山口県光市母子殺害「外の犬に手紙を見せるなよ!」 “人権派”弁護士の戦術は正しかったのか
2020/12/5(土) 17:12配信 文春オンライン
山口県光市母子殺害事件 裁判所が「性欲を満たすため姦淫行為に及んだ」と判断した理由とは から続く
1999年4月14日、山口県光市の団地アパートの一室で起きた母子殺害事件。当時18歳だった少年は抵抗する女性の頸部を圧迫して殺害した後、屍姦し、傍で泣き止まない生後11ヶ月の娘を床に叩きつけ、首を絞めて殺害すると、女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。公判では検察が少年に死刑を求刑。一審二審ともに無期懲役となったものの、最高裁が判決の見直しを求めて広島高裁に差し戻した。死刑でないのはおかしい――最高裁はそう判断したのだ。
その差し戻し審の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)
■悔悛の情を引き出す手立てはなかったか
判決は、最後にこう締めくくった。
「上告審判決を受け、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無について慎重に審理したものの、(中略)むしろ、被告人が、当審公判で、虚偽の弁解を弄し、偽りとみざるを得ない反省の弁を口にしたことにより、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見出す術もなくなったというべきである」
忌憚のないところをいえば、この弁護士たちが少年を殺したに等しい、ぼくはそう思っている。
“人権派”に名を借りた“死に神”と呼びたくなる。
あるいは、手塚治虫の世界でいえば、『ブラック・ジャック』に出てくるドクター・キリコといったところか──。
もっと、この少年の悔悛の情を引き出す手立てはなかったのか。
たとえば、あの拘置所から送られた手紙。
一審で無期懲役であったことを勝ち誇ったように書き連ねたあの手紙には、もっと分量があって、もっと様々なことが書き綴られていた。
包み隠さず言えば、ぼくはその手紙の文面を見ている。取材の過程で目にすることがあった。
諸々の事情で、その内容をここに披露することは躊躇われるものだが、しかし、彼の書いた手紙には、悪ふざけの中にこんな文面だってあったのだ。
■手紙に書かれた母への愛
【今日の公判は最悪だー。心に穴があいてしもうたよ、夫と母親にすごいこと言われて自分がみじめになってきた。手紙がなかったら自殺もんでした。ほんとに死刑になって死んじまうなら自分で自分の命をたつ、それか自分の友人か家族に殺してもらいてーと何度も思った。まーよくよく考えるとこれも自分がやった過ちなんだけどねー、でもこの人たち(本村さんち)は死を理解してないんだろうね……それは法ていの場で本村さんの夫の人が僕が実刑判決とかだったらいずれ出たら僕を殺すんだって言っていたよ……なんだか人間ってわかんねーよな人間カーとなったら後のことなんてかんがえねーもんな……僕は母親の死に直面して死というものが中一のときにわかんなくなっちゃってゆくゆくこのざまさ、小さいとき(子供)の記憶ってえのはすごいもんだよーこのことで僕は父にはんぱつして学校でわかかってそして殺人だもんなーこんなことたぶん一回殺人をおかした人でないと僕の気持ちはりかいできねーだろうなーまー将来人の命を救うボランティアみたいな仕事につきてーな、これからは親にたよらず自分で一走一走そして一足一足そして一歩一歩大切にいこうと思う。人間の命は一つだけどつかいかたによれば何百もすくえるもんなーこのことを一生忘れたくない】
【涙だけはいつもだしてたなー、腹立つと出るし、悲しいと出るし、助けてくれーも出るし、人が死んでも……でないのよー、オレの母さんが死んだとき悲しさとーりすぎてね! ……あれって、ほんとに愛しているときは出んのんよたぶん】
【俺は、死ぬか、10年~20年の暮らしをおくるわけだが、できれば生きてーな、俺の眼で見れるかぎり世の中を見てやる! そして、気狂いと言われるかもしれねーが……生命の息吹を聞きてー、あと、四季のうつり変わりがな】
■裏切られ続けた少年
【女のことは書けねぇー、普通ならな! だって知ってるよなぁー、オレが……したのは女なの! ……しかも子供もな! ……何も罪はねぇー、二人は幸せだったのにオレは、恐怖の大王、となりの地球へ……オレたちって、神のコマなのかなーって考える】
【これがキミはわかるかな? 私はキミたちのように人の外面にキズを付けたのでなく、私は人の内面にキズを付けた人間である……。誰が許し、誰が私を裁くのか……。そんな人物はこの世にいないのだ。(中略)二人は帰ってこないのだから……。この世に霊がいるなら、法廷に出てきてほしいものだ……】
【オレはマザコンではないだろうかと思うくらい母さんが好きだった。母さんもオレや弟をだいじにしてくれた。でも裏切られた。たとえだれが何と言ってももーだめだと、自分の人生を捨ててしまって殺人までした。たぶん自分が死んでカマでももった死神になっていたのだろう。殺生のせの字も考えてなくて……でも今は自分の捨てた夢や愛に目覚めたいと思っている。まちがっても人なんて殺さないと神に誓っている。クサクサ、とか思う人もいるかもしれないがもう自分をみだしたくない。今までは人が死んでも涙もでなかったが、いまでは紙きれ一つで号泣だ】
そんなことを、同じ紙面に著わしていた。
事件や裁判に対して、おちょくったような言葉があるのも正直なところなら、こうした自分を見つめるところも、また彼の正直なところではなかったか。
誰か、そのわずかな一面でも酌みあげる手立てはなかったのか。
彼は同じ文面の中に、繰り返しこんな一文を書き示している。
【これはワシのストレスかいしょうほうです! こういう手紙は友達にしか書けません! ごりょうしょうくださるようお願いします!】
【この手紙はオレと神だけのものだ。できることなら、オレが最高裁すんでから他の人に見せてくれ! な。信じてるぜぇ相棒よ】
【注意しとく。外の犬に手紙を見せるなよ! マスコミのバカは人間でなく、国の犬、以下のクソのようなヤツらよ】
少年は様々な人たちに裏切られ続けた。
こうして、犯行当時史上最年少の死刑判決者が誕生したのである。
青沼 陽一郎/文春新書
最終更新:文春オンライン
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です