小泉氏の脱原発論 現実を踏まえながら目標への橋を架ける作業に向き合ってこそ責任ある政治

2013-11-22 | 政治

原発政策にはリアリズムが必要だ
 日本経済新聞 社説 2013/11/20付
 小泉純一郎元首相の脱原発発言が反響を呼んでいる。発信力はなお衰えておらず、今後の原発政策に影響を与えかねない。ちょっと立ち止まって考えてみたい。
 自民党の石破茂幹事長は背広の内ポケットに、いつも一本の赤鉛筆を入れている。本や資料に目を通す際、大事な箇所に赤線を引きながら読むためだ。あることを理解しようとするとき、繰り返し赤線を引いて読み込む。*経済はじめ多くの変数
 今、赤線をいっぱい引いているという本がある。石川和男著『原発の正しい「やめさせ方」』(PHP新書)だ。きっかけはもちろん小泉発言である。いきなり場外から投げ込まれた変化球を、うまく打ち返すためのヒントをつかもうとの思いからだ。
 この本のポイントは原発を動かしながら廃炉のための資金を稼がせて、少しずつ脱原発に向けて進んでいくというものだ。「原発は無理に殺すな利用しろ葬式代は自前で出させろ」と説く。
 石破氏が小泉氏と方向性は同じと語っていたのは、この“安楽死”のすすめが念頭にあってのことのようだ。しかし小泉氏は日本記者クラブでの講演で「原発即ゼロ」と“即死”に踏みこんだ。
 理想論としての脱原発はともかくとして、改めて考えなければならないのは即時原発ゼロがはたして現実に成り立つのかどうかの政策のリアリズムの問題である。
 第1の変数は当面の経済だ。原発を停止したことで、火力発電の燃料となる液化天然ガス(LNG)や原油の輸入代金が2013年度は、東日本大震災発生前より3兆6000億円増える見込みだ。
 国富がそれだけ海外に流出しているわけだ。貿易収支の赤字はすっかり定着し、このままいけば国の稼ぐ力をあらわす経常収支がそう遠くない将来、赤字に転落するケースも想定される。その先、国債暴落、財政破綻という最悪の事態も招きかねない。
 第2の変数は産業と日米関係である。日本と米国の間では原子力共同体といえるかたちができあがっている。東芝とウエスチングハウス、日立製作所とゼネラル・エレクトリック(GE)の企業連合がそうだ。日本は世界の原子力産業の中核を占めているという現実がある。
 それは日米に響く。アジアや中東で原発計画が相次ぐ中、日本が即時脱原発に向かえば日米連合による原発の受注は不可能になる。核拡散の懸念も出てくる。中国の台頭もある。米国は安全保障の観点からこの問題をとらえる。
 昨年9月、民主党政権下でエネルギー政策を決める際、米側から脱原発に待ったがかかり、決定の最終局面でドタバタ劇を演じたことを思い出せばすぐ分かる。
 第3の変数は技術だ。再生可能エネルギーやもう一段の省エネは開発途上で、原発の肩代わりが可能かどうかなお未知数だ。
 同時に、東京電力福島第1原発をはじめとして今後、廃炉を進めていかなければならない。そのためにも原子力技術を維持していく必要がある。技術の基盤が失われるのは何としても避けたい。
 核廃棄物の最終処分にメドが立たないのはその通りだが、原発即ゼロに動いたとしても使用済み核燃料が減るわけではない。
*求められる政治の責任
 原発政策の変数はこれにとどまらない。変数が少ない政策なら、それこそ「首相が決断すればできる」かもしれない。だが問題が複雑にからみ合っているテーマは、現実を冷徹に見つめながら、実現可能な答えを導き出すしかない。
 客観的な事実を無視して行動に移すと身動きがとれなくなるのは、歴史が教える通りだ。しばしば話題になるのが猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)である。次のような内容だ。
 政府は日米開戦を前に、各省などから優秀な若手人材を集めた総力戦研究所を設け、日米が戦ったら何がおこるかの机上演習(シミュレーション)を重ねた。開戦直前の16年夏に出した結論は、緒戦は勝つが国力の差から劣勢になり敗戦に至るというものだった。東条英機陸相は机上演習は「机上の空論」とこれを退けた――。
 ここから読み取れる教訓のひとつは政治には現実を直視するリアリズムが必要だという点である。
 小泉氏の脱原発論が突きつけたのは、現実を超え「日本をぶっ壊す」ことにより国家再生をめざす創造的破壊への切っ先なのかもしれない。ただ実際の政治は日常性の中にある。現実を踏まえながら目標への橋を架ける作業に向き合ってこそ責任ある政治といえる。
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