逆説めいているが、
究極のところ、エロスは知性だと思う。
数日前に書いた大正時代の毒女、伊藤野枝も、現代の鬼女、木嶋佳苗も
共通するところは、その知性だと思う。
美人は三日見たら見飽きると言われるが、
知性は飽きられることがない。
伊藤野枝は男性的な文章を書いたと言われている。
一読した段階では、書き手は男性だと思われるような力強い文章を書いたという。
木嶋佳苗のほうは、文才のことは聞き及んでいないが、
達筆だということを聞けば、文章も巧みなのではあるまいか。
だからこそ、新聞社のデスクの男性も落とされてしまったのであろう。
伊藤野枝も、最初飛び込んだ思想家、辻潤に翻訳の仕方を学んだと言われているが、
たぶん、そのとき、文章の書き方も学んだのであろう。
ただ性的な魅力だけでは、辻潤とか大杉栄のような、インテリの大物を落とすことはできない。
男を惹きつけようと思えば、技が必要なのである。
以前も書いたが、
中国で傾城の美女と言われて漢詩などにも歌われた楊貴妃も、
実は、それほどの美女でもなく、
彼女の魅力は、楽器が奏でられて、踊りがうまかったことだと言われている。
楊貴妃の時代は、女性が文章を書くということは、あまりなかったかもしれない。
文章を書く代わりに、楊貴妃は楽器、踊りに秀でていたのである。
一方、日本の平安時代のモテ女として有名なのは和泉式部である。
和泉式部は和歌の妙手であり、その日常の会話も和歌でなされていたほどであった。
平安時代は和歌が男女とも必須の教養であった。
その和歌に秀でていれば、異性の心を虜にすることができたのである。
和泉式部は、天皇の息子である親王二人から求婚されている。
為尊親王と敦道親王が、その人たちであった。
敦道親王は為尊親王の弟君であられる。
為尊親王が亡くなってから、その弟君に求婚されたのである。
それだけでも、どれだけのモテ女であったかがわかると思う。
和泉式部の残した歌に、こんな歌がある。
☆物思へば沢の螢もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る
歌意は、
「(思いつめて)ものを思っていると、
沢を飛び交っている蛍でさえも、私の身体から出た魂のように見えることだよ」
いま、私達が読んでも素晴らしい歌ですね。
この才気に、当時の貴族の子息たちも夢中になってしまったのでしょうね。
ああ、私も、今からでも、こういう歌が詠えるような歌人になりたい。
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いま非公開希望のコメントが入りました。
その方は、「文章を書くのに時間がかかる」とお書きです。
文章は馴れです。
書き続けていれば、だんだん早く書けるようになります。
そのためには、毎日blogの記事を書くことは特効薬になるかもです。
書かれた文章に、基本的に上手い、下手はありません。
あるのは個性です。
ですから、
書くことを恐れないで、どんどん書けば、その人らしい文章が書けるようになると思います。
最初は、人の真似でも、書いているうちに、その人らしさが出てくるのが文章です。
コメントくださった方も、どうぞ文章を書くことに馴れてください。
そして、公開希望のコメントをくださいませ。
お待ちしています。
知性(考える性)と痴性(厭らしい性)と恥性(恥ずかしい性)の3つ。それに、稚性(幼若な性)と血性(血生臭い性)の2つを加えたら、最強の性が出来上がるのかな。
単にエロと言っても、その奥義はとても濃く深く広いのかもしれない。