
松坂大輔、中日入団を勝ち取った恐るべき“執念”
喜瀬雅則2018.1.25 16:00 dot.
画像;中日への入団が決まった松坂大輔 (c)朝日新聞社
鮮やかなスカイブルーのトレーニングウエアは、両肩の部分に、ドラゴンズのチームカラーである深めの紺色、通称「ドラゴンズ・ブルー」が施されていたのは、単なる偶然だったのだろうか。およそ100人の報道陣。地元・名古屋のテレビ局が、入団テストの結果を生中継したほどの盛り上がりぶりに、自主トレ中の選手から「ドラゴンズが始まって以来の報道陣の数だね」の声が出たほどだった。
「個人的に“竜”が好きで、グラブにも刺繍するくらいなんです。何か縁があるのかな。そう勝手に思っています」
松坂大輔を基点とした、メディアの喧噪の輪。穏やかな表情で“ドラゴンズ”にまつわるエピソードを、自ら披露した。質問した記者の方に視線を向け、言葉を慎重に選びながら話し始める。メディアの先にいるファンに対して、まるで語りかけるかのように、ちょっとしたストーリーを披露していく。そうした心遣いとウイットに富んだ会見は、世界の大舞台で、その実力を長年にわたって見せつけてきた「スーパースター」にふさわしい振る舞いに映った。
2018年1月23日。冬のナゴヤ球場に、松坂大輔がやって来た。「入団テスト」と位置づけられた舞台を、37歳の右腕は「久しぶりの緊張感」と表現した。ソフトバンクでの3年間で1軍登板はわずか1試合、1イニングのみ。レッドソックス時代の2011年に右肘靱帯再建手術、いわゆる「トミージョン手術」を受け、ソフトバンク1年目の2015年にも右肩を手術した。
投げる、痛める、そして投げられないという、負のスパイラルの状態が、長らく続いている。昨季も、日本球界復帰3年目で初先発の予定だった4月15日のオリックス戦(ヤフオクドーム)の直前に、右肩に異常を訴え先発回避。以後、1軍どころか、2軍でもマウンドに立てなかった。
3年契約の満了に伴い、ソフトバンクが提示したといわれているのは「リハビリ担当コーチ」の肩書で、復帰を目指すというものだった。かつて、右肩手術後の斉藤和巳氏が現役復帰を目指し、このスタイルを取った前例がある。3年間で1軍登板1試合。その“実績”を踏まえれば、支配下選手の貴重な1枠を、松坂といえども与えることはできない。かといって、日米通算164勝の右腕に「育成契約」を提示するようなことをすれば、むしろソフトバンクの方が、球団としての見識を問われる。松坂のプライドと、球団側の最大限の誠意ともいえる“落としどころ”でもあったが、松坂はこれを断ったという。
現役引退を強いられたわけではない。しかし、それは事実上の戦力外も意味する。松坂クラスの選手になれば、自分で、自分の引き際を決めなければいけない。ぼろぼろになる前に、晩節を汚さぬよう、自ら身を引くのか。それとも、何を言われようとも、とことんまで、野球にこだわり、しがみつくのか。松坂は、後者を選んだ。だから、ソフトバンクを去った。復活への猶予を与えるというその厚遇を蹴ったのは、自分はあくまで「現役投手」だという矜恃だ。愚直なまでの野球へのこだわり。テストの「合格」を決めた直後、中日・森繁和監督は「納得がいっていないんだろう。ここでやめるかどうか、そんなことは分からない。でも、そういう道を、私が作ってもいいのかな。そうさせる何かが、あいつにはある」と、松坂の“執念”を、何よりも評価した。
ソフトバンク退団直前の昨年11月の時点でも、ブルペンで捕手を座らせ、本格投球を再開させていた。名古屋でのテストに合わせ、ロサンゼルスでもトレーニングを積んだ。メジャーのキャンプインは2月中旬。その1カ月前にあたるこの時期、全盛期の松坂だったら、体作りがメーンで、ブルペンに入ることなどないだろう。それでも松坂は、底冷えのする名古屋の室内練習場で、全力で投げた。ストレートにスライダー、カーブ、チェンジアップ。森監督は、22球を投げたところで、ストップをかけると「よし、着替えてから、しっかり会見してこい」。それが、合格への合図だった。
「はっきりと『合格』って言われなかったんです」と笑いながら明かした松坂だったが、非公開で行われた入団テストで、投球らしき“ミット音”が、報道陣に聞こえていたのは、ほんの5分ほどのこと。18歳の松坂大輔が西武に入団した1999年、2軍投手コーチとして、若い剛腕の凄さを間近で見続けてきた指揮官にとって、19年後の変化は、ひと目見ただけで分かっただろう。それでも、松坂の心が“折れていない”と分かれば、それでよかったのだ。
「やり尽くすまで、ここでやってみればいい。どこまでついてくるのか、今後を楽しみにしています。松坂世代といってる連中もいる。あるもの全部を見せて、言葉で、体で、自分の後ろ姿で、いろんなものを若い選手に教えて欲しい」
指揮官は、合格を告げた後の会見でそう語った。調整のスケジュールに関しても、松坂に「キャンプで過ごすタイミングの中で言ってくれ」と告げた。それでも、松坂に甘えるつもりなどない。「何度も言いますが、僕はここ何年も投げていません。僕の中では、テストが終わったらキャンプ、キャンプをしっかり過ごしてオープン戦、オープン戦でしっかり結果を残して開幕。しっかりと開幕を目指す上で、キャンプまでに『100』にしていきたい」
キャンプのブルペンで投げ、バッティング練習で投手を務め、シート打撃に登板し、紅白戦で投げ、結果を出した上でオープン戦のマウンドをつかみ、そして開幕へ。1つ1つの関門を、自分の力で突破できる。その自信があるから、名古屋という、最後の勝負をかける新天地へやって来たのだ。
さて、現実を踏まえた、今後の話もしてみよう。中日は2013年から5年連続Bクラスと低迷が続いている。昨季、2桁勝利を挙げた投手がおらず、大野雄大の7勝が最多。チームの浮上には、投手陣の再建が急務だ。しかし、現時点でもタレント不足は否めない。開幕時の先発ローテーション候補に挙がるのは、その大野をはじめ、昨季5勝の22歳・鈴木翔太、21歳の左腕・小笠原慎之介、2年目の柳裕也らの若手に、33歳の吉見一起、39歳の山井大介のベテラン勢。新外国人の左腕・ガルシア、右腕・ジーの加入に、4年連続50試合以上登板のセットアッパー・又吉克樹の先発転向も検討されているが、質量とも、現時点では“弱い”といわざるを得ない状況だ。
松坂には、全盛期の150キロ超、浮き上がるストレートはもう期待はできないとはいえ、その“術”はある。横浜高時代に春夏の甲子園を制し、レッドソックス時代にワールドシリーズを制覇、五輪で2度、WBCでも2度日本代表になった“レジェンド”の存在は、若い投手陣の中で、豊富な経験値がもたらす効果は計り知れない。前述したように、昨季も一度は、ソフトバンクの先発ローテの一角を任されようとしていたこともある。「もちろん先発はやりたい」という松坂が、中日投手陣の“貴重な1枚”になり得る可能性は十分にある。そして、戦力としてはもちろんだが、グラウンド外でも、中日に大きな効果をもたらせる“潜在能力”も秘めているのだ。【後編(26日配信予定)に続く】(文・喜瀬雅則)
●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。
◎上記事は[dot.]からの転載・引用です
...........
〈来栖の独白 2018.1.25 Thu 〉
松坂の入団テストについては、多くの記事があった。が、上記事が松坂の気持ち、ソフトバンク・中日球団の対応について、最も堅実に書かれているように感じた。
松坂を応援したい。今季は、ドームへ足を運ぼうかな。松坂先発の日に。松坂さん、必ずや一軍登録してください。楽しみに待っています。
...........