若い人たちの作る歌で意味不明な歌がある。
たしかに、飛躍していて判読しがたい歌もあるが、
作った本人も意味不明なのではないかと疑いたくなるような歌もある。
もちろん、こちらの読解力不足というこちらに問題のある場合もあるが、
しかし、歌というのは意味が通ってこそ歌だと思うのだが、
そうは思わない人達もいるようだ。
先日の「塔」全国大会での永田和宏氏の演題は「前衛短歌を振り返る」で、
前衛短歌というのは、前衛絵画などもそうであるように、
「わかりにくさ」が売り物みたいな歌である。
が、塚本邦雄の歌などは、わからないなりに魅力がある。
なにか伝わってくるものがあるし、言葉の配置などに芸術的な何かを感じることも多い。
が、最近の若い人たちのわからない歌というのは、年代の差のせいもあるかもしれないが、
まったく意味不明であるものが多い。
それをわかったような顔して解釈する年配の歌人の方もいられるが、
私にしてみれば、
「裸の王様」の裸が見えているのに、服を着ていると嘘をついているようにも見える。
わからない歌はわからないのである。
それをわからないということは恥かしいことではない。
というのが、作った本人もよくわからずに発表しているケースもあるかもしれないから。
それなのに、そんな歌を新しい歌とほめそやす向きがある。
逆に、わかりやすい歌は平凡だとけなされる傾向がある。
私は、平凡であろうがなかろうが、自分の思ったまま、感じたままを詠った歌を買う。
なぜ変に気取った歌を褒めて、よく意味の通るわかりやすい歌をけなすのだろう。
私は選歌体制に問題があると思う。
上に書いたように、
わかりやすいという歌は平凡だからという理由で落として、
変に気取った、一読では意味不明な歌を選者たちが選ぶ傾向があることを問題に思う。
うまい歌、下手な歌の選別にも、しばしばこのわからない歌が顔を出して、
上手い歌かのように論評されることがある。
わからない歌=うまい歌ではない、と私は思う。
歌壇が若い歌人を欲しがっていることはよく理解できる。
が、今のように、訳のわからない歌を詠む人達を手放しでおだてていれば、
そのうち歌壇そのものが衰退するのではないかと私は危惧するのである。
たしかに、飛躍していて判読しがたい歌もあるが、
作った本人も意味不明なのではないかと疑いたくなるような歌もある。
もちろん、こちらの読解力不足というこちらに問題のある場合もあるが、
しかし、歌というのは意味が通ってこそ歌だと思うのだが、
そうは思わない人達もいるようだ。
先日の「塔」全国大会での永田和宏氏の演題は「前衛短歌を振り返る」で、
前衛短歌というのは、前衛絵画などもそうであるように、
「わかりにくさ」が売り物みたいな歌である。
が、塚本邦雄の歌などは、わからないなりに魅力がある。
なにか伝わってくるものがあるし、言葉の配置などに芸術的な何かを感じることも多い。
が、最近の若い人たちのわからない歌というのは、年代の差のせいもあるかもしれないが、
まったく意味不明であるものが多い。
それをわかったような顔して解釈する年配の歌人の方もいられるが、
私にしてみれば、
「裸の王様」の裸が見えているのに、服を着ていると嘘をついているようにも見える。
わからない歌はわからないのである。
それをわからないということは恥かしいことではない。
というのが、作った本人もよくわからずに発表しているケースもあるかもしれないから。
それなのに、そんな歌を新しい歌とほめそやす向きがある。
逆に、わかりやすい歌は平凡だとけなされる傾向がある。
私は、平凡であろうがなかろうが、自分の思ったまま、感じたままを詠った歌を買う。
なぜ変に気取った歌を褒めて、よく意味の通るわかりやすい歌をけなすのだろう。
私は選歌体制に問題があると思う。
上に書いたように、
わかりやすいという歌は平凡だからという理由で落として、
変に気取った、一読では意味不明な歌を選者たちが選ぶ傾向があることを問題に思う。
うまい歌、下手な歌の選別にも、しばしばこのわからない歌が顔を出して、
上手い歌かのように論評されることがある。
わからない歌=うまい歌ではない、と私は思う。
歌壇が若い歌人を欲しがっていることはよく理解できる。
が、今のように、訳のわからない歌を詠む人達を手放しでおだてていれば、
そのうち歌壇そのものが衰退するのではないかと私は危惧するのである。
もう新しいブログにお引越しをされてこちらをご覧になることはないかもしれませんが、こちらの記事にとても励まされたので是非お礼をさせて下さい。
私も1年くらい前から短歌を始め、最近歌会のサイト等への投稿も始めたのですが、秀歌と誉めそやされている歌が大抵意味不明だったり一目で読解が出来ないような内容のものが多く、自分の作る短歌はこちらで仰るところの「けなされてしまう解り易い短歌」としてほぼ見向きもされない現実が続き、短歌を作ることに向いていないのではないかと落ち込んでいた所でした。
わざわざ物事を解りづらく婉曲したり飛躍した表現をせずとも自分の感じたままを歌にすることが大事であると感じていたので、かみなり様の記事にとても励まされました。
現代短歌の風潮には恐らく私の短歌は合わないでしょうが、これからも自分の感じたことを感じたままに解り易く表現し続けてゆきたいと思います。本当にありがとうございました。失礼いたします。
https://twitter.com/ryu_kei0007
確かに若い方の歌でも年配者を唸らせるようなものもありますが、意味不明な歌も多いですね。
そんな歌を年配者が褒めるのは短歌を貶めていると思うのです。歌壇に若い新人がほしいという気持ちはわかりますが、これでは墓穴を掘っているようなものです。むしろ若い人達には厳しくしたほうが伸びしろのある若い人は伸びると思うのですが、そうしないベテランが多いのは困ったものです。
結社にははいらずに、ぼちぼち短歌を作っています。なかなか上達しませんが゚(;_;
若い方の短歌でも、いい歌!と思わせてくれる歌も
ありますが、良さがわからない歌がありますね。
ワケがわからなかったり、どうでもいいような歌…。
言葉は変わるものだとは思いますが、なんかのシンポジウムで、島田幸典氏は、「短歌は短く、定形であるけれども、詩歌であるのだから、詩歌の言葉で表現すべきだ」と言うようなことをおっしゃったのが印象的でした。
すみません、突然お邪魔しました。
ご自愛下さいね。
大先輩の思う率直なお気持ち、とてもとても胸にきました。私自身、何となく面白くて始めた短歌、このまま短歌続けていくべき?なんのために?どんなふうに続ける!?と、自問自答している時期でしたので、とても勉強になりました。続けている人は、結社というものにみんなどうやら入っていくらしい・・・という流れ、気になっていました。今は、投稿して、たまに入選して、ちょっと嬉しいという、ただそれだけです。
また、ぜひお邪魔させてください。
お体、お気をつけくださいませ。
とても貴重なお話、本当に感謝いたします。
ネット歌会で、嫌なお気持ちになられたのですね。。なんとなく、わかります。。私もそういう経験はあります。
出詠をお休みするのは、個々の自由ですし、長く続ける上で大切なインプット期間としても大事だと思うので、おかしな言い分は完全にスルーでよろしいかと思います!ショックを受けるのが、ネットでは洗礼みたいなところもございますので、気になさらず、自由にやっちゃってよろしいと思います!!
大きな短歌の文化の流れとしてみれば、やっぱり意味が何回で歌意が取れない、という意見も、大切な貴重な意見です。新しいものを生み出そうとして、今、移行期の試行錯誤の時代なのかもしれませんが、その雑多な中において、新しい挑戦をしているにしても、クオリティが低いものは低い、と評価されてほしいところではあります。おだてたら、文化は崩れていきますしね。
私は結社にも入っておりませんし、知識も乏しいので、発言権は弱いのですが、どんどん短歌を楽しんで、訳わからないのに評価をしている方への戒めとして、思うことを発信していかれていいのではと思いました。
勝手なことをお書きして、もし、失礼があったらすみません。20年もやられているのであれば、それは、まぎれもなくしっかりとした歌人としての物の見方であります。すばらしい一意見だと私は思いました。
私は、昨年までインターネット歌会に参加していたのですが、上の記事に書いたようなことを言うと、若い人に、結社誌に出詠を休んでいる人間は発言するなと言われまして、ショックを受けました。自分の歌はなかなか上達しませんが、それでも20年以上作歌していたら、人様の歌の良し悪しはある程度わかるようになります。それなのに、そんな短歌を初めて日の浅い人に偉そうに言われたのがショックだったのです。若い訳も分からない歌を読む人達を年配の歌人たちがおだてるのが悪いと私は思うのですが、そこまでして若い歌人がほしいのかとも一方では思ってしまいます。最近の短歌の傾向を見ているとやめたくなりますが、しかし、短歌は好きなので、続けているような感じです。長々と書いてしまいました。またお越しくださいませ。
最近の短歌が意味不明だ・・・
私だけがこう思っているのかな・・・
そう思って検索したら、こちらにたどり着きました。
同じ思いで、ほっとしました。
このような方が、ちゃんといらっしゃるのだと。
私も、数年いろんな歌に触れてきて、
いわゆる短歌をど真ん中でやっている
若い方たちの短歌が、
さっぱり良さがわからなくて
読むのは苦痛でさえあり、
本当に誰かに伝えたいと思って、
言葉を外部に発信しているのだろうか??と、
疑問の気持ちでいっぱいです。
私は、人生の真ん中あたりの中堅世代で、
どっちつかずの世代なのかと思いますが、
解釈が難しいなりにすごい作品と、
単純に意味不明で訳わからなくしただけの作品とが、
ごちゃ混ぜになって評価されているような気がしてなりません。
自分に自信があるわけでもないので、
私が間違っているのかな?と思いつつ、
これに価値を置いていって、歌壇は大丈夫なのかと、
そんな気もします。
古い投稿記事に突然コメントしてすみません。
あ、それについては、私も子供に叱られました。
娘の家に行ったとき、きれいにクリスマスツリーが飾られていたから、思わず写してブログアップしたのですが、娘に家の中を写さないでって、きつく叱られたのです。
ついやってしまいがちですね。
寧子さんも不快な思いをされてのでしょうね。
逆の立場になれば、いやなのに、ブログになると、ついやってしまうのは何故なのでしょうね。
でも、お料理を写されたのは、たぶん寧子さんのお料理が素晴らしかったからだと思いますよ。
私などは、そういうお料理の写真で学ばせていただくことが多いですから、そのお客様のマナー違反を赦してあげてほしいと思ってしまいます。
しかし、便利な世の中にはなりましたが、困ったことも起こるようになったとも言えますね。
今日は、寧子さんのコメントで、自分のマナー違反に気づいて気を引き締めました。
そういう意味では有難いコメントでした。ありがとうございました。m(_)m
写真を撮ることに必死になり過ぎて マナー違反と思う人が増えました。
先日お客様をお招きすることがありましたが、出す料理を次々写真に撮られ、気分が悪くなりました。家の中も私も。
自分を撮るのは勝手ですが、いきなりカメラを向けられるのは私は嫌です。
その写真をどうするか想像はついたので、ブログに出すのはやめてね〜と言いました。
私なんぞが肖像権が〜とは言いにくいですが、プライバシーの侵害にはなります。
感覚が麻痺してきた人もいると思います。
アハハ、まだお若い転象さんでもそう思われますか?
最近の若い人達は何考えているのかわかりません。
blogも写真がメーンで何が言いたいのかってのが多いですね。
短歌でも、そう思うことが多いのです。
が、そんな人たちをいい年をした人達が甘やかすのが問題だと私は思うのです。
意味不明と言えば、ここ数年流行ってるインスタグラムっていうやつ。ツィーターの写真版といった所ですが。私の脳みそがボケてるのか、全く付いていけませんな。アレの何処がオモロイのか。
写真載せ、コメントをチョイと載せ、ハイ終わり。こういうのが続けば、若年性認知症は一気に増殖しそうな。
結局、今の若者は全てにコミック化Youtube化されてるので、小説もコラムもネット上のお喋りも、こういった意味不明のフレーズが飛び交うんでしょうか。
特に短歌の世界は、独特の風情や趣が生命線でしょうから、若者のインスタントな短歌を寄せられても、評価のしようがないですかね。短歌の事を知らない私が言うのもなんですが。
「塔」も主宰者が若返っていい面もありますが、年配者が何となく居心地が悪くなったのも事実です。
ハイジさんのように他の人の歌を「うまい」と評価できる人は幸せな人だと思います。
年取った私は、素直な歌が一番と思えるのですが、一部の人たちに言わせれば、それじゃダメじゃんなのですね。
作者が生きてる間は評価されないで100年後評価されることもあります。
短歌の世界はどうなのでしょうか。
才能のある若者が現れると未来は明るくなりますね。
「塔」は若い人の多い結社です。
平均年齢が高齢化している結社が増加しています。
選者が若い場合は若い感覚で選ぶのでしょうね。
意味不明は困りますが挽歌以上に相聞が増えると短歌の世界も若返りますね。
素直に歌ったつもりで意味不明になるハイジの短歌。
才能ないと辛い。
同じ短歌でもプロと素人の違いは大きいです。
他人の作った短歌はすべて「うまい」と感心するハイジです。
自然に短歌が歌える日を夢見ています。
こんなことを書く私自身の頭が固くなっているということなのかもしれません。
こうして世代交代はなされていくのでしょうね。
若いつもりでも、私も七十歳。
もう立派なお婆さんですものね。
同年配のやっほさんにコメントいただいて、自分の老化を意識しました。ありがとうございました。
について思い浮かんだことなのですが、
今年1月に「広辞苑(第七版)」が10年ぶりに刊行されました。その中に、
ことばが「時代を映す鏡」として若者言葉が新語として掲載されています。
社会や文化、芸術 が時代の変遷と ともに変化するように、言葉が変化しても不自然では無いですよね。
若者がバトンを引き継ぐころには 歌の世界も多分 変わるものと思います。
なので、若者が詠む歌は 将来の歌として理解、尊重して上げることもひとつの考え方かも知れません。
そして尊重しつつも ”我が時代は 我が道を行く” でよろしいのではないでしょうか。
若輩者の生意気をお許しください。