ禍」は、英国本土にさらなる業火となって飛び火して、こんなにも延焼します。
●Music News comに独占インタビュー掲載
やられたらやられっぱなしでいるわけのないモリッシー、Music News comのインタビューに答え5月27日に掲載されます。あれ?一般のインタビュー受けないと言ってたのに受けてるじゃん?と思いますよね。これ、インタビュアーが自身のガチファンであるお抱えジャーナリストFiona Dodwellです。
前半は“California Son”や音楽愛の話、また驚くことにすでに12曲収録のオリジナル・アルバムをレコーディングしていることなど、少し政治の話も入りつつ和やかに進みますが、最後にFionaが「マージーレールや否定的な意見を持っている人たちにメッセージをお願いします」と振ると、
「まさに(アドルフ・ヒトラーが率いていた)第三帝国的だね。そして、最も偏狭な人々の感情だけが、いかに英国の芸術の中で考慮され得るかということを証明している。
私たちは自由に議論することができない。それ自体が究極の、多様性の否定なのだ。
BBC1の『クエスチョン・タイム』を見れば、いつも同じ議論が行われている。私たちは”The Age of Stupid”(2009年イギリスのドキュメンタリー映画)の中を生きているのだと思う。早く過ぎ去ることを祈るばかりだ。メアリー・ホワイトハウス(英国でメディアや芸術におけるモラルの向上を訴えてきた「キャンセル・カルチャー」の象徴としてモリッシーが考える保守的な活動家)が10ポンド札に描かれていないことだけが驚きだ。
でも、私はマージーレイルと戦うつもりはない。これ以上ありきたりな人生ってあるかな?でも、そう、英国での私の立場は突然難解なものになった・・・私が唯一非難されないで済んでいるのは「1944年ノルマンディー侵攻」だけだ。時間が経てばいい」
と、諦念にも似た見解を答えています。「自由に議論することができない。それ自体が究極の、多様性の否定」というのがモリッシーの主張のコアであり、昨今のインタビューでもまた繰り返します。テストに出る(なんの…?)ところなので蛍光ペンをひいておいてください。
●ガーディアン紙不買運動を呼びかける
5月31日、怒りの矛先は自分の作品を締め出したスピラーズ・レコードでも、ポスターをひっぺがしたマージ―レイルでもなく、ガーディアンに向かいます。以前からガーディアンにはムカついていたものの、ここで怒りが再び本格化。
5月30日、ガーディアン紙にBigmouth strikes again and again: why Morrissey fans feel so betrayed
(ビックマウス何度も何度も-モリッシーファンが裏ぎられたと感じる理由)
という記事が掲載されると、以下のような声明文を発表します。
「ガーディアンとその信奉者たちによる私に対する無尽蔵のヘイト・キャンペーンを考えると、“California Son”の全英チャート順位に満足している。
しかし、誰がガーディアンから我々を守ってくれるのか? 誰もいないようだ。
特筆すべきは、この嫌がらせを主導しているのが、私が数年前に嘘を書いていると裁判所に訴えた人物だということだ。私との法廷闘争に敗れた彼が、今度は『ガーディアン』紙を使って個人的な復讐を果たそうとしている。
あの新聞は私の音楽に関係する人を全員困らせて、私についてひどいことを書くように刷り込んでいる。ソビエト化した英国が顔を出しているんだ。2019年の発言すべてが故メアリー・ホワイトハウスと響き合う、この惨めなヘイト紙は買わないでほしい。この新聞は、現代の英国に関する、間違っていること、悲しいことのすべてを代弁している」
モリッシーは自分が生きにくい諸悪の根源アイコンとしてガーディアンを設置しました。目に見えない個別の敵ではなく、風上であるメディアーガーディアンに照準を合わせたのです。モリッシーは事象ではなく、現象、ムード、文化土壌、それを形成するものというメタなところに怒りの矛先を向けますね。
でも怒りの表現はとてもストレートで、個別です。10月のライブではこんなTシャツを着て勇ましい。
ガーディアンもそれを記事にしています。
どこの世界の高級紙が、「うちらの悪口書いた切りっぱなしTシャツを着てライブした!」という大見出しでニュースを報じるのでしょうか。
これは、学校の「帰りの会」の反省会でしょうか?
「モリッシーが悪口を書いたTシャツを着てきたのでやめさせてください」
先生「ガーディアン君に、あやまりましょう、モリッシー君」
「どうもすみませんでした~」
…と、まったく反省するわけもなさそうなモリッシー見て笑って…る場合ではなく、今回はただの1か月も話しが進みませんでした。
もう「5分」は羊頭狗肉であることははっきりしたので、マイペースで、でも必ずや完結に向けてがんばりますね☆
→つづきはこちら その5