2022.06.18(土)
一昨日だったかなあ、不気味なほど鮮やかな真ん丸のオレンジの太陽が木々の間に消えようとしていた夕暮れ。
不吉なものをイメージさせる光景だったのに、なぜか頭の中をスピッツの「アカネ」が流れる。アルバム『ハヤブサ』のラスト曲。
アルバムのラストを飾る曲は、一曲目と同じくらいに記憶に残り、好きな曲がほかにあっても語りたくなる不思議な力を持っている(と思う)。
「アカネ」を聴くと、2000年の、今よりそれなりに若かった私の、少しだけ不安定な夏が、おぼろげながらではあるけれど浮かび上がる。
歌の主人公は、この前見た、あんな不気味な太陽ではなく、「朱くかすむ 夕日」を待っているんだけど。
「悲しい日には 新しい歌 ひとつ/遠く 歩き出そうか♪」
なんて柔らかくて密やかな決意なんだろう。
こうやって、日常の小さな壁や心残りを見送れたらいいのに。
昨日は締切りを1つクリアして、久々の友人たちに会うことができた。
京都に戻る仕事の友人を新横浜で2時間話して見送る。2年ぶりに会えた。次はいつになるだろう。
そのあと会えた友人も半年ぶり?
同世代の人たちと久しぶりに会うと、なんとなく年とったなあ、とか感じて、それはきっと相手もそう感じているんだろうな、という悲しい現実を突きつけられる(笑)。しかたない・・・。
でも、みんな元気だ。毎日が楽しい、と言う。救われる。こっちは「??」な状態だから、気おされてしまうけど。
本音はなかなか言えないから、最近は「みんな人それぞれだよね」を便利に使ってしまう。それでもう、話は深く潜っていけなくなる。
昔はどうだった? と自分に問いかける。
相手次第だけど、もう少し本音を言ってたかな。
私の言う本音は、冷静な発言ではなく、わがままだったり、言いっぱなしだったり・・・、そんなくだらない発言だけど。でも、それがあるから親しくなれる、という時代があったなあ。
何を言いたいのか伝えたいのか、わからなくて、会話が上っ面でふわふわすることもある。こういうとき、私のもやもやをうまく言語化してくれた友人は、早々に私の前から姿を消してしまったな。
戻って、相方を相手に世間話をしているとき、「ここだけの話ね~」と笑いながら、思いきり「本音」を浴びせて、相方を苦笑させてしまった。
友人夫婦が市民農園で育てた野菜をたくさんいただく。
見事なジャガイモとキュウリ(これは一部)。
昨夜はさっそく、ジャガイモをみそ汁の具に、キュウリは南蛮味噌(と書いてある)とマヨネーズをつけてガブリ! 美味でした。
さっき、大好物のニンジン多めのポテトサラダを作る。
夕方に近所の小学生を3人あずかるので、おやつにするかな。
そういえば、コロナの日々を経て、友人はもうライブにはあまり興味を持てない、というようなことを言っていたなあ。
ずっと以前にはスピッツのライブに一緒に行ったこともあるんだけど。
最近はそういう話もあまり出なくなったし。それはそれでしかたないか。
でも違う趣味を得て生き生きしている姿は、本当に頼もしいかぎり。
最高裁は、原発事故の国の責任を認めず
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220617/k10013676431000.html
長期評価が信頼に値するものであったかどうか、震災前に巨大津波を予測できたのか、などについてこれまで進められてきた議論については明確な判断は示されなかったことに違和感を感じる。
「対策をとっていたとしても、あの巨大な津波では事故は防げなかった」は、想定したものと実際の地震や津波の規模がかけ離れすぎていて「しかたなかった」ということか。
これほどの災害によって原発事故が起きても、国にはなんら責任がない、は、普通の感覚ではありえないと思うのは私だけではないだろう。
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