人間は変わることができるという希望 「体罰しない」心に誓う

2008-07-25 | 社会

幸福のレシピ ~チャイルドライフの世界より~ 

藤井あけみ(千葉県こども病院チャイルド・ライフ・スペシャリスト)

 先日、神奈川県立保健福祉大の実践教育センターで「子どもの権利」の授業を担当しました。19人の受講生は、平均年齢38歳で全員女性。職種は看護師と保育士が主でした。子どもは体罰でなく、言葉と愛情で育てられる権利があると考えている私は、ここでも恒例の「体罰問答」をしました。Aは体罰賛成、Bは原則反対だけど例外あり、Cは絶対反対。最初の結果はAゼロ、B13、C6でした。その後、Bチーム対Cチームでお互いに意見を述べてもらいました。

 Bの一人は言いました。「何回口で言ってもわからないとき、体に覚えさせる方が有効なこともある」。それに対してCの人から「本当に伝えたかったことは伝わらないで、たたかれたことしか印象に残らないのでは?」。Bの人がまた「愛情があればいいのでは」と言うと、Cの人は「それは大人の勝手な論理。たたかれる子どもがどう感じるかはわからない」と言いました。

 討論が進むにつれて「私、やっぱりC」という人が出てきて、Bが12、Cが7になりました。私はこのBからCへ移行した人に大きな希望を見ました。人間は変わることができるという希望です。その変わる過程は生易しいものではないでしょう。しかし、この壊して立て直す過程を経ずして自己変革は起こりえないでしょう。

 後日談ですが、先月「体罰問答」をして体罰肯定派が大多数を占めていた酪農学園大の学生たちからリポートが送られてきました。「体罰について自分の考え方が今までと変わった。自分は将来、先生や母親になったときに体罰は絶対にしない」。「例外は次、次となってしまって意味がない。体罰は決してやってはいけないものであると考えた」。このように、自分の考えが180度変わった人がたくさんいたのです。

 今、最も大切なことは、決意して自分に約束する「コミットメント」。できるかどうか心配する必要はありません。まず心に誓うことです。いついかなるときも、絶対に体罰をしないと。子どもが安心して過ごせる世界は、この大人のコミットメントから始まるのだと思います。〈中日新聞 2008/07/25〉


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