かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

心のきれいな人はオーラに現れる

2018-06-04 19:49:55 | ブログ記事
と、私は思っています。

母の叔母さん(祖母の妹)は、いつも言っていました。

きれいな人は心もきれいと。

まあ、これを言ってしまうと偏見になってしまいますが、
しかし、たしかに心の綺麗な人は、きれいなオーラを放っています。

夫の身内の悪口になりますが、

夫と義弟は、タイプは違いますが、二人とも美男です。(でした?)

が、どういうわけか、義妹は、顔の作りは私の夫に似ているのですが、綺麗ではありません。

義母は、自分の子供でも依怙贔屓する人だったせいで、

義妹だけ可愛がられなかったようです。

義母が特に可愛がったのは義弟でした。

義弟は小さい頃からきれいな顔をしていただけでなく、性格もよかったのですね。

これは
可愛がられたから性格がよくなったのか、あるいは性格がよかったから可愛がられたのか。

いずれにせよ、ハンサムなうえに性格もいいから、学校時代は女子に大モテでした。

ちょっと不良がかったところもあったから、それがまたよかったのかも。

私の夫は、真面目過ぎたから、そこまではモテなかったようでした。

が、義妹は、ぜんぜんと言うと悪いですが、ぜんぜんモテなかったようです。

これは顔立ちだけの問題じゃなく、そのオーラに問題があったと私は思うのですね。

義母に可愛がられなかったせいか、見た目も愛らしさがありませんでした。

それで婚期も逸してしまって、結婚したのは33歳でした。

今でこそ30歳過ぎての結婚も多いですが、私達の頃にしては、かなりの晩婚でした。

もう皆が結婚しないだろうと思っていたけれども、結婚できたのはよかったと思いました。

結婚した当初は幸せで、義妹も明るい顔をしていました。

が、子供が登校拒否を起こしたりして苦労があって、また元の義妹に戻りました。

先ほどの記事にも書きましたが、最近は、遺産のこととかに異常に執着をします。

私は、これは、現在こころが満たされていないからだと思うのですが、どうでしょう?

幸せであれば、あそこまで親の遺産に執着しないと思うのです。

それが義妹のオーラにも出ていて、人にきれいな印象を与えないのですね。

私は、ある意味、義妹のことを可哀想だと思います。

いや、私も可哀想な人ですが、それ以上に・・・。

綺麗な人というのは、顔立ち以上に、そのオーラが綺麗な人だと私は思います。

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2 コメント

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化け猫のひとりごと (nyann-rabi)
2019-04-03 11:27:37
去年初めに夫を亡くしました。
酒乱で、すぐ手を出すだけでなく、刃物も持ち出すようなこともあり、4人の子供は皆でていき、だだっ広い家で二人きり・・・
離婚を実行に移そうとした50歳のときに夫は難病で入院.。
死にそうな人を置いておくわけにもいかず、また、これで楽になれるかも、と誠意を込めて看病しました。
ガンより重い再生不良性貧血ということで、そんな薄汚い思いの中で夫の死を望んでいた自分でしたが、奇跡的に生還した夫が退院して、通院の時には履いていく靴下さえないほどすっかり処分してしまって、大いに焦ったものです。

身内の企業で働いていた夫は、まだあまり社会復帰ができないときに兄の社長に死なれ、後継社長が兄嫁になり、首を宣告。
失業保険も未加入。退職金もなく放り出されました。
我が家は一応給料管理は妻である私でしたが、派手な金遣いの夫が、仕事上の交際費と称して半分以上使う上、飲み代が半端なく、私と子供の生活費も事欠くありさまで、その不足分を頑張って稼いでいたのですが、失業後は自分の年金はすべて自分のもの。私の収入迄あてにする始末で、結婚50年は涙の人生でした。

今、3人目の子の家族と同居で、幸せいっぱい。別れずにいたことに後悔することもありましたが、いくばくかの余生が一層光り輝いてくれたのは、あの、ひたすら耐え忍んだ50年のおかげだと、しみじみ思われます。

私のブログは少しふざけたブログですが、ちょこっとずつ過去の経過も隠されていますので、いくばくかでも慰めになればいいかな、と書き込ませていただきました。
ご迷惑な場合は削除しますね^^
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nyann-rabiさんへ (びこ)
2019-04-03 21:35:21
コメントありがとうございます。

返しが遅くなりました。

nyann-rabiさんは、大変なご苦労をされていらっしゃるんですね。

しかし、そのご苦労を今では、

>今、3人目の子の家族と同居で、幸せいっぱい。別れずにいたことに後悔することもありましたが、いくばくかの余生が一層光り輝いてくれたのは、あの、ひたすら耐え忍んだ50年のおかげだと、しみじみ思われます。

と言えるのは、ご苦労してこられた勲章みたいなものでしょうね。

苦労のない幸せな人生もいいかもしれませんが、苦労を乗り越えて来られた方のほうが、より人生を味わったと言えるかもしれませんね。また、苦労したからこそわかる幸せというものもあるのでしょうね。そういう意味では、苦労も悪いものではなのかもですね。

いいお話を聞かせていただきました。
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