『放浪記』が終わり、今月13日より中日新聞の朝刊連載は『一握の砂』が始まった。少女のころ、私も愛唱した。「一握」と聞けば、『一握の砂』を連想したものだったが、後年藤原清孝の一審判決文を目にし、ある種感慨にとらわれた。当時被告本人は審理・判決ともに不服だったが、私は概ね満足していた。被告の心情をよく汲み取ってくださっているという気がした。
【量刑の理由】から以下の文脈が心に残っている。裁判長裁判官橋本享典
“・・・瀕死の被害者神山光春から「水をくれ」と言われたとき、・・・・冷酷兇悪な犯行の合間に見せる、被告人に残された一握の人間性に至るまで、被告人に有利な一切の情状を考慮しても、前記のような犯行の重大性にかんがみ、被告人は、その生命をもって責任を償うほかなく、判示第一及び判示第二の各罪につき、いずれも極刑を選択するのが相当と考える。・・・”
勝田事件については、大きな事件にもかかわらず一審が3年、二審2年、上告審6年で確定している。捜査も「らくな捜査だったよ」と刑事に言わしめている。神山事件で殺意の有無を争ったほかは、すべて己が非を肝に銘じ、贖罪に心を向けていたから、早期に結審したのだった。
しかし裁判員制度になれば、審理の期間は比較にならないほど短縮されるだろう。命のかかった法廷が拙速に進められてゆく。 「刑事裁判は死んだ」。安田好弘さんの言葉に、私は戦慄を覚えずにはいられない。豪憲君事件の被告弁護団も先が読みきれないでいるのだろう。不慣れな?刑事弁護に、まごついているかにさえ見える。起訴されたなら、この裁判をしっかりと見届けたいと思う。
待つことのできにくい、怒りの時代。命が鴻毛の軽きに喪われる時代。乾いてデジタルな心。
“・・・この涙は必ずあがなわれなくちゃならない。でなければ、調和などというものがあるはずはない。”(『カラマーゾフの兄弟』)
『一握の砂』少しだけれど、書き写しておきたい。
[13日掲載より]
非凡なる人のごとくふるまへる 後のさびしさは 何にかたぐへむ
何がなしにさびしくなれば 出てあるくをとことなりて みつきにもなれり
[14日より]
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
頬つたふ なみだのごわず 一握の砂を示しし人を忘れず
砂山の砂に腹這ひ はつこひの いたみを遠くおもひ出づる日
いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
[15日より]
いと暗き 穴に心を吸はれゆくごとく思ひて つかれて眠る
草に臥て おもふことなし わがぬかに糞して鳥は空に遊べり
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ 汽車を下りしに ゆくところなし