ななごの部屋(リウマチとともに)

リウマチのななごはレミケード→エンブレル→アクテムラに。インターネットはメルヘン入り口。2006.8/5より。

春の窓

2007年01月31日 | エンブレルと入院2007
AM6時、体温36.6°

晴天。今日は気温が上がる予報です。春近し。
PM2時、入浴。
体温37.1°

静かで、のんびりとした午後。
洗濯に挑戦。病棟のお風呂の隣りに2台の洗濯機がある。

どうも歩く時、左膝に違和感があり、もちろん腫れているので長く歩けない。大丈夫かなあ…

PM6時、体温37.0°


★今日の夕飯
ご飯
紅茶豚
里芋と焼き豆腐の煮物
キャベツの胡麻和え

★俳句習作
自己注射(エンブレル)腹を凝視の清水(きよみず)舞台

春隣病室の窓鉄塔の夕日

春眠や銀河の駅の病室にいる

エンブレルNo.2

2007年01月30日 | エンブレルと入院2007
早朝5時30分、採血。
起こされて、びっくり!(ねむたい…)

検尿もあるのでトイレへ。
真っ赤な朝焼けが暗い空を染めている。

AM6時、体温36.5°

雪の富士山がみえる。今日、Mさん退院。
紫のTシャツにキラキラが入る。下はジーンズがスリムな体に良く似合う。お元気でね~

部屋の人達が、私の歩き方がよくなった、と言ってくれた。
お~、エンブレルが効いてくれているのか…

AM10時30分、足音をたてずN先生登場。

エンブレルしましょう!
今日は、先生が打ってくれる予定。
薬を合わせて、混ぜて溶かして、注射器に戻し、針を入れ、空気を抜く。

お腹をつまんで、注射器を射す。…手が悪いので、できるかなと思ったけど、なんとかなった。

先生が打ってくれるのかと思ったけど、
自分で射して!
と言われ…え! え! え!
注射器をもったまま、自分のお腹を凝視。

窮地に立たされた心境。
ええい!ぶすっと射す。
痛い!!!
離せないぞと思いながら、注射液を入れて行く。
でもなんだか指が痛いし、押すのに力がいる。
手が腫れて痛い時は、打てそうにない。

えらく緊張した。

自己注射を自分でするのって、こんなに抵抗があるなんて…

エンブレルを自己注射している皆さん。
こういうのを週に2回、ずっと続けていくなんて…お疲れさま。

ななごも自分で打てるように頑張ります。

昼食の後、だるくなり眠ってしまう。

目覚めてPM2時、検温。体温37.5°

PM6時、体温37.0°
体調は少しづつ良くなっているよう。

先生が、朝の血液検査の結果を持ってきてくれる。CRP5.4
エンブレル効いているのかな…
安静にしているというのもあるかも、と先生。
あくまでも慎重な言い方。

★今日の夕飯
ご飯
ぎせい豆腐
炒り鶏
ごまれんこん

★俳句習作

春光や病室に入りうなじに留まる

日がのぼるしずむ病窓またのぼる

ぼんやりと春病室はまた食事

内科病棟しずかに鮫が暴れ春

つかのま、あいさん

2007年01月29日 | エンブレルと入院2007
朝から曇り空、

AM6時、体温36.8°

PM2時、体温37.0

妹がやって来て洗濯をしてもらう。

午後から陽が射して、お昼寝日和。こくん

!!!はい!

え~、あの…あいさん登場。

外来に来て、時間があったら寄ってくれるようなことを聞いていたけれど、すでに午後、帰ってしまったんだな~と思っていた。

あいさんはエンジのセーターで、胸元にはブローチが。
きれいなキチンとしたお姉さんという感じ。病人には見えなかった。

(あいさんは、締切りに追われるマンガ家のような人を想像していた。失礼。なんと私の想像力の乏しいことか…)

話すことがいっぱいありすぎて、へんに、ドキドキ!何からしゃべっていいかわからない。

あんまり時間が無いようで10分位で帰ってしまった。
もっと、お話したかったのに…

あっというまの出来事だったけど、夢が現実になったようでシアワセ。

しかし、キチンとしたあいさんとパジャマの入院姿、化粧もしてない私が一緒に写真を撮った。
私はサルのようだ。うきゃ

PM4時過ぎ、教授回診。エンブレルを4回やって、効果が現れたら退院?のようだ。

PM4時30分、入浴。

PM6時、体温37.0°

今日の夕飯
ひじきご飯
カニ豆腐
青菜とツナの大阪和え(マヨネーズとかつおぶし和え)
オレンジ



春の陽の日曜日

2007年01月28日 | エンブレルと入院2007
AM6時、体温36.5°
エンブレルが効いてきているのか、いつも、体温37°以上あるのが今日は無い。

この病棟はお見舞いの生花もダメで持ち帰って下さいと言われる。菌がいる可能性があるからだろう。

以前、サンゴ(息子)が母の日のカーネーションを持ってきてくれたが、持ち帰ってもらったことがある。

PM2時、体温37.1°

PM6時、体温37.0°

明日は天気が崩れるそうです。

★今日の夕飯
ご飯
甘鯛の粕漬け焼き
じゃが芋の旨煮
青菜ののり浸し
ミルク


★俳句習作

つやつやのほっぺで退院寒の空

遠い咳しずかな食事春の病室

エンブレルNo1

2007年01月27日 | エンブレルと入院2007
AM6時、体温37.2°

晴天。
相変わらず手は腫れて痛いし、節々も痛い。

AM11時、N先生やって来て採血、エンブレルの注射ブチュ。

本日同室の一人退院、空きベット一つ、に新人2人、入院。

午後2時、体温、37.5°

それより急にだるい。体が重い。
塩をかけられたナメクジみたいに、どろんと溶け出しそう…

昼寝すると楽になる。
桃色夕焼けがきれい。

PM6時、体温37.3°

★今日の夕飯
ご飯
鮭の南蛮漬け
焼き豆腐の旨煮
かぶの梅風味和え


★俳句習作
現実という空想世界冬銀河

整列する鶏の話と春の窓

なにげない話とぎれる寒の星

大変な治療されている方も、気分はわるくないようで、ゆったりと部屋の人達と話をしながら、窓に日が上り、日が沈む。



きのう入院

2007年01月26日 | エンブレルと入院2007
起床AM6時前、すごい寒気がした。

検温37.7°
朝は辛い。こわばっているし、節々は痛いし、よたよたとトイレへ行く。

シーツ交換。

AM11時過ぎ、耳鼻科外来。シゲ先生。

「…リウマチの薬を変えるので入院してます。時々、チューブが入っている右耳がキーンと痛いんです」と私。

2005年5月、レミケードを始める前に右耳にチューブを入れた(滲出性中耳炎)。

診察しながら、「チューブが浮いてる」
と言いながら、痛いと言った瞬間、先生がチューブを抜いた。
取っても聞こえ方は変わらない。

病棟に帰ると前の主治医に会う。
手をふると、出て来て話をしてくれる。

エンブレルは効きかたがゆるやかだが、早く効果が現れる場合もあるそうだ。

生物製剤の新薬2剤は今年中に出るようだ。

1.アダリムマブ(商品名ヒュミラ)TNF-α阻害剤。2週間に一度、皮下注射。

2.トシリズマブ<MRA>(商品名アクテムラ)IL-6レセプター抗体。点滴。

これでエンブレルが効かなかったら、半年待って、新薬かな?と言っていた。
冗談か、本音か…

入浴。

担当医N先生、現れる。レントゲンを見てレミケードを始める前に撮った手と足のレントゲンと昨日のを比べる。

骨の変形はほとんど進行していないそうだ。よかった!

その後部屋に戻ると、N先生が、明日からエンブレル打ってもよいという許可がおりたよ、と言いにくる。

明日、午前中にエンブレル打ちます。


★今日の夕飯
ご飯
チンゲンサイと厚揚げのスープ煮
ブリのホイル焼き
なます

★俳句習作

ご遺体という言葉を耳に冬銀河

朝焼けを浴びるいのちよ寒の月





入院

2007年01月25日 | エンブレルと入院2007
昨日、入院の準備に追われ、家の片付けをしたりでいつもより寝るのが遅くなる。

朝9時30分に家を出て、10時20分にS大学病院到着。

手続きを済ませ、病室へ。

通路側のベットになる。
体温37.8°
酸素97

採血6本
きのう疲れたのか、左膝がブックリ腫れている。熱感もある。

PM2時の検温、
体温、37.7°
血圧、122/70

心電図。レントゲン、胸1枚、手2枚づつ、足2枚づつ

窓から、夕焼けに映える富士山が見える。

PM5時30分、担当医登場。女医のN先生。
よく話を聴いてくれていいかも…
どうやらエンブレルになりそうだ。
PM6時検温、体温37.2°

今日の夕飯
ご飯
金目鯛の照り焼き
おでん風
柚子味噌豆腐


俳句習作
病室の会話とぎれて冬の空

病棟に亡き友の影追い寒の入り



リウマチ膠原病内科

2007年01月22日 | 2012病院外来
朝、9時に家を出て、S大学病院へ。

近くの病院でT教授に診てもらっていたけど、先生が忙しく先週も代診だった。
CRP7.9というのも気になるし、
早めに対応しないと他の病気が出てきても困る…
しんどいというのもある。

AM10時、S大学病院到着。
受付で事情を話す。
紙を渡され手短かに来院の理由を書く。


1月11日木曜、T教授の外来(自宅近くの病院)でCRP7.9だったので薬を変えようか、というお話もあったのですが…
左人工膝関節の寿命のせいかと思い、整形外来を受診したところ、
「左人工膝関節のせいで炎症反応がこんなには上がらないよ。」と言われ
1月18日木曜、T教授の外来に行ったけれど代診だったのでこちらへ来ました。

こんなふうなことを書き込む。
最初違う先生の問診を受けてからのように言われたので、
他の先生が見ても分かるように書く。

病歴が長いと、どこまで書いたらいいか考える。

受付の女性は、T教授が診てくれるかわからない。としきりに言う。
しかし、しばらくして
「T教授が診てくれるそうです」
と言いに来る。
アタリマエだと思うんだけど…
確かにT教授は忙しいかもしれないけど、
私の主治医なんだし、具合の悪い時、代診だなんて…不安だもの。
薬を変えていかなければならないようだし…

そして診察室へ。

血液検査のデーターとかは私の家の近くの病院にあるので、私の記憶が頼り。
自分のデーターは把握してないとね。

薬を変えるにあたり、入院して、
肺とかの検査をちゃんとしてから変えて行きましょう!ということになる。
入院は2週間位。

とりあえず、予約をしてきた。

帰り際に血液検査と尿検査をしてくる。

PM1時30分帰宅。

車の中は暖かく春の陽射しだった。



新年会と電話

2007年01月20日 | その他
今日は某ギャラリーで新年会がある。

体調不良だし欠席しようかな…と思っていた。
あ、でも車にガソリン入れないと、
気分転換になるかな、と思い、ゆっくりと出かける。

ひさびさに会う友人達。

今回はIさんが結婚し、おめでとうの意味を込めての撮影会あり、ミニコンサートあり。

わざわざ千葉から出席の版画家Oさん。
結婚おめでとうの意味を込めた版画のプレゼント。
裏にサインと猫2人の絵をマジックで書く。<ふたりならだいじょうぶ>と一言まで。

撮影会のカメラマンは、東京から出席のプロのAさん。

みんな、少し変わって見えるかもしれないけれど思いやりと情熱とユーモアに溢れた人達だ。
こんな、素敵な人達が集まるのもオーナーの人柄なのだろう…

少し早めに帰宅。

リウマチの友人Mさんから電話あり。
まだ、入院しているそうだ。

昨年5月に首の手術をした時のワイヤーが切れ12月に再手術。
大学病院から先生を二人呼んでの大手術で12時間かかったそうだ。
骨の移植をめいっぱいしたそうだ。

「やっと電話できるようになって」と言っていた。
私が年賀状を出したので気を使っていたようだ。

「首は固定になったけど、自分でご飯がたべられるようになったよ」とも言っていた。
「よかったね」

Mさんのご主人は本当によくできた人で、普通以上に気がつく人だ。
羨ましいかぎりである。

私も体調不良で困ったものだ。
痛くてアタリマエになり、痛いのを考えないようになっている。
それでも痛い時は痛いのだ。吐き気、微熱。

今の時期は体調が悪い人が多いようだ。
私も体調不良なのに、具合悪い話を聴くこととなる。
体が悪い人が、だんだん歳を重ねるのだから、あちこち故障してくる。

さみしい気もするがニュースの事故に遭う子どもや若者を見ると、私が代わってやってもよかったのになあ、とふと思う。 



無駄足

2007年01月18日 | 2012病院外来
今日は快晴!
家をAM9時に出て、k病院の内科外来へ。
おととい、電話したらすでに予約はいっぱい。
直接行き、診察してもらおうと思う。

T先生は途中から来られることもあり、AM11時30分まで、待ってみようと思う。
看護師さんに、
「炎症反応が高く、薬の調整をお願いしたいのだけど代診の先生でなくてT先生にお願いしたい!」と言う。
「炎症反応が高いのは膝の人工関節の寿命のせいかと思ったのですが、整形の先生にリウマチのせいと言われました。」
と言い、T大学病院からの手紙を出す。

そうしたら、看護師さんが代診の先生に話をしてくれて、今日はT先生は来られない、ということだ。

私は、ガックリしてしまう。

そうして、来週、S大学病院の膠原病リウマチ内科まで行こうと思う。

帰りにコンビニと本屋に立ち寄り、いつもの珈琲店へ。
相変わらず客は私一人。
途中、豆を買いに来た人がいた。
パソコンのマックの画面を見せてもらった。色が違うふうでびっくりした。
パソコンによって色の出方も違うようだ。

店にいたら頸椎損傷のN君から電話があった。
左の肘のじん帯が伸びて痛い。病院に行ったら手術か装具かと言われ、手術しても完全には良くならないといわれたそうだ。かなり、落ち込んでいる。私も落ち込んでいるのよ。
N君は、ご飯も食べられないくらい落ち込んでいるという。
ご飯は食べて落ち込こんでね、と言っておいた。

なんだか今日は手全体が痛い。

家に帰り、S大学病院の膠原病リウマチ内科外来に電話。
月曜、水曜がT教授の外来日だそうだ。
必要とあらばT教授が診てくれるそうだ。代診の可能性もあると言われる。
電話口の女性は、あんまり感じいいとは言えない。
とりあえず、月曜日に行くことにする。

炎症反応が高いままでいるのは本人も辛いのだけど、変形も心配だし、他の病気が出てくる可能性があるのではないかと思う。

整形の先生はレミケードを増量したらどうか、と言っていた。
しかし、12月14日にレミケードを打ち、4週後には、CRP7.9。
増量したところで、CRP0は無理だろう…
そんな気がする。

エンブレルにしようかなと、ふと思った。

これは私の考えで、先生にお任せするしかない。
左膝の人工関節のせいで炎症反応が高い、と私は思いこんでしまった。
それで失敗したので、あまり、思い込みは止めようと思う。




整形外来

2007年01月16日 | 2012病院外来
朝8時に出発、妹の運転で東京のT大学病院へ。

AM10時30分、到着。
レントゲンを両膝、右足指、を角度を変えて数枚撮る。

それから体調が悪いのを話して、S教授に診てもらいたいと話す。(S教授はPM2時で退室。代診になる)
AM11時予約はPM2時頃になってしまう。

看護師さんに話したせいかPM12時30分頃診察。

「左膝のせいで、こんな高いCRPにはならないよ」
とS教授。

私は、左膝の人工関節が寿命のせいでCRPが高いと思っていた。

リウマチのせいだそうだ。
レミケードが効いてないのだそうだ。
レミケードの量を増やしたらどうか、と言っていた。

そして、今度の予約は4月10日。

えー、えー、えー、
それってレミケードが全然効いてないということ…

私は、今日入院になることもあるかな、と思い入院に必要なものを、
少なめだけど揃えて来たというに…

微熱、CRPが高いこと、軽く吐き気、節々が痛い。
みんな、リウマチやろうのせいだったのだ。

帰りにコーヒー店に寄り帰宅。

あさって、内科外来に行ってリウマチ薬の相談をすることにする。
レミケード増量か、エンブレルか、新薬か、波乱の2007年の予感。
自分がどうしたいか、考えておこう…

リウマチ内科外来

2007年01月11日 | 2012病院外来
今日は、内科外来の日。
股関節が痛かったり、頸椎が痛かったりするから、予想でCRP5は行かないといいな…と思っていた。

ただここの所、早朝、寒気がするので、炎症が高いのかな…とも思う。
リウマチからの微熱は以前は毎日のようだった。

測っても、だからどうということもないので、かえって気持ちが萎えるので、面倒というのもあって測っていない。

病院にAM9時半頃到着。
血液検査、尿検査、レントゲン。

本日は代診予定だったがT先生がAM10時30分頃から来られたようだ。
AM11時すぎに名前を呼ばれる。

CRP/7.9
MMP3/800以上(12月)
レミケードをして4週間めにして…
私も、余りの高さにびっくり!!
リウマチ以外の値は問題なく、
先生は薬を代えようか(エンブレル)?とまで

しかし、左膝が腫れているせいで(昨年右膝人工取り換えを行う、左も…)CRPが高くなっているとすれば手術をすれば炎症反応(CRP)も落ち着く可能性もあるかもしれない。

「レミケードが効かないとエンブレルも効かないということもあるかもしれない。その時は別の薬を考えます」と意欲的に話されていた。
「それって、新薬とかですか?」
「そうだよ、そうなったら大学病院まで来てもらうことになるけど…」
(それって治験とかのことも含めてかな)
小心者の私に不安がかすめる。

先生は私を元気づけようとしていろいろ言ってくれていたようだけど、アマノジャクの私は(新しい薬、試したいのかな)と少し思った。
体調が悪いとネガティブになる

来週、火曜日の整形外来の結果次第ということで、話はまとまった。
自分的には、そこまで炎症が高いとは思えない。
やはり左膝人工入れ替え手術をするようになるのだろうな。

それから薬の調整ということになりそうだ。早く落ち着きたいものだ。

帰りに薬局により、買い物をして、熊マスターのいる珈琲店へ。
しばらくいたかな。
PM1時30分位から1時間位。
そのあいだ、客は私一人。HPもマックだと見づらいらしい。
帰り際に、お客さんが2人ばかり入ってきた。

本日はレミケードをしないので早めの帰宅、でもないか(PM3時)…
風邪から肺炎になると手術もしばらくできなくなるから、それだけは気をつけようっと。

朝、病院でN君に会った。N君は27歳の頃、交通事故に遭い頸椎損傷、結婚まで決まっていたのに4年?にわたる入院。結婚も断った。
お母さんは入院先の千葉まで、埼玉から毎日通ったとか…
今は40代。車椅子生活だ。
顔色は悪くないが、肘が痛くて、と言っていた。

もう一人、頸椎損傷の友人がいる。
褥瘡(じょくそう…床ずれ)もひどくすると大変なようだ。
手術して、縫い合わせたり、皮膚を移植したりもするそうだ。

やはり、人は動いている生き物なのだ。
同じ体勢は良くないのだと思う。

また、リウマチの友人のMさんは去年オペした首のワイヤーが切れ、この病院に入院中だとか…


診察後、私は、CRPがあんまり高いので、動揺していたのか、知らない人に、話かけられたのだが…もっと話したそうだったが…

ま、なるようにしかならないよな、と思う。とりあえず、入院の準備をぼちぼちってとこかな…

16日(火曜日)の整形外来で今後のことが決まりそうだ。

俳句教室と新年会

2007年01月09日 | 俳句
今日は俳句の会の新年会。
ホテルSでAM10時から俳句会。PM1時から新年会。
この日のために体調を整えていた。
頚椎が痛いので、首の下の方と、腰にカイロを貼る。
すると、痛みが良い。(ぽかぽか)

自宅から車で10分位の場所。

サンゴ(息子)も今日から大学が始まる。
朝、ゆっくりでいいようで、顔を見ずに家を出る。

近くに車を止められ、3階の会場へ。
前から2列めの席に座る。

ううん…今日の成績は、いまいちだった。
問題作、佳作、準秀、秀逸。に金子兜太先生の独断で分ける。
また、添削もしてくれる。
話が横道にそれるのも、また楽しい。

今日は成績のいい人は先生が自宅にある本を持ちよりプレゼントしてくれる。
ギリギリ、ななごももらえた。
2007詩歌句年鑑というのをもらった。ラッキー!

それから場所を2階に移し、新年会。
飲み物はビール、ジュース、ウーロン茶。
先生の話。当番の人たちが挨拶、乾杯、一人一人自己紹介をして50人位いるから、全員すると結構、時間がかかる。

その後ビンゴゲーム。
それが、クジで当たったことがない私が2番目に揃った。ビンゴ!!
今年は、なんか良いことありそうな…
賞品は本。
現代俳句の300人(毎日新聞社)をもらった。

いろんな本を1冊づつ、全員がもらうと終了。
それからカラオケ。
金子先生も歌う。最後は、秩父音頭でしめる。

クジ引きで決めた席で隣は俳句会のデパートの男性。たれぱんだのネクタイをしている。小さな、たれぱんだがいっぱい。ネクタイが、気に入った。(60歳)それで気さくに話ができた。
右隣はIさん。群馬から来ているという。

ななごは、この俳句会では一番若いのだ!!
しかし、ななごより皆、元気そうに見える。
今年は、いい句を作るよ

帰宅しても、思ったほど疲れていない。
気持ちが、新たになり意欲的になった。



岩塩

2007年01月06日 | その他
今日は雨。
鶏ちゃんは外を眺めてます。

昨日、PM1時NHKテレビに五木寛之が出演していた。

彼は旅行する時いつもこれを持って行きます、ときれいな巾着袋をだした。
なかには岩塩の塊が入っていた、赤黒く光る石のように見えた。
彼は疲れるとそれをなめるそうだ。インドへ旅行した時も持っていたとか…

女性アナウンサーもなめさせてもらい、
「しょっぱいけれど、ほんのり硫黄(いおう)の薫りがします。」
と言っていた。

夕方になって妹が少し顔をだした。
その話になると
「え!それ、私持っているよ」
ということになり、2階へ。

持ってきたのは、ビニール袋に入っているピンク色の粉のような物で、ところどころ固まっている。
「10年位前の物だけど…」
妹のことだから、もっと前ということもありうる。
すると、妹はおもむろにペロリとなめた。

それで私もなめてみたら、確かに硫黄の薫りがする。
岩塩をくだいた物のようだ。

その後、母もなめてみた。

今朝、サンゴ(息子)にもその話をして、なめさせようとしたら、
「お腹の調子が悪いから止めておくよ。」
と言っていた。

今のところ私のお腹の調子は大丈夫だ。

午後になり雨足が強くなった。


かんちがい話

2007年01月02日 | その他
正月になると亡父のことを思い出す。
父は早起きで、正月のお雑煮はいつも父が作り、家族が起きて来るのを待っている。
しゅうゆベースの雑煮で大根、人参、里芋、ささみ、なると、小松菜、みつば、が入っている。
それを大きな鍋にいっぱい作る。

いつもより、にこやかな父は、お屠蘇を呑み餅をたくさん食べた。

15個は食べると言って自慢している。実際はもっと少しだったらしいが…
私は餅をいっぱい食べた方が偉いのかと思っていた。
私も5個位は食べていたと思う。(小学生の頃)

少し成長して友人が1個か2個くらいしか餅を食べないと聞いてびっくりした。

父はタコが好きで、タコと酒で顔を赤くしていい気分で雑煮をたべていた。
最後の方になると餅が溶けだしてやわらかくなる(汁が濁ってしまうのだが)のも好きだったようだ。
私も嫌いではない。

また達筆で、年賀状の文字も美しかった。

おまけにもう一つのかんちがい話。

麦茶のこと
母はなぜか麦茶にいつも砂糖を入れていた。それで、私は麦茶というものは甘い飲み物だと思っていた。
友達のところで麦茶を出してもらい、びっくり!
これって麦茶じゃない、と思った。
友達に言ったら友達の方がびっくりしていた。

夏みかんにも砂糖をかけて食べていた。

もちろん今はそういうことはしないけど…

父は酔うと小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を歌っていた。
昭和4年に生まれ、昭和63年に他界した。
昭和に生きた父である。