子どもの頃、浅草寺から出てきた人達を母が「シャキョウの人たち」と言っていた。シャキョウとは、写経。子どもだった私は、もうお経はあるのになんで書き写すんだ?コピーでいいじゃん?と思い、なんでそんなことするのか聞くと母は、心が落ち着くのだと言っていた。また、ありがたい言葉を書くことで敬意を表すみたいな。
なんだそりゃと思ったが、その後中学生になりザ・スミスの歌詞を書き写しながら、その意味を知ることになる。
心が落ち着く、同時に熱いもので満たされる。
詞とは、詩とは、不思議だ。
たった短い言葉なのに、読むたびに自分の心の状態で受け止め方が変わる。何度も読んでいても、新たな意味や解釈を発見する。13歳で出会って約40年経つのに、モリッシーの歌詞に対する感情は変わる。
詞は変わっていないけど、私が変わっている。でもどんな自分にも、いつでも響く。
3年前、50歳を迎えた時に、死ぬまでにやりたいことは2つあると思った。そのひとつは、まだ終わってはいないけれど、8合目くらいには来た。そろそろふたつめのことを始めてもいい時期が来たと思った。
そのふたつめとは、モリッシー全40年のキャリアの全歌詞に向き合うことである。
歌詞翻訳、ではなく「向き合う」。今まで日本盤不随のものも含めて歌詞の翻訳はたくさんあるし、絶版だけど『モリッシー詩集』もある。今の時代、自動翻訳もあり、「日本語で読むこと」には誰も困らない。しかしモリッシーの歌詞は、シンプルなのに難解で、解釈も人それぞれであって、終わりがない。そして先述のように、自分の状態によって受け止め方も変わる。
そんなわけで、歌詞の研究と解釈を進めていこうと思った。それで「向き合う」と書いた。誰のためでもなく自分のために、写経スピリットで。
ザ・スミスの70曲と合わせ、ソロキャリアも入れて300曲以上…。死ぬまでの終わるかわからないけれど、少しずつ。時系列の順番通りではなく、ザ・スミスもソロも混ぜながらかも…ということで更新したものは随時お知らせします。