中日・山本昌 通算200勝達成 最年長42歳11カ月で

2008-08-05 | 相撲・野球・・・など

(毎日新聞 - 08月04日 21:21)

完投で200勝目をあげた中日の山本昌投手=ナゴヤドームで2008年8月4日午後9時6分、小林努撮影
 中日の山本昌(やまもとまさ)投手は4日、ナゴヤドームで行われた巨人戦で通算200勝を達成した。200勝は04年の工藤公康(当時巨人、現横浜)以来、プロ野球24人目。42歳11カ月での達成は工藤の41歳3カ月を上回り、最年長記録となった。中日からはフォークボールの元祖といわれる杉下茂(のち大毎)以来、球団史上2人目。

 現役投手で200勝に最も近い勝ち星を挙げているのは西武の西口文也投手(35)で155勝(4日現在)。先発ローテーション制が確立した近年、200勝はますます至難の業となっている。【村社拓信】

 ▽山本昌の話 (ゲームセット後、同僚に胴上げされる)こんなふうに投げられるのはそんなにないので感激した。緊張感はあったけど、たくさん来てくれたファンの期待に応えたかった。中盤からこの点差なら完投しなきゃいけないと思った。

 ◇宙に舞い涙

 最後までマウンドを守り抜いた。通算200勝目は、完封した昨年4月17日以来の完投で飾った。チームメートの胴上げには「うるっときた」と山本昌の目に涙が光った。

 「今季一番のピッチングだった」。カーブとスクリューボールで打者を惑わし、130キロ台の直球で空振りを奪った。中日OBでスポニチ専属評論家の牛島和彦さんは「スクリューボールが得意とされているが、右打者のインコースにきっちり直球を投げられるからこそ、変化球が生きてくる」と分析する。

 プロ25年間は山あり谷ありだった。入団から4年は鳴かず飛ばず。5年目の88年、米国留学をきっかけに飛躍を遂げた。数々のタイトルを獲得し、ノーヒット・ノーランも達成した。しかし、昨季は200勝を目前にわずか2勝止まり。「このまま駄目なら仕方ない」と弱気にもなった。それでも「常に進化していくという気持ちは持ち続けた」。ファームで若手に交じって汗にまみれ、復活につなげた。

 喜びのコメントの後には「今季は2けた勝ちたい。そして(未勝利の日本)シリーズで勝ちたい」と次々と新たな目標を口にした。11日に43歳になる左腕の歩みは止まらない。【村社拓信】

 ◇祝勝のひと言

 ▽中日・落合監督 今ユニホームを着ている中で、あいつの1勝目を見てるのは、ウーやん(宇野コーチ)とおれだけじゃないかな。(継投しなかったのは)代えられません。日本シリーズとは違う。日本シリーズはチームのもの、これは本人の記録。

 ▽西武・渡辺監督(山本昌とプロ同期) 同期の誇りです。この2、3年、勝てずに苦しんでいただけにうれしい。

 ▽ロッテ・小宮山(同じ65年生まれ) 苦しい時期を乗り越えての達成だけに、喜びもひとしおだと思います。自分のことのようにうれしい。

 ▽横浜・工藤 「今日は今日で、2けた勝利を目指す」というインタビューの最後の一言がチームを第一に考える(山本)昌投手らしく印象的だった。一緒に投げ合う日を楽しみに、オレも頑張ります。

 ▽中日でバッテリーを組んだ中村武志・横浜バッテリーコーチ 僕と山本さんは名古屋での巨人戦で育てられた2人なので、特別な星の下で生まれたような運を感じる。200勝に満足せず、さらに球界を盛り上げてほしい。

 【略歴】山本昌(本名・山本昌広=やまもと・まさひろ) 1965年8月11日生まれ。186センチ、87キロ。左投げ左打ち。神奈川・日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日入団。背番号34。88年8月30日の広島戦(ナゴヤ)で初勝利。06年9月16日の阪神戦(ナゴヤドーム)で史上最年長の41歳1カ月で無安打無得点試合。登録名はチームに山本姓が複数いた時のものだったが、山本昌になって最多勝タイトルを獲得したことから、山本姓が1人だけになっても験担ぎで山本昌としている。

http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/801487e3416ae4bbbe06183cbef99b3c

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補遺記事

中日春秋
2008年8月6日

 史上最速で達成、などといえば格好がいいけれど、心をゆさぶるのは、速さばかりではない

▼中日ドラゴンズの山本昌投手が四日の巨人戦で通算二百勝をあげた。もちろん、史上二十四人目という大記録だが、なおさらすごいと思うのは、山本投手が、ほかのどんな選手よりも長い時間をかけて、そこにたどり着いたという事実である

▼プロ入りしてから実に二十五年を費やした。この十一日で満四十三歳になる。鳴り物入りの入団にはほど遠く、最初の四年は勝ち星も無かった。クビの危険もたびたび。やっと初勝利を挙げたのは一九八八年だ。そういえば巨人打線には、その年にオギャーと生まれた坂本選手もいたっけ

▼最多勝をマークしたり、奪三振王になったこともあるが、なぜか派手に勝ち星を積み上げてきた印象はない。投げるボールだってそう。速さで勝負はしていない。ゆっくり、ひたむき。そうやってここまで来た

▼何であれ手っとり早く結果を出す。そんな空気に追い立てられているような現代だ。山本投手にこそふさわしいと思うから、アンソロジーでみつけた三越左千夫さんの『かたつむり』という詩の一節を、お祝いに贈りたい

▼<のろのろ のろのろ/あるいて/いても/それは いっしょけんめい/かたつむり/のろのろ のろのろ/あるいて/いても/ちゃんと/とおくへゆける/かたつむり>

 


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