かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

貴賤は紙一重

2019-05-15 03:35:50 | ブログ記事
ふと、そんな言葉が頭に浮かびました。

現在、私達が天皇陛下を崇めるのは、
陛下が、ご自分やご自分のご家族を顧みることより、
われわれ国民の安寧を祈ってくださるというそのお立場に対してです。

が、それがなおざりにされてまいりますと、
私ども国民は天皇陛下を崇める理由がなくなります。

皇族というのは、大変なお立場であられるからこそ、
われわれは、その大変さに尊敬の念を抱くわけです。

が、これが、国民の安寧の祈ることを忘れて、
ご自分の家族本位の生活をなさっていられると知れば、
国民は誰も天皇陛下を仰いだりはいたしません。

万世一系と言われて崇められている天皇陛下も、
国民からの尊崇がなくなれば、ただの人です。

そこのところは、お忘れにならないでいただきたく存じます。

皇后陛下も、その他の皇族の皆さま方も・・・。

一方、日本には、近年まで、被差別という謂れのない差別を受ける人達もいました。

この人たちは、別にわれわれと何の変わりもないのに、
時の為政者の都合で作られた被差別民であったと言われています。

極論すれば、皇室の方々と、これら被差別の人達は、何ら違いはないわけです。

ただ、近年の被差別の人たちのよからぬところは、
過去、こうして差別されてきたことを、
今度は逆手にとって、その権利を悪主張しすぎることです。

そのため、その他の国民より何かにつけ、逆に不当な利益を得ています。

俗に言われる「逆差別」です。

これは褒められたことではありません。

過剰な要求をすることは下品なことですから。

それで、そうでない人たちに嫌がられることも多くなってきます。

被差別の人たちと皇室の方々を並べて論じるのは適切でないかもしれませんが、
同じ人間として考えさせていただければ、
皇室の方々も、われわれ庶民からすれば、過剰の恩恵を受けていられます。

が、これは、皇族の皆さまが、国民のことを考えてくださり、
公務という名のお仕事をしてくださることへの感謝の気持ちの表れです。

が、この公務というお仕事を怠けたり、
または、皇族にはあるまじき下品な行いをなされましたら、
それには皇族の皆さまの生活をお支えしている国民からの不満が出てまいります。

たとえば、私は自身が短歌と言う趣味を持っておりますから、
毎年の歌会始を楽しみにさせていただいております。

天皇陛下の御製も楽しみにさせていただいていますが、
それ以上に、
皇后陛下の御歌は、同じ女性として、より楽しみにさせていただくことが
多おございます。

美智子上皇后は、毎年すばらしい御歌を歌会始で見せてくださっていました。

御製、御歌の和歌をお聞かせいただくことと並行して、
皇族方のお姿を拝見するのも、国民の年初の楽しみでございます。

が、残念なことに、このたび皇后になられた雅子皇后は、
ずっと、この歌会始はご欠席であられました。

ご病気ということで、われわれ国民も諦めておりましたが、
今回の改元にあたっての諸行事にはつつがなくお出ましで、
それでは今までのご欠席は何であられたかという疑問も出てまいります。

ご病気がよくなられたという見方もあるかもしれませんが、
それなら、来年の歌会始はぜひお出ましいただきたいと、
これは国民からのお願いでございます。

こういう日本の伝統行事にお出ましになられることも、
ご皇族の大切なお仕事と存じますので。

タイトルにしました「貴賤は紙一重」は、
こういう公務をなさらない、あるいは、できないご皇族は、
われわれ国民が仰ぐことができにくいということを申し上げたく
タイトルにいたしました。

まこと、人の貴賤というものは、危ういのだと存じます。

つきましては、われわれ国民の皇室の弥栄を願う気持ちに、
皇族の方々もお応えくださいますようにお願いする次第でございます。

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