2度のオスカーノミネートを果たした人気俳優ジョナ・ヒルの監督としてのデビュー作『mid90s ミッドナインティーズ』。
本国では2018年公開でしたが、日本でもこの9月4日から始まりました。大好きな『ムーンライト』や『レディ・バード』などを制作した映画スタジオA24の青春映画だと聞いて、何となく観ようかな~と思っていたら、劇中でモリッシーのあの曲が使われていると聞いて!!本日やっと行ってきました。
私の編集担当M氏によると、「なぜ今こんな昔話を」「ノスタルジーが過ぎる」「昔を懐かしむ系に拒否感」「むず痒い」「なんで今さら」…とのことでしたが(だんだんモリッシー本担当者だからか??否定語のバリエーションが増えている…)「モリッシーのかかるシーンはいい」とのことで、「そこが良ければいいじゃん!」とワクワクしながら行きました。結論から言って、M氏ほど「スケボーカルチャー」との距離が近くない&ノスタルジーをあまり感じない自分は、素直に良かった!!(M氏も「結論はいい」と言ってるので、まあ好きだからこそ言うんだと思うんですけどねw)
ところでネットでは、「スケボーとモリッシー…なんで?」「モリッシーだけ90年代アメリカ感なくない?」という声も見ました。M氏は「シュプリームがらみでモリッシーがスケボーカルチャーの中で人気だからじゃないですかブツブツ…」と言ってたのですが、そもそも、なぜシュプリームがモリッシーを起用したのかもあるのでそれはおいておいてw(興味ある方はこちらに関連記事も)今回の背景にあるのは以下のことではないかと。
①90年代 アメリカでのモリッシー人気
90年代くらいからスミスやキュアー、ソロとしてのモリッシーはアメリカでも大人気。モリッシーの『ユア・アーセナル』が1992年にビルボード100のチャートで21位になった時には「巨大な爆発」(本人曰く)が起きたそう。ハリウッド・ボウルのライブは、マウスを1クリックする間に売り切れたそう(本人曰く)。
「どのアメリカの都市でも、モリッシーへの集団ヒステリーが起きた。あまりにもすごかったので、ありそうもないこととして記憶のファイルに閉じ込めてしまった」
(『モリッシー自伝』232ページより)
まあ、そんな感じで90年代といったらアメリカのユースに、すでに「ロックの教養」のようにスミスは浸透し、またモリッシーもソロアーティストとして確固とした地位を築き始めた頃。90年代にカリフォルニアにいた友人は、「特に好きでなくても、グランジのようにシーンを席巻!みたいな感じでなくても、スミスだかモリッシーは(←区別がつかない)お店やダイナーで自然に鳴っていた音楽。そしてけっこうみんな好き」とも言ってました。
モリッシー自身はそんな90年代のアメリカでのスミス人気には、他人事のように呆れ気味でしたけどね。自伝では、もうどこにも見えないのに、ないのに、「ザ・スミスやは『よく効く』言葉だった」と自嘲気味に当時を振り返っています(239ページ)。スミスが終わってはじめて、イギリスの若者だけに限らない青春の慟哭や世界への失望や怒りを歌ったスミスの普遍性が、少し遅れてそのまんまアメリカにも(そして世界にも)本格的に派生してきたということでしょうか。
②スケートボーダーからの人気
先述での「シュプリーム」での起用(そのおそろしい経緯はこちら)もしかり、モリッシーはスケボーカルチャーと親和性があります。
けっこうスケートボーダーは自分たちの技ビデオのBGMにスミスやモリッシーの曲を使ったりもしてます。カリフォルニアの老舗的スケーターブランドFLIPも、1994年にライダーを引き連れてカリフォルニア・ハンティントンビーチに拠点を移し、様々な映像作品をリリース。そのBGMにはスミスの曲を使っています。
カリフォルニアに本社を置きスケボー用シューズを主に製造してる「ラカイ」の販売した、こんなTシャツも!
他にもモリッシーモチーフのボードも売っているのを見ました。
何じゃこりゃ…
2015年ですが、サンフランシスコのスケーターマガジン「スラッシャー・マガジン」のサイトはモリッシーの独占インタビューを掲載していました。リーダー層にニーズがあるからなんですよね。
③監督ジョナ・ヒルの直訴
ジョナ・ヒルはLA出身。ということは、ここでサンフランシスコ生まれのボーダーでミュージシャン、トミー・ゲレロも語っていますが、アメリカでの主流モリッシーガチ勢、ヒスパニック系が支えている彼の絶大な人気を十分承知。ある意見では、「ジョナ・ヒルは若い頃、近所のヒスパニックのボーダーとつるんでいて、モリッシーやら彼らの音楽志向の洗礼を受けたのではないか」とのことでしたが、彼は比較的裕福なエリアの出身なので直接的にそんなつるんだりしたのかどうか…。
パンフレット内のインタビューでジョナ・ヒルは、インタビュアーに「音楽について聞きたいことがあります」と言われると、即座に
「モリッシーですか?」
と答えています。即座にモリッシーのことかと思ってしまう監督www 交渉での気苦労がうかがえます。
「モリッシーの曲は最初に許可を取りました。たくさん手紙を書きました。あまり音楽にかけられる予算がなかったのですが、僕がモリッシー宛に手紙を書いたら、返事が来て、曲を使用する許可をくれました」
って、ジョナ・ヒルの田中正造的直訴が、モリッシーを動かしたようです。モリッシーが許可するなんて!!!それは、この映画の内容を観たのか観なかったのか(きっと見せろとは言ってきたに違いない)、、、気に入ったのだと思います。自分の歌が「おや、ぴったり⇒OK!!」と思ったのだと思います。
おっと長すぎるので…映画の内容に関しては後編で!