ななごの部屋(リウマチとともに)

リウマチのななごはレミケード→エンブレル→アクテムラに。インターネットはメルヘン入り口。2006.8/5より。

俳句大会

2008年08月10日 | つれづれ
晴れのち曇り。
午後から俳句大会に出かける。

金子兜太先生の講演会
「晩年の一茶」

一茶は50歳で故郷へ帰り結婚、子どもは5人。
4人は死に、一人、一茶の死後、生まれる。
その子孫は未だに残っている。

奥さんは3人いた。

晩年という意識が当時の文人の間で流行る。
52歳で初婚の一茶。人柄も良く文化人。
27歳の農家の娘と結婚する。(菊さん)

「50婿うちわで隠すあたまかな」

子どもは男3人女2人。
2番目の娘さんを、ほうそうで亡くす。

その後、一茶も中風(脳出血)で倒れる。(57歳)
60歳で治る。

4人の子を亡くした後、妻、菊も亡くなる。
次に、ゆきさんと結婚。
ゆきさんは武家の出戻りであったが、まもなく離婚。

次は、一茶64歳で結婚。
不義をしたという美人の やお。
翌年 やた(女の子)が生まれるが、一茶が亡くなった後である。
一茶は52歳までは女運が悪い。

しかしそれ以前にも2人の気になる女性がいたようだ。
折本花喬(未亡人)
も、その一人。
相手にされなかったのでは…

娘さとの死が心の痛みとなり、
句文集「おらが春」

「蛍来よわがこしらえし白露に」

「とにかくも貴方まかせの年の暮れ」
浄土真宗への思い、
阿弥陀如来に甘えていた、と思われる。

残したいと思ったら、口で言うので無くメモを残すこと、残してくれる人を大事にすることだと金子先生は言う。
一茶は、毎日、簡単なメモを残している。


以上は、聞いたことを書いたもので、
句の明記も間違いがあると思う。
内容も、私なりの理解です。ご了承下さい。
私のブログも簡単なメモ感覚のつもりです。