前回その4 の続きです。「5分でわかる」くらいのものをちゃゃちゃーっとまとめてぱぱぱーっと書こうと思ってた目論見に失敗したのでタイトルを変えました。これで看板に偽りなく書く、クリーンなブロガーになったのでほっとしています。
前回ではモリッシーの右翼政党支持がいかに本国で波紋を呼び、「キャンセルカルチャー」の真っ只中にモリッシーが置かれることになったかを書きました。その中で引用したガーディアン紙のモリッシーが激怒した記事“Bigmouth strikes again and again: why Morrissey fans feel so betrayed”には、かつてのお友達ビリー・ブラッグも登場。モリッシーを裏切者とキツいコメントを寄せました。
2019年
5月
●ビリー・ブラッグもモリッシーを大批判
1985年のザ・スミスの初北米ツアー時、若き日のふたり。モリッシーは半ズボン姿でさわやか。このツアーでビリーは、スミスのサポートアクト、スミスの”Jeane“をカバーしたそうです。ビリーとスミスの出会いは1984年の2月、ロンドンのライセアムでビリーがスミスの前座を務めました。モリッシーとマーがふたりでビリーの楽屋に来て彼のデビューにおめでとうを言ってくれたそうです。ビリーにとってはうれしい、光栄な思い出だったことでしょう。
それが!ガーディアンのインタビューで、
「モリッシーは今や往年のザ・スミスファンを裏切って、自らの遺産を裏切り、スミスファンたちを促していたところとは正反対の場所にいるような人々を支援しようとしているんだ」
と批判。元保守党、労働党の国会議員で、1930年代の初頭から1940年に解散するまでイギリス・ファシスト同盟の党首を務めていたオズワルド・モズレーに成り果てたと言っています。
「ザ・スミスの曲がかかると、飛ばしてしまう……どうしても聴けないんだ…」
と語るビリーの繊細さにはびっくり。ビリー・ブラッグほどの闘士がけっこう気にしている。
というか、ビリーがモリッシーを批判するのはこれが初めてではありません。2012年にはモリッシーのオリンピック英国開催批判に対して批判、2018年にはBBCのモリッシー批判記事にツイッターで反応し、”There Is a Light That Never Goes Out”を引き合いに出して「かつては灯りが点いていたけど、もう消えてしまったんだ」とツイート。そんなクソリプ…じゃなかった、引用リツイート、わざわざ聞かれてもいないのに言う~?(←そろ谷のアニメっちふうツッコミ) とにかくモリッシーはビリーのこと言わないのにビリーが言うんです。
ビリーは単に、モリッシーのことをそもそもすごく嫌いなんだと思います。もしかして好きで好きだったのが、嫌いで嫌いになって、こだわってしまうんだと思います。
「モリッシーは今や往年のザ・スミスファンを裏切って」と言っているけど、往年のザ・スミスファン=まぎれもない「自分」が裏切られたと感じて激怒しているんではないか。
2021年、ソウルフラワー・ユニオンの中川敬が行った『TURN』のインタビューでは、英国のベテラン・ミュージシャン、例えばモリッシーの差別発言や、ヴァン・モリソンやエリック・クラプトン等、著名ロック・ミュージシャンの陰謀論的発言をどう捉えているかと聞かれ
「ここでキーになるのは年齢だと思うね。君が例に出したようなミュージシャンたちは今みんな年老いてきている。僕も含めてね。ポップ・スターとして、かつて人々は彼らの言うことを聞き、リスペクトしていた。だから彼らは自分の意見が時代遅れに聞こえる可能性について考えないんだ。僕も同じ問題に苦しんできたけど、ソーシャル・メディアで若い人たちの行動をフォローすることで、今は炭鉱労働者のストライキで得た視点とは違う社会活動を考えるようになった」
と、落ち着いた意見を述べています。「ああだったのに変わった」「あれは失われた」という怒りだけでは社会を良い方向に変えていくために不十分だと、本当はわかっているのではないかと思います。ああ、そんなビリーの心をもっと掘りたい!!と思ったけどちょっとまた終わらないので先に進みます。
あ、これだけは言いたい。1996年ロンドンにいた時、友だちヴィンセントのフラットメイトがビリー・ブラッグでした。ヴィンセントが冷蔵庫に入れていたオレンジジュースをビリーが勝手に飲んだそうです!!何回も!
6月
●“Morrissey Central”にインタビュー公開。ロバート・スミスに謝りたいと言う
6月24日、“Morrissey Central”に4月に甥っ子のサムによって行われたインタビューを掲載。「甥っ子がおじさんをインタビュー」って、夏休みの宿題ぽいです。インタビューでは質問者のところに「sam」、回答者に「m」って書いてあるけど、きっとこれ徹頭徹尾mmmmmmmmmmmmmmmmなはずです。
モリッシーは自身を批判する記事を発表しているガーディアン紙を訴えようとは思わないのかとsamに聞かれると、
「エンタテイナーと呼ばれる者として、どうやら私には人権がないようだ。自分を表に出したからだ。もし私が郵便局員だったら、今頃は『ガーディアン』に嫌がらせ裁判で勝訴して、賠償金として1000万ポンドくらい受け取っているはずだ」
と回答。ガーディアン紙に関してはこう続けます。
「『ガーディアン』はミュージシャンたちに私と一緒に働かないように呼びかけ、容赦ない嫌がらせで困らせてきた。昨今の刃物の犯罪件数の増加だったり、硫酸をかけられる事件が起きていたりするのを見ると、『ガーディアン』はもう少しモラルを持ったほうがいいと思う。でも、そんなのはありえないんだ。もしも『ガーディアン』の暴政が原因で私が身体的に傷つけられることがあったとしたら、ガーディアンの従業員たちは歓声を上げるんだろうし、シャンパンを開けることになるんだろうなっていうことが想像できる…….血の気が引く思いだ。ガーディアンは、自分たちが政党であると信じきっている」
政治的な立場については、イギリス独立党やブレグジット党、その党首であるナイジェル・ファラージを支持したことは「一度もない」と言いつつ、言わなきゃいいのに、ナイジェル・ファラージであれば「言うまでもなく、いい首相になるはず」だと語り、フォー・ブリテン支持に関しては「もちろん」と答えています。
「アン・マリー・ウォーターズこそ、右派と左派を束ねることができる唯一の英国人党首だと思う。それを望んでいる党首を私は他に知らない。英国は今、危険なほど憎悪に満ちた場所であり、狂気に歯止めをかけ、皆の代弁者が必要だと思う。私は、アン・マリー・ウォーターズがそのような人物だと考えている。彼女は非常に知的で、この国に猛烈に献身的で、とても魅力的で、時にはとても面白い」
と、アン・マリー愛を躊躇なく語っています。「sam」(たぶんほんとは「m」)が「マスコミの評価は、彼女が明らかに人種差別主義者だというものですが、私は彼女が人種差別的な発言をしたのを聞いたことがありません」と言うと、「人種差別主義者」に関しての持論を展開します。
「現代の英国で『人種差別主義者』と言うことは、言葉を使い果たしたということだ。議論を打ち切ってトンズラしようとしていること。もうその言葉は無意味だ。誰もが最終的には自分の人種を好む。すべての会話を人種の問題に還元する人々は、最も伝統的な『人種差別主義者』であると言える。誰もが決して一致しない考えを持っているのであれば、多様性が強みになるはずがない。国境がそんなに恐ろしいものなら、そもそもなぜ国境が存在したのか?国境は秩序をもたらす。ハラール食肉処理に反対することが人種差別につながるとは思えない」
と、またもやどくとくな論をご披露。
どくとく、ではありますが、なんにでも「差別だー!ひどいー!」「はい、差別主義者、終わり」とレッテル貼りして安心するような風潮はあると思います。既存のレッテルや名づけ行為で終わらない、収まらない向こう側に本当の恐ろしさや重要なことが存在していると思います。そういうメタ視点を、メタメタ(だと思われがち)な論理展開でモリッシーは提示しているのだと思います。
政治観や自分の音楽に関してまで全部入りのこの長い~mmmmmmmインタビューには、かなり重要な話も出てきます。samに「何か後悔していることはありますか?」と聞かれ、意外にも、犬猿の仲でおなじみのザ・キュアーのロバート・スミスに!!謝罪がしたいと言っているのです。
ふたりの確執はいろいろなところでネタになっていますwww もう本家本元のもめごとをこえている。
Robert Smith vs. Morrissey
「35年前に私は彼にひどいことを言ってしまったんだ……けど、それは本気じゃなかった」
とのこと。
モリッシーの後悔している「35年前のひどいこと」とは、1984年に音楽雑誌『ザ・フェイス』の特集の一部のインタビューで、「ロバート・スミス、マーク・E・スミス、弾の入ったスミス&ウェッソンと一緒に部屋に入れたら、誰が最初に弾丸を食らうか?」という質問に対しての答えです。
「一発の弾丸が全員を同時に貫通するように並べる。ロバート・スミスは泣き虫だ。スミスの出現と同時にビーズを身につけ始め、花束を持った写真を撮られていたのは、不思議なことだ。彼は私たちの活動をかなり支持してくれていると思うが、私はキュアーを好きになったことがない......”The Caterpillar”ですら」
モリッシーのこのコメントは、彼の実際の意見を誇張したものだと言われていますが、もちろんロバート・スミスにも伝わり、こう反撃。
「モリッシーは鬱陶しいから、もし彼がすぐに自分から消えなければ、僕が消す」
1989年、ロバート・スミスはQマガジンにも
「モリッシーは貴重で惨めなろくでなしだ。彼はみんなが思っている通りの人間だ。モリッシーは口を開くたびに同じ歌を歌っている。少なくとも僕には”The Love Cats”と”Faith”の2曲がある。ザ・スミスのようなグループにいることがどれだけ簡単なことか、みんなが知っていればいいんだけど」
同年発売のザ・キュアーのアルバム"Disintegration"のリリース後にNME誌と行ったQ&Aで、モリッシーはこのアルバムのことを 「まったく下劣」と評し、さらにこう付け加えました。
「ザ・キュアー:"ガラクタ "という言葉に新たな次元を与えた」
この地獄のような毒舌合戦が、ま、ま、まさか2019年になって新たな局面を迎えるとは!!
この件についてはロバート・スミスも2021年になってサンデー・タイムズ紙のジョナサン・ディーンのインタヴューのアウトテイクの中で見解を示しています。モリッシーとの確執について「インターネットによって諍いが手に負えなくなってしまった」と語っていたそう。「モリッシーについては世間からの反発を食らうことになったけど、『それがどうしたものか』と思ったよ。20年前に起きた架空の確執だからね」とも。
でも、あの何でも後悔しない、モリッシーが後悔しているので、本当にひどいことは言ったんだと思います、モリッシーはwww
「私は(学園を舞台にしたイギリスのドラマである)『グランジヒル』のようになってしまっていただけなんだ」って、学園ドラマの中の無邪気で残酷な少年同志のいざこざぶっていますけど…かなり違うような…
実際にはロバートには会ってないんでしょとsamに聞かれたモリッシーによると、なんと、2000年代にロンドンで鉢合わせていたそう!!
「奇妙なことに、10年ほど前、バッキンガム宮殿の近くのパブにいたとき......彼がいたんだ......対立しているかのようにじっ~と見ていた。1983年に私が何を言ったとしても、私は道義的な責任は取らない......結局のところ......誰が取るんだ?」
反省しているようなしていないような…でも35年ぶりの新事実もわかったインタビューでした!
そしてまだまだ、つづく。
→つづきはこちら その6