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かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

夫とは口もききたくない

2019-05-15 12:07:58 | ブログ記事
数日前の昼食時のことがまだ尾を引いている。

私が夫に、夫の好物である「ホウレンソウのバター炒めをしましょうか?」と聞いたことに対して、
夫が「肉を食わせろ」と怒鳴ったことが、私にはいまだに許せないのである。

夫の虫の居所が悪かったのかもしれないが、
夫のことを気遣って聞いている妻に怒鳴ることはないだろう。

私は怒鳴られてからずっと体調が悪い。

怒鳴られた直後は、こらえた怒りのために、ひどい耳鳴りがしたほどだった。

夫が怒鳴っている時に言い返したりしたら殴られるのがオチだ。

それで黙るが、胸の中では怒りで煮えたぎっていた。

きっとそれが耳鳴りになっていたのだ。

耳鳴りは、何とか収まったが、熟睡はできていない。

思い出したら怒りが蘇ってきて目が冴えてしまうのだ。

唯一、私が気持ちを発散できるのが、blog書きである。

書いているときは嫌なことを忘れられる。

書くことに頭も身体も集中させるからだ。

そんなときは、blogやっていてよかったと思う。

blogを始めるまでは短歌がそれであったが、
短歌は作って出しても、
選者と呼ばれる人が勝手に人の歌の取捨選択をするから理不尽に思える。

この際、私の歌が下手だという意見は却下。(笑)

選者は神様ではない。

なのに、なぜ人の歌を捨てたりするのだ。

選者だって、自分の作った歌を人に捨てられたら嫌だろう。

歌は一首だけでは歌意の通らないことが多いから、勢い連作で出す。

なのに、連作の一番大事な歌を捨てられたら、ほかの歌がチンプンカンプンになる。

こういうblogに歌を添えるのは、
あらかじめ文章で状況を説明してあるから、歌意は読み取ってもらいやすい。

が、歌のみ何首か並べて出す場合は、どうしても説明の歌が必要になる。

その歌を捨ててしまわれたら、読んだ人は「なんのこっちゃ?」と思うのは当然だ。

選者くらいクラスになれば、
歌を発表するとき、すべて出してもらえるから、こんな理不尽な思いはすることがない。

だいたい、選者になる人は、若いころから歌をやっていたという人が多い。

または親が選者か。

ここらあたりは、世の二世タレントと同じである。

私などのように、中年を過ぎてから始めた者は、この理不尽をもろに受ける。

たいして人生経験もない選者に、こちらの喜怒哀楽がわかるはずもない。

それなのに、いったん選者という地位に納まると、お互いの褒め合いに終始する。

たいした歌でなくても、さも秀歌のように誉めそやすのである。

そうしておいて、次は自分の歌を褒めてもらうのである。

まあ言ってみれば、選者同士で馴れ合っているのである。

と、blogを利用して、こちらもぼやいておくことにしよう。

私にとって、blogは
日記であり、不満吐き出し口であり、また自慢話を人に聞かせる場であるかもしれない。

われながら呆れるけれども、それでも読みに来てくださる奇特な方々には
いくら感謝してもしきれない。

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