後藤昌弘弁護士関連(中日新聞論説「刑事裁判は誰のため」・豊川幼児連れ去り殺害事件など)〔補遺〕

2009-11-16 | 後藤昌弘弁護士

無罪取って時給487円  国選報酬、精神的満足だけ
 愛知県豊川市で2002年に起きた男児連れ去り殺害事件で、名古屋地裁は06年、男性被告に無罪を言い渡した。
 独自調査で“有罪率99%の壁”を突き破った国選弁護人の後藤昌弘(ごとう・まさひろ)弁護士(56)=愛知県弁護士会=が、裁判所から受け取った報酬は、もう一人の弁護人と合わせて80万円だった。
 ▽経費支給も一部
 後藤弁護士らは交通費などの経費を約76万円支出していたが、訴訟記録のコピー代などとして、報酬とは別に約16万円支給されただけ。
 豊川署や名古屋拘置所での接見22回、関係者との打ち合わせ10回、現場調査9回、公判22回、最終弁論は97ページで、泊まり込みの調査もあった。報酬を時給に換算すると、487円にすぎなかった。
 「“趣味道楽”じゃないとやってられない。弁護士の金銭的満足と精神的満足は、しばしば反比例する」と後藤弁護士。「でも無罪だから我慢するしかないか。逆転有罪判決を出した名古屋高裁には腹が立つ」
 ▽冤罪疑わぬ例も
 02年4月、富山県警氷見署。強姦(ごうかん)未遂の疑いで逮捕された柳原浩(やなぎはら・ひろし)さん(41)は、怒鳴りつける取調官が怖くて容疑を認めた。しかし、地元の弁護士会から派遣された当番弁護士には「やってません」と話した。弁護士は「分かった。調べてみる」と言ってくれた。
 あらためて容疑を否認すると、取り調べは長時間に及び、取調官は暴言を繰り返した上、机を激しくたたき、こぶしを見せた。とても耐えられなかった。別の強姦事件も含めて虚偽の自白調書が何十通も作成され、起訴された。
 当番弁護士が国選弁護人となり、次に接見に来たのは初公判の8日前。「被害者に賠償すれば執行猶予がつきますが、どうしますか」と話す弁護士に対し、柳原さんは心の中で思った。「やってないと言ったのに、何言ってんだ」
 接見は5―6分。弁護士は冤罪(えんざい)の可能性を考えなかったのか、柳原さんが自白した経緯を尋ねなかった。
 服役後に真犯人が見つかり、再審で無罪となった柳原さんは「弁護人は役に立たなかった。せめて有罪の一審判決に『不服があるなら控訴しなさい』と言われれば、そうしたのに」と悔しがっている。(共同通信社)
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豊川の男児殺害事件 再審請求の意向
産経ニュース2008.10.2 22:03
 愛知県豊川市で平成14年、1歳10カ月の男児を殺害したとして、殺人などの罪に問われた元運転手、田辺(旧姓河瀬)雅樹被告(41)の上告を最高裁が棄却する決定をしたことを受け、被告の弁護側は2日、再審請求する意向を明らかにした。
 主任弁護人の後藤昌弘弁護士によると、最高裁は今回の決定で、捜査段階での自白の信用性に疑問を呈した被告側の上告理由について「再審理由であって、上告理由には当たらない」と指摘。
 後藤弁護士はこの判断について「(自白の信用性の問題を)最高裁が再審請求の理由になり得ると指摘しているように解釈できる」としている。
 後藤弁護士は同日、名古屋拘置所で田辺被告と接見。被告も再審請求に同意したという。

関連:TBS「報道特集NEXT」 
「自白」に浮かんだ謎~愛知・豊川市男児誘拐殺人事件 (2008/7/26 TBS放送)
 ちょうど6年前の2002年7月28日、愛知県豊川市で幼い男の子が誘拐され殺害された。この事件では1人の男が犯行を自白して逮捕・起訴されたが、男はその後、自白を撤回した。
 拘置所から送られてくる何通もの手紙で、男は一貫して「無実」を訴えている。一方、遺族も事件以来6年間、捜査や裁判に翻弄(ほんろう)され続けてきた。 

幼児殺害 自白に浮かぶ
 1人の男が逮捕・起訴され、有罪判決を受けたが、村瀬さんは"未だに100パーセント犯人だと確信できない"と言う。
○翔ちゃん(当時1歳9ヶ月)の父 村瀬純さんインタビュー
「自分の中で『100パーセント犯人』というのがわかる証拠があれば一番よかったので、やっぱり証言だけだと多少憶測とかもあるので…。やっていない人間が罪を償うことはよくないので、その辺の白黒ははっきりさせたいですけど。」
○(河瀬被告からの手紙)
「事件については私は一切やっていません。」「自白させられました。」
 事件から9ヶ月後、犯行を自白して逮捕されたのが河瀬被告だった。警察の調べは、こうだ。
 河瀬被告は妻と折り合いが悪く、よくこの駐車場に車を停めて寝ていた。事件当日も車内で寝ていたところ、斜め前の車から聞こえてきた翔ちゃんの泣き声に腹を立てて誘拐した。その後、自分の車で海まで行き、翔ちゃんを投げ捨て殺害した。(警察の調べより) 
 だが、物的
証拠は一切なかった。
 事件から2ヶ月後、警察は河瀬被告の車を調べた。毛髪32本などが見つかったが、翔ちゃんの髪や唾液などは検出されなかった。
 さらに、翔ちゃんが連れ出された村瀬さんの車から、河瀬被告の指紋は出なかった。その上、目撃証言もなかった。
 河瀬被告の元同僚である鈴木行雄さんは、当時、裏付け捜査に訪れた刑事のこんな言葉が忘れられないという。
○元同僚 鈴木行雄さん
「『ほかに犯人がおりゃせんか』と言っていた、警察が。『結局、河瀬がやったものか、誰がやったものか、一応いま河瀬だと…本人もやったと言っているので調書を取っている』と。」
 犯人は河瀬ではないかもしれない、と捜査員は漏らしていた。自白に頼った逮捕だった。
 ところが、その自白も撤回された。
 河瀬被告は弁護士との接見で否認に転じ、裁判でも一貫して、「捜査員に自白させられた」という主張を繰り返したのだ。
 弁護団は何度も現場を訪れ、自白に不自然な点を発見した。供述は捜査側が作り上げた、と弁護団は指摘した。河瀬被告の自白を元に連れ去り現場を再現すると、その不自然な点が浮かび上がる、と言う。
 「事件当日の午前1時、原付バイクのグループがエンジンをかけた。車の中で寝ていた河瀬被告が目を覚ました。バイクグループが出て行くと、赤ちゃんの泣き声が耳に入った。そして3人の女性が赤ちゃんをあやしているのが見えた。」(河瀬被告の供述より)
 河瀬被告は当初、こう供述していたが…。
○後藤昌弘弁護士インタビュー
「あれ?よく考えて見ると、おかしい…。」
 実は、3人の女性は「私たちが駐車場を出るとき、バイクのグループはまだいた」と警察に説明していた。
 こうなると、次にバイクグループが出ていこうとエンジンをかけ、河瀬被告がその音で目を覚ました時には、すでに3人の女性は駐車場にいなかったことになる。
 "見えなかったはずの3人の女性を、河瀬被告が「見た」と供述した"と弁護団は指摘する。
 さらに、河瀬被告が翔ちゃんを連れ去った経緯についても、"自白に不自然な点があることをつきとめた"と弁護団は言う。
 翔ちゃんを助手席に乗せ発進させた時、河瀬被告はこう供述している。
 「自分の車のすぐそばに、女性が一人で乗った車を見た。」(河瀬被告の供述より)
 実はこの女性は、出会い系サイトで知り合った男性と初めて会う約束をしていた。周囲を注意深く見ていたはずだが、「河瀬被告の車も姿も見ていない」と証言した。これも不自然だと弁護団は言う。
○堀龍之弁護士インタビュー
「秘密の暴露(犯人だけが知る事実の供述)を意識して捜査したけれども、結局それが事実に合致していない。」
 さらに弁護団が不自然だと指摘したのは、河瀬被告が一連の供述をした後、再度の取調べに対し、「彼女たちを見たのは別の日だったかもしれない」と供述を取り消していることだ。
○後藤昌弘弁護士インタビュー
「後から客観事実と符合しない部分が出てくる。それにあわせて、あれは勘違いだったかもしれませんという形で、つじつま合わせをする。これも事実と違う調書が作られていく典型的なパターンではないか。」
 その上で弁護団は、殺害方法の供述について重大な指摘をした。
 逮捕当初、河瀬被告は殺害の具体的な方法について、こう供述していた。
 「翔ちゃんをガードレールの向こう側に立たせ、背中を押して海に突き落とした。」(河瀬被告の供述より)
 ところがその供述の2日後、これを疑問視する新聞記事が出た(朝日新聞、2003年4月17日)。当時、現場は干潮で、岸壁から3メートル先まで岩場が顔を出していたと見られる。
 翔ちゃんを突き落とせばこれにぶつかり、体に傷ができるはずだというのだ。だが実際は、遺体に傷はなかった。
 河瀬被告の供述が大きく変わった。その変えた内容は、"ガードレールをまたいで翔ちゃんを抱き上げ、両手両足を曲げた状態から、勢いよく海に投げ落とした"というものだった。
 変遷した供述。この供述なら岩場にはぶつからない。
○後藤昌弘弁護士インタビュー
「最初認めた自白調書の内容が、客観的事実と符合しなくなった。だから客観的事実と合わせるために自白の内容が変わっていったとしか思われない。ある意味で言えば自白の変遷がある。えん罪に典型的なパターンだと感じた。」
 2006年1月、一審を欠かさず傍聴してきた翔ちゃんの父、村瀬純さんが判決を前にこう話した。
○翔ちゃんの父 村瀬純さんインタビュー
「警察の話だと確実な証拠があるみたいな話だったので、それを信じていたんですけど、そんなもの、なかったなという気持ちですね。やっぱり、違う犯人がいるのかなあと思いますね。」
 2006年1月、一審・名古屋地裁。判決は無罪だった。
 裁判長は、捜査員の誘導によって自白が得られた可能性を指摘した。

幼児殺害 男はなぜ自白を?
 2年9ヶ月ぶりの自由だった。
○河瀬雅樹被告 記者会見
「皆様のおかげで無罪になりました。ありがとうございました。」
 幼児を誘拐・殺害したと一度は自白した田辺被告だが、その後、供述を翻し、一審で無罪判決を受けた。
 ようやく認められた無罪だが、失ったものは大きかった。妻と離婚し、養子だった河瀬被告は苗字を旧姓の田辺に戻した。そして、当時小学生だった2人の子供に会えなくなった。
 なぜ自白したのか。1人暮らしをはじめたばかりのアパートで聞いた。
○記者「田辺さんは本当にやっていないんですか?」
○田辺雅樹被告「やっていないです。」
○記者「翔ちゃんを連れ去ってないですか?」
○田辺被告「はい。」
○記者「海に投げても?」
○田辺被告「(海に投げても)いないです。」
○記者「どうして自白をしたんですか?」
○田辺被告「認めざるをえない状況になっちゃって。認めなきゃご飯も食べさせてくれない感じ。」
○記者「認める怖さはなかったんですか?」
○田辺被告「とにかく早く、取り調べが終わって欲しいというのが頭にあったもんで、毎日毎日。最終的に裁判の時に真実を話しようと思ったんですけど。」
 田辺被告と遺体発見現場の海に行った。
○記者「実際に(ガードレールの外に)立ってもらってもいいですか?いかがですか?」
○田辺被告「(幼児を)落とせるわけないですよ。ここら辺に岩があると言ってたけど。」
○記者「立ってみてどうですか?」
○田辺被告「怖いです、夜なら。昼ならまだ…。」
 田辺被告は泳げないという。殺害方法の供述が「突き落とした」から「投げ落とした」に変わった経緯を聞いた。
○記者「警察には何か言われたんですか?」
○田辺被告「"どんなやり方でやった?"とか。(それで)やったけどあまり飛ばないので、"もっと違うやり方じゃないか"とか言うので、"こういうやり方じゃない"とか…。警察の言いなりに、結局、投げ込んだことになった、最終的にはね。」
 検察側は、一審の無罪判決後に控訴した。名古屋高等裁判所で控訴審が行われているため、度々、出廷を命じられる。2007年6月、田辺被告に聞いた。
○記者「不安はないですか?」
○田辺被告「不安はないです。」
○記者「それは、やっていないからですか?」
○田辺被告「そうです。」
○記者「田辺さん、本当にやっていないですか?」
○田辺被告「やっていないです」

幼児殺害 判決前に被告は?
 控訴審判決の前夜。田辺被告の表情は明るかった。
○記者「いよいよ明日ですけど、どうですか?」
○田辺被告「自信あります。」
 11ヶ月に及んだ控訴審では、検察側から重要な新証拠は出てこなかった。
○記者「控訴審の判決は待ち遠しかったですか?」
○田辺被告「そうだね、長かったもんで。」
 "明日には無罪が確定する"。田辺被告はそう確信していた。

 2007年7月6日、控訴審判決の朝。
○記者「きのうは眠れましたか?」
○田辺被告「眠れました。頑張って無罪になることを確信していきます。いよいよ。」
 裁判所に向かうタクシーの中で、話を続けた。
○記者「無罪になったら何かしたいこととかありますか?」
○田辺被告「やっぱり、きちんとした仕事をしたいですね、まず。」

幼児殺害 逆転有罪の衝撃
 最後まで無罪を確信していた田辺被告だが、そのわずか30分後…。
「被告人を懲役17年に処する。」名古屋高等裁判所は一審判決を破棄
し、逆転有罪判決を言い渡した。田辺被告は法廷で手錠をかけられ、身柄を再び名古屋拘置所へと送られた。
 名古屋高裁は判決理由として"被告人がウソの自白をする理由がない"とした。田辺被告は上告した。
○(田辺被告からの手紙)
「まさか逆転有罪になるとは夢にも思いませんでした。本当にショックです。」

幼児殺害 男はなぜ自白を?
 拘置所から記者に宛てて、月に一度か二度、手紙が送られてくる。やっていないなら、なぜ自白したのか、理由をつづったものもある。
○(田辺被告からの手紙)
「私は丸2日間、夜11時頃まで取り調べられて…。」
「刑事さんは机を叩いたり椅子を蹴ったリしました。」
「身体に限界が来ました。」
「私自身が楽になりたかった為に、嘘の自白をしました。」
 二審の判決は、田辺被告が任意の取り調べで自白したことを重要視し、「重圧のない中での自白だから信用できる」とした。
 本当に重圧はなかったのか?
 午前4時、車で寝ていたところを起こされ、任意同行を求められた田辺被告。豊川署での任意の取調べは、朝4時半から夜9時頃まで行われた。その後、田辺被告は"車に戻りたい"と訴えたが聞き入れられなかったという。捜査員2人と近くのホテルへ、監視の下での宿泊だった。
○ホテル支配人インタビュー
「(警察官)数人ですよ。(田辺被告は)ちょっと暗っぽい雰囲気でぽつんと座っていた記憶がありますけどね。」
 翌日は朝8時から任意の取り調べだった。そして深夜に全面的な自白をしたという。
 この手法に疑問を投げかける専門家もいる。元東京高裁裁判長の木谷明氏もその一人だ。
○元東京高裁裁判長 木谷明氏インタビュー
「それはもう、いくら形の上で任意捜査だと言ったって抵抗できませんね。私も簡単に自白するでしょう、恐らく。」

幼児殺害 自白に浮かぶ謎
 2008年4月、福井県美浜町。田辺被告の父、政夫さん(73)は山あいで農業を営んでいた。
○記者「雅樹さんを信じていますか?」
○父 田辺政夫さん「ああ信じています。毎月2回ぐらい手紙が来るわけですけど、あれだけの手紙で無罪を訴えるということは、いつかは本音が出てくるんじゃないかと思ったんですけど、最初から最後まで『僕はやっていない』の一点張りだけでしたので、それで勇気づけられました。」
 田辺被告は、父親の元にも無罪を訴える手紙を送っていた。
○父 田辺政夫さんインタビュー
「(息子は)相手から何かを言われると"そうだ、そうだ"と迎合してしまう、というのは小さい頃からありました。だから今回の事件にしたって、取り調べの中では自分の意見をしっかりと言えなかったんじゃないかなと思います。」
 名古屋まで200kmの道のり。父、政夫さんは毎月、名古屋拘置所にいる息子に会いに行く。20分間の接見だ。
 この日は、いらなくなった息子の冬物を手に拘置所を出てきた。
○父 田辺政夫さんインタビュー
「今の気持ち、どうだ?と問いかけたんですけど、それをうまく言葉で上手に伝えてくれなかったんですけどね。弁護士さんも一生懸命やって頂いているし、『必ず無罪を信じて頑張っている』と…。」

自白の謎…深夜の信号機
 弁護団は6人に増えた。田辺被告の自白の信用性を揺るがす新たな証拠を見つけた、と言う。
 田辺被告は、連れ去りの様子をこう供述していた。
 「午前1時頃、翔ちゃんを自分の車に乗せ駐車場を出た。最初の信号が赤だったので止まり、助手席の翔ちゃんにシートベルトをした。そして信号が青に変わったので右折した。」(田辺被告の供述より)
 この供述のどこがおかしいのか。
 この信号は午前0時以降、赤の点滅になるのだ。犯行時刻のこの信号は、青信号も赤信号もあり得ない。赤で止まり、青で発進したとする田辺被告の自白は明らかに不自然だ。

幼児殺害 自白に浮かぶ謎
 加えて弁護団は、二審の判決理由の一節が"法律に反している"と強く主張する。その一節とは…
○(二審の判決文の一節)
「被告人が犯人でないことを示す事情は見当たらない。」
 刑事訴訟法では、被告側が無罪を立証するのではなく、検察側が有罪を立証しなければならない、と定めている(刑事訴訟法336条)。二審の判決はこれに反している、と弁護側は言う。
○堀龍之弁護士インタビュー
「被告人の側が『イヤ、私は犯人ではありません』という積極的な証拠が提出できない限りは有罪にしてよい、という考え方になってしまう。」
○後藤昌弘弁護士インタビュー
「これは非常に恐ろしい、一般市民にとっても非常にこれ以上怖い話はない。」
 実は当初、警察は翔ちゃんの父、村瀬純さんを疑っていた。アリバイがあり疑いは晴れたが、この誤った見込み捜査が証拠集めや目撃者探しの遅れを招いた面がある。
○翔ちゃんの父 村瀬純さんインタビュー
「捜査の遅れが生じたのは残念だと思いました。」
○記者
「翔ちゃんはどのように裁判を見ているでしょうか?」
○村瀬純さん
「(田辺被告が)本当の犯人だったら『本当の犯人だよ』って言ってくれていると思うんだけど、やっぱり100パーセント(確信があるわけでは)ではないので、不安な感じでいるのかなって思います。」
 そして、拘置所にいる田辺被告。
○(田辺被告から7月15日に届いた手紙)
「厳しい暑い日を迎えることになりました。独居房の食器孔の下の扉があいていますので、わずかですが、廊下から涼しい風が入ってきますが、やはり昼間は暑くて蒸し風呂のような状態です。」
 事件から6年、田辺被告が2度目の収監を受けて丸1年だ。今、体重は50kgを切ったと言う。
○(田辺被告からの手紙 続き)
「逆転有罪を受けた心の傷は一生涯、残ります。逮捕されてからの5年間は無駄な人生になり、本当に悔しくてたまりません。最高裁での逆転無罪を確信しがんばって闘っていきます。」
 2005年度、2006年度の2年間で最高裁判所が裁いた4,316の事件のうち、逆転無罪となったのは1件しかない。
 田辺被告への判断は年内(2008年)にも示される。《終》


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