井端弘和が語っていた持論「プロは契約社会」・・・球団から『いらない』と言われれば、それまでなんです

2013-11-07 | 相撲・野球・・・など

井端が語っていた「プロは契約社会」の持論
 文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル THE PAGE 2013.11.6 02:22
 WBCでヒーローとなった中日ドラゴンズの井端弘和が、あれからわずか8か月後にチームを退団、自由契約となった。いったい誰がこんなジェットコースターのような展開を予想できただろうか。日本シリーズの裏で行われた契約更改の下交渉で球団フロントから唐突に3000万円の提示を突きつけられて井端は驚いたようである。
■落合GMが決めた大幅ダウンの年俸
 年俸提示額を決めた落合博満GMは、「体にメスも入れたし、億以上を出して球団がリスクを背負えるか、という判断。戦力外の選手に金額提示はしない」とコメントしたらしいが、1億9000万円の年俸から3000万円への減額提示は、「あなたはいりません」という意志表示と同じである。
 井端が足首とヒジに入れたメスは何も選手生命を左右するような深刻な手術ではない。「億以上がリスク」ならば、せめてインセンティブをつけて8000万円や7000万円の提示額で良かったのではないか。“生え抜き優先主義”や“フランチャイズの熱”というものに否定的な落合GMらしい思考から出た結論だろうが、これは中日一筋の功労者に対して、そのプライドと気持ちを踏みにじるような“冷酷なリストラ”だと思う。
■退団を予測していたような発言
 私は、この6月、井端に長い時間インタビューをする機会があった。デジタル音声には、まるで彼が、こうなる日を予測していたかのような話が、録音されていた。
 「プロは契約社会ですよね。球団から『いらない』と言われれば、それまでなんです。中日ドラゴンズに育ててもらい愛着はありますが、そういう日が来ることもなくはないでしょう? 数年前にFAの権利を得たときも、他のどこかの球団から欲しいという話があれば、どうなっていたかはわからなかったと思っています。評価されて魅力のあるオファーがあったならば、移籍していた可能性もあったと思うんです。たまたま、そういう話がなかっただけなんですよ。球団は、5年という長期契約をオファーしてくれましたが、その年数を僕が望んだわけではありません。しかも、年俸の変動性で成績に応じて契約更改を行うものだから、実質は単年契約と同じなんです」
 プロは契約社会。
 井端は、それがわかっているからこそ、今回も、プロとして中日の金額提示を受け、プロとして自ら「ノー」という結論を出したに過ぎないのだろう。「スタメンで全試合に出てこそ、プロとしての価値があるもの」という持論のある井端には、心に決めた引退の哲学もある。
■引き際の哲学 「辞めるときはスパッと辞める」
 「ショートというポジションへのこだわりがあります。サードをやれ、ファーストをやれとなったり、代打1本とか……そういう生き方は考えられないんです。そこでダメと言われるときが引退でしょう。案外とあきらめが早いので、辞めるときはスパっと辞めますよ」
 今季は、WBCでの活躍が嘘のようにシーズンに入ると打撃の低迷が続いていた。スタメンで出場してこそプロ、というの井端だが、そのスタメンを外される試合も増えていた。私は彼に、少々、意地悪な質問をした。
――このままなら、あなたが決めた引退の一線を超える日が来てしまうのではないか?
  「引退は連想しません。今年に限っては、WBCの影響があって調整不足で開幕を迎えてしまった。そのツケを取り戻すのに予想以上に時間がかかっているだけで、不振の原因がわかっているんですよ。まだまだ若い選手にショートのポジションを明け渡すつもりはないんです。僕が、このプロという世界で生き続けてきた原点とも言える競争心を失っていませんから。それがなくならない限りあきらめません」
■報道合戦も過熱 さまざまな憶測記事も
 このまま井端が引退するのではないか?という憶測記事も出されている。だが、今、井端に同じ質問をしても同じ答えが返ってくると思う。事実、井端に近い人物に確認したところ引退する気など毛頭なく、まずはリハビリに専念しているという。また井端が在京球団への移籍を希望していると書かれた記事もあったが、これもまったくの憶測記事だ。
■各球団も敏速に反応 水面下で調査を開始
 井端退団の報を受けて各球団の編成部も敏速に動き始めている。阪神は、さっそく緊急編成会議を開き、獲得断念の方向性を決めたが、巨人、西武、ヤクルトら複数の球団が興味を抱き、水面下で調査をスタートしている。
 FA権利を得た西武の片岡治大・内野手の動向が、内野手が補強ポイントの各球団の動きと大きくリンクしているようだが、井端の“職人技”を評価している球団は少なくない。某球団のコーチは「守備の安定感と、嫌らしいバッティング。いたら頼りになる選手ですよ」と言った。
 WBCでは、各球団の一流の内野手が井端に守備の教えを請うていた。右打ち、野手の間を抜くバットコントロールの技術は、まさに職人の技である。井端自身に記録や数字へのこだわりはまったくないが、2000本安打というひとつの区切りも迫っている。“匠の技”を持った職人の去就は、如何に。(文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル)
 *井端弘和(いばた・ひろかず)
 1975 年5月12日生まれ。神奈川県出身。堀越高校から亜細亜大学を経て、1997 年ドラフト5位で中日に入団。2001年から遊撃手としてレギュラーを獲得。二塁手・荒木雅博との「アライバ」コンビは、リーグ屈指の守備力と評された。ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回、2013年WBCにも出場し、侍ジャパンをベスト4へ導いた。通算1711試合出場し1807安打をマーク。通算打率は.284。
 ◎上記事の著作権は[THE PAGE]に帰属します *リンクは来栖

落合GM 井端に言及「故障がちでメスも入れたし、その選手に億以上を出して球団がリスクを背負えるか」 2013-11-05 | 野球・・・など 
井端 巨人移籍あるぞ!中日退団 希望は在京球団 2013-11-05 | 野球・・・など 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
中日内紛劇を検証 井端は間違っていない
 文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル THE PAGE 2013.5.15 15:38
 交流戦の開幕ゲームで中日にとんでもない内紛が勃発した。対日ハム戦の七回。同点に追いつかれると、高木監督が井端をベンチ内で身振り手振りを交えて叱責、帽子を脱ぎベンチ裏に戻る井端を高木監督が血相を変えて追いかける不穏な展開となった。大事になることを止めようと、選手、コーチらが続いてベンチ裏に入っていく。その緊迫の場面の一部始終が、テレビで映されていたので、それは、YouTubeで流され、この朝は、新聞各社が「内紛劇勃発」と大きく取り上げた。
■終盤の1つのプレーが発端
 事件の発端は、4-3で迎えた七回二死二塁から、稲葉にセンター前へ打たれた同点タイムリーのシーン。大島は、ダイレクトでバックホームしたが、同点ランナーは、楽々と生還した。本来ならば、マウンド付近で、カットに入るべき一塁のクラークがそのポジションへの移動に遅れた。大島は、ダイレクト送球を選択したが、高木監督は、それならば「井端がカットに入るべきだった」とベンチ内で叱責、井端が「無理です」と答えたことが、この騒動の原因だとされている。
■井端の対応は間違っていたのか
 では、この場面、本来ならば、カットマンである一塁手が遅れた場合、ショートの井端がカットに入るべきだったのか。
 中日で内野守備コーチをつとめ、WBCでも侍ジャパンの内野守備コーチを担当した、内外野の連携についての第一人者、高代延博さんに聞いてみた(最新著書、「侍ジャパンの死角」(角川書店)が6月上旬に出版予定)。
 高代さんは、「直接、そのプレーを見ていないので、あくまで一般論だ」と断った上で、説明をしてくれた。
 「まず、この場面、セオリーでは一塁手がカットに入りますが、一塁手が動けない場合はチームで誰がカットに入るかを決めておくケースがあります。私が中日時代は、一塁のタイロン・ウッズが動けないので、二遊間がカットに入ることを決めていました。もしクラークが動けないので二遊間がカットに入ると決めてあって、井端がカットしていなければ問題です。でも、コーチの談話などを見ていると、セオリー通り、クラークがカットに入るのがチームのルールだったようですね。この時は、クラークがカットに入るのが遅れたのでしょう」
 続けて以下のように説明。
  「井端の頭の上を超えていくような打球でしたから、井端が、その守備位置からマウンド付近まで引いて来て、カットに入るのは無理です。逆に大島がジャックルをしたり、不慮のアクシデントで転んだりしてしまう場合に備えて、井端は、定位置から、さらにセンターへ寄るべきで、クラークが遅れたから『カットに入れ!』などというフォーメーションはありません。一塁のクラークが遅れたら、むしろマウンドに近い三塁手が動いてカットの位置に入るべきです(その場合、井端は三塁カバー)」。
 高代さんは、大島が少し左中間寄りに前進して処理した打球を、ショートがカットするケースは、チームに予め決め事がない限りは、有り得ないと断言した。
 「(WBC監督で外野手だった)山本浩二さんが言っていましたが、外野手はセーフのタイミングでもホームで殺そうとする職種だそうです。だから大島はダイレクトでバックホームしたのでしょう。ツーアウトで走者のスタートは良くなるわけですから、高木監督は、井端がカットしたらホームに間に合ったとは思っていなかったと思います。それよりも送球がそれて、打者走者に、二塁へ行かれることを防ぎたかったのではありませんか? その場合でもカットは井端ではありません。クラークの動きが鈍いことがわかっているなら、そういうフォーメーションを最初から決め事としておくべきでしょう」
■セオリーとしては間違っていなかった
 つまり野球のセオリーとして何の非もない井端が、テレビカメラの前で叱責を受けたわけである。ショートとして超一流の野球人、井端のプライドは傷つけられ、しかも、通常の野球観では、有り得ないことを指摘されたわけだから、彼が、最初に不服を申し立てたのは、ある意味、当然だろう。高木監督は、そういう意見があったならば、せめてテレビカメラと他の選手の目のないベンチ裏で、井端と議論すべきだったのではないか。
 リーダーとしての資質が問われる行為だったし、社会においても正論が通用しない組織は、よく見かけるが、総じて、そういう組織は弱い。下位を低迷する中日ドラゴンズの敗因が露呈してしまったような事件であるが、理不尽な言いがかりをかけられた井端が不憫である。チームリーダーでもある井端へのフォローを組織として行わなければ、再浮上のきっかけは、なおつかみにくくなるのかもしれない。
(文責・本郷陽一/論スポ)
 *ほんごう・よういち
 サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩き、その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の編集長、書籍のプロデュース及び、自ら書籍も執筆。著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。
 ◎上記事の著作権は[THE PAGE]に帰属します 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ノムさんの後で星野監督が優勝する理由 本郷陽一 2013-10-01 | 野球・・・など 
  ノムさんの後で星野監督が優勝する理由 本郷陽一|『論スポ』編集長
  Yahoo!JAPAN ニュース 2013年9月27日 1時20分
 不思議な相関関係である。野村克也氏と星野仙一監督の関係だ。
 阪神時代、1999年からノムさんが3年指揮を取ったチームは、3年連続最下位に沈み、後を受けた星野監督が就任2年で優勝に導いた。
 楽天では、ノムさんが4年間監督をした後、マーティー・ブラウン監督を間に1年挟んだが、また後を引き継いだ星野監督が就任3年目で優勝テープを切った。ノムさんはよく「種を巻き、花が咲くのに時間がかかる」と言っていた。果たして、種を巻き、土台を作ったのが、ノムさんで、花を咲かせたのが、星野監督なのだろうか。
 評論家の掛布雅之さんは、ノムさんの土台作り論を支持する一人だ。
 「阪神、楽天での野村さんが行なった共通点はバッテリーに野球を教え込んだこと。阪神時代には、矢野という捕手を育て、その後、ローテーの軸となっていく井川慶を育てた。楽天でも嶋というキャッチャーに配球を教え、田中を育てた。野球は、投手、バッテリーが基本。その部分の基礎を作ったのは野村さんだと思っている。野村さんの後に星野さんが来て優勝をするというのは、決して偶然ではない」
 掛布さんと同じような評論をする人は、他にも何人かいる。
 だが、私は、そのノムさんの土台作り論は支持できない。
 ノムさんの後を受けた星野さんが、チームを勝たせてきたのは、むしろ逆で“反動の力”だと思っている。つまり星野監督は、2度とも、ノムさんの推し進めてきた野球を反面教師としてチームの空気を根本から一変させているのだ。 
 阪神時代、ノムさんはデータを重視したが、それを使いこなせない選手に対しての“ボヤキ”は、チームにどんよりとした暗い空気を漂わせていた。バトンを受けた星野監督は、まず大胆に選手を入れ替えた。FA補強で、金本知憲を獲得するなど、チームに新しい芯を作った。ノムさんに干されていた今岡誠も復活。チームカラーを一変させたのである。
 楽天時代のノムさんは、阪神時代とは違い、最後は、ほとんどミーティングに参加せず、得意の配球術を懇切丁寧に伝授するわけでもなかった。だが、ボヤキと、「勝てば私の手柄、負ければ選手の責任」という論理だけは健在で、一部選手の反感を買っていた。例えば、マー君を「個別ミーティングするから」と呼び出したはいいが、その場にはノムさんを追ったテレビカメラが用意されているなど「勝てば私の手柄」というパフォーマンスが、あまりに過ぎて、チームの空気は、また淀んだ。
 自主性を重んじたブラウン監督の1年間が間に挟まれていたが、星野監督は、楽天の監督に就任すると、やはりチームに蔓延っていた“淀んだ空気”の一掃から始めた。ただ、阪神の監督時代と、少し違ったのは、人を大胆に入れ替えるのではなく、コーチとのタッグで時間をかけて、生え抜きの若い投手、若い野手を根気強く育てようと心掛けたこと。初年度には、松井稼頭央、岩村明憲というメジャーから2人を凱旋させるという大胆な補強は行なった。だが、楽天の球団経営の体質上、中日、阪神時代のような、ドンと、お金を使った刺激的な補強はなかなかできなかった。そこでチーム作りの方向を転換。まさに3年、4年先を見据えた長期ビジョンでのチーム変革に着手したのである。
 昨年のシーズンオフには、旧知の北京五輪監督時代のスコアラーだった三宅博氏に「2年かけて、なんとかピッチャーを形にした。今度はバッター。球団も、お金をかけることを約束してくれた。大物を2人取って打線に軸を作る。今年は勝負する」と本音を漏らしていた。
 まさに、そのプラン通りに球団のバックアップを受け、ジョーンズ、マギーという大物2人を補強。この2人に若い左打者が刺激を受けて打線は点かた線に生まれ変わって、脈々と血が通い出した。
 星野監督が名将と言われる所以は、こういうチームを強くするためのスタイルをしっかりと持っている部分にある。
 中日、阪神時代には、阿吽の呼吸で、グラウンド内のことは任せておけた故・島野育夫コーチがいたが、楽天には、その島野さんがいなかった。そういう面で苦労はしたのだろうが、少しソフトに形を変えながらも、チーム作りに関する本来の星野イズムは貫き、戦闘集団を作ったのは見事である。
 ノムさんが土台を作って、星野さんが“いいどこ取りをした”という論調があるならば、それは少し間違っていると思う。
 <筆者プロフィール>本郷陽一
 『論スポ』編集長
  サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩きアマスポーツ、プロ野球、MLBなどを担当。その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長を務めた。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の編集長、書籍のプロデュース&編集及び、自ら書籍も執筆。著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。
 official site
 Sports Times
 *上記事の著作権は[Yahoo!JAPAN ニュース]に帰属します
.......................


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。