「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法

2007-11-04 | 光市母子殺害事件

『2006 年報・死刑廃止』特集“光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか”
「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法

平川 「凶悪」ということが言われる背後で、敵意のようなものが世の中に蔓延しているように感じます。
 私は、最近の報道が前と変わってきているように感じています。報道による人権侵害ということが言われて、80年代の後半から90年代の初めにかけて、メディアの事件報道がちょっと沈静化しました。端的には、88年に、それまで被疑者が逮捕されると呼び捨てになっていたのが、容疑者という---これが肩書きなのか何なのかはよくわかりませんが---容疑の段階であってまだ犯人と決まったわけではないという趣旨の呼称をつけるようになりました。この頃は、メディアがちょっと慎重になった時期だと思います。しかし、95年頃から、松本サリン事件、地下鉄サリン事件、和歌山毒カレー事件などをきっかけに元へ戻って、前よりもさらにセンセーショナルな報道をするように変わってきたと思います。たとえば、以前は、新聞の1面トップに事件報道が載るということは、まずなかったと思います。それは、新聞の品位の問題と言う意識が新聞のほうにもあって、1面トップは政治記事、その次は経済記事で、事件報道は社会面という意識があった。最近は、そういう意識がなくなっています。事件の節目の報道だけでなく、捜査経過までが、1面に、場合によってはトップに載ります。テレビでも、以前はトップニュースは国際と政治だったのが、最近はそうではなくなってきています。ニュースの中での事件とか犯罪というものの位置づけ、割合が、非常に大きくなってきています。それが、一般の人たちの感覚にかなり大きな影響を与えているように思います。最近、「体感治安の悪化」ということが言われますが、この辺に理由があると思います。新聞を見ると1面トップに犯罪記事が出ている、テレビをつければニュースのトップに犯罪が出てくる。それが、自分たちの周りが非常に危険であるという意識を生み出します。そして、犯罪統計が発表されるたびに、必ず「危ない」という危険キャンペーンがなされます。これは昔からあることで、警察や法務省は、治安対策を言うことで権限を肥らせ、要員を増やすことができるわけです。しかし、メディアは、警察や法務省の言うことをそのまま報道する。メディアは、本当にそうなのか、統計をそういうふうに読むのが正しいのかという批判的な目で見ずに、警察や法務省が言っていることをそのまま報道する。それで、一般市民も治安に対する不安感を煽られていく。その結果が、今の状況を生み出していると思うのです。


2 コメント

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TBありがとうございます ()
2007-11-05 19:08:57
新聞離れが進んでいるそうで、特に若い人の新聞離れは深刻だそうです。
http://mainichi.jp/select/opinion/takamura/
↑に書いてありますが、売れるために新聞がエンターテインメント化しているわけでして、犯罪報道が一面に出るのもその表れなんでしょう。
こういう動きは加速されるばかりなのでしょうか。
浅野健一氏が主張する犯罪報道の匿名化なんて夢のまた夢ですね。
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う~む、そうですか・・・。 (ゆうこ)
2007-11-05 21:49:26
 高村氏と藤原氏の対談、拝見。
 何もかもが悪いほうへ回ってゆくようですね。安田さんの予言!「来年、再来年ぐらいになると・・・社会全体が凶悪化するような気がするんです」通りに行ってるみたいですね。浅野さんや安田さんといった極々僅かな人だけが、事の真相を見通して心配しているように思います。
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