『私が見た21の死刑判決』(青沼陽一郎 著)…光市母子殺害事件 犯人の“偽りの反省”

2020-12-06 | 光市母子殺害事件

『私が見た21の死刑判決』 (文春新書)   青沼 陽一郎 (著)

『犬がある日かわいい犬と出合った。そのまま「やっちゃった」』 光市母子殺害、犯人の“偽りの反省”
 2020/11/28(土) 17:12配信 文春オンライン
 1999年4月14日、山口県光市の団地アパートの一室で起きた母子殺害事件。当時18歳だった少年は抵抗する女性の頸部を圧迫して殺害した後、屍姦し、傍で泣き止まない生後11ヶ月の娘を床に叩きつけ、首を絞めて殺害すると、女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。公判では検察が少年に死刑を求刑。一審二審ともに無期懲役となったものの、最高裁が判決の見直しを求めて広島高裁に差し戻した。死刑でないのはおかしい――最高裁はそう判断したのだ。
 その差し戻し審の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。 後編 を読む)

光市母子殺人事件
 拘置所からの手紙が、時として死刑を招くこともある。
 それも、一度は死刑を免れたというのに、手紙によって裏切られていく。
 それが、山口県光市母子殺害事件のケースだった。犯行当時18歳の“元少年”と呼ばれた被告人のことだ。
 少年は、99年4月、光市の団地アパートを水道整備会社の下水点検を装って戸別訪問しながら、強姦目的の相手を物色。やがて、アパートの一室の本村洋さん宅にたどり着くと、在宅中だった当時23歳の妻・弥生さんに襲い掛かり、両手で首を絞めて殺害した後、屍姦。その時、いっしょにいた生後11カ月の長女・夕夏ちゃんを床に叩き付けた上に、絞殺し、二人の遺体を押し入れに隠すと、被害者の財布を奪って逃走したという事件だった。
 一審の山口地方裁判所では、起訴事実を認めて、無期懲役となった。もちろん、反省の弁も口にしている。弁護側は、犯行当時の18歳という年齢や、複雑な家庭環境にあったことなど、情状面を主張していた。そんなことも加味されたのだろう。
 ところが、その判決のあとに、拘置所から送った手紙には、こうした文言が躍っていたのだった。
 【犬がある日かわいい犬と出合った。そのまま「やっちゃった」、これは罪でしょうか】
 【だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ】
 【ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君】
 偽りの反省と、誤魔化しの弁明を認めるような文面が並んでいたことから、死刑を求めて控訴していた検察側は、二審の広島高等裁判所にこの手紙を証拠として提出したのだった。

これで死刑でないのはおかしい
 被告人も、よもや手紙が証拠として挙がってくるとは思ってもいなかったのだろう。それも、腹のうちを明かせると思っていた数少ない友人に宛てたはずのものだった。
 それでも、被告人は事実関係に争う姿勢を見せず、反省の弁を述べ、繰り返し情状面を主張。その上で、二審も元少年を無期懲役としたのだった。
 おそらくこの時点で被告人もほっとしたことだろう。勝った、負けた、はともかく、身から出た錆とでも言うべき難局を乗り切ったのだ。まずは形勢を取り戻して、命拾いしたことに安堵したはずだった。
 ところが、この判決を不服として検察が上告した最高裁判所で、また事態は一転する。
 これで死刑でないのはおかしい、と最高裁が言い出したのだった。
「死刑を選択しない事由として十分な理由に当たると認めることはできない」として、高等裁判所に差し戻す。つまり、死刑を回避できるだけの特に酌量すべき事情があるか、もっとよく審理をしなさい、と突き返したのだ。
 再び、死刑の瀬戸際に立ち戻ることを余儀無くされた裁判。広島高裁での差し戻し控訴審。
 そこで少年は、それまでの主張を一転させる。
 ぼくは、この時から“元少年”と呼ばれた被告人の姿を見てきた。

1回目の集中審理
 2007年6月26日、広島高等裁判所第302号法廷。中央の証言台の前に座った被告人に、もはや“少年”の面影はなかった。
 頭のてっぺんから無造作に伸びた張りのない髪は、襟足を覆うまでに垂れ流され、毛先が肩にあたって軽くカールしている。元来ががっしりした体格なのだろう、首や肩は太く、さらにその上に余分な肉が付いて、なで肩に前のめりの姿勢は、むしろ中年太りを連想させた。そして、入廷するなり急に思いついたように立ち止まって、ぎこちなく一礼して見せた。そこから窺えた男の顔。垂れ下がった前髪にかかって、まるで鋭い刃物で切り込みを入れたように細い真直ぐな目が見えた。エラの張った広い頬の白さが浮き立っていたこともあって、目の回りが幾分赤味がかって見える。
 この日から3日間の予定で、1回目の集中審理がはじまった。
 被告人に犯行当日のことを、あらためて語らせることで、これまでと違った事件の真相を明らかにさせるという弁護側の法廷戦略だった。
 その声は、力のこもらない、鼻から抜けるような甲高いものだった。よほど緊張しているのか、声も小さく、最初の2~3問で裁判所の職員が証言台に置かれたマイクをわざわざ被告人に近付けたほどだった。
 しかも、早口で、予め台本があって、それを丸暗記して段取りを追うようなしゃべり方だった。その上、弁護人が部屋の見取図を示して、そこに家具の位置や自分の立った場所、さらには被害者の位置関係まで図示できるかと問うと、その度に「はい、書けます」と即答して、何のためらいもなく書き込んでいくのだった。
 それだけでも、弁護人とかなり綿密な打合せを繰り返したことは、よくわかった。

死刑反対論者の弁護士
 証言台の右手には、この差し戻し控訴審から就いた21人からなる弁護団が2列に机を並べて座っている。
 その前列、裁判長寄りの場所に主任弁護人が座っていた。
 見慣れた顔だった。
 死刑反対論者として知られ、俗にいう人権派弁護士。そして、麻原彰晃の主任弁護人を務めていた弁護士だった。
 かねてより彼の持論はこうだ。現在の裁判所は、死刑を憲法違反と認めることはない。ならば、典型的な死刑が予想されるケースでは長く裁判を継続していく以外に方法がない。死刑の確定をより先に延ばすというのが、被告人の最大の弁護になる。そう公言しているのだ。
 それが、麻原裁判の長期化にもつながっていたし、この事件で差し戻しが決定した最高裁判所の弁論に臨んでも、欠席届を提出して、期日当日に出廷せずに、すっぽかしていた。そうして、やっぱり裁判を先送りさせていた。
 もっとも、過去においても、公判をすっぽかして、裁判を進めさせないことが繰り返しあった。
 それも、被告人の意思や利益よりも、弁護士の主義や都合を優先させる。麻原裁判でも、被告人が出廷しているにも拘らず、裁判をボイコットしたことがあったし、その麻原が、反対尋問をやめてくれ、意見陳述をさせてくれ、と懇願しても、これを無視した挙げ句に、裁判の長期化どころか、被告人の口を噤ませてしまったことは、既に語った通りだ。
 むしろ、裁判の先送りよりも、公判を混乱させるところに、この弁護士の本領があった。死刑反対論者どころか、もはや運動家だった。

レイプ目的と殺意の否定
 とにかく抗うこと、抵抗姿勢を示す。そして、今回のような大きな事件となれば、徒党のように大きな弁護団を結成する。法廷に数の威力でデモンストレーションしてみせるパターンが定着していた。
 それでも、法廷で彼の顔を見るのも久々だった。
 麻原裁判が継続中の98年12月に、この主任弁護人が逮捕されていた。逮捕容疑は強制執行妨害。自分が顧問弁護士をつとめる不動産会社の差し押えを逃れようと、会社所有のビルのテナント料をダミー会社に移して誤魔化す指示をしたというのだ。それも、裁判所の差し押えだったという。
 最後に弁護士の姿を見たのは、彼の初公判のときだった。麻原が裁かれるのと同じ、東京地裁第104号法廷。いままで麻原が座っていた場所に、手錠をして連れてこられた姿を見た時は、悪い夢を見ているようだった。
 それ以来、麻原裁判にも姿を見せず、自分の裁判への対応で、それどころではなかったらしい。
 結局、彼の裁判は一審で無罪となる。
 再び弁護士としての活動を再開したところで、世に知られた死刑反対運動家のもとに、この手の事件が舞い込んできたのだった。
 そこで、これまでの少年の主張を一変。弁護団があらためて主張したことといえば、レイプ目的と殺意をすべて否定したことだった。

 “死者を生き返らせるための儀式が屍姦行為だった” 1999年光市母子殺害事件犯人の言い訳  へ続く

 青沼 陽一郎/文春新書
 最終更新:文春オンライン 

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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“死者を生き返らせるための儀式が屍姦行為だった” 1999年光市母子殺害事件犯人の言い訳
『私が見た21の死刑判決』より#10 
 青沼 陽一郎  2020/11/28  

 1999年4月14日午後2時半頃、山口県光市内の社宅アパートで起きた強盗殺人事件。アパートの一室に侵入した少年は抵抗する女性の頸部を圧迫して殺害した後、その女性を屍姦し、傍で泣き止まない娘を床に叩きつけ殺害した。女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。事件から4日後、少年は逮捕され、公訴が提起された。
 その公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。前編を読む)

ドラえもんの四次元ポケット
 その秘密兵器が『ドラえもん』だった。
 犯行から8年の歳月を経て、26歳になっていた元少年は、この事件の真相に『ドラえもん』を登場させたのだった。
 その瞬間、法廷中の血の気が引いたような感覚に襲われた。
 少年は殺害した子どもの遺体を、押入の上の天袋の中に入れている。その後には、屍姦した女性の遺体を押入の中に入れて、現場を立ち去る。
 その理由を聞かれて、法廷の被告人はちょっと躊躇いながら、こう明言したのだ。
「押し入れの中というのは、ぼくにとってドラえもんが住んでいる、四次元ポケットですね。何でも叶えてくれる。のび太の家では、押し入れはドラえもんの寝室なんです。押し入れに入れることで、ドラえもんが何とかしてくれるという考えがありました」
『ドラえもん』の言葉と同時に息を呑んだその場の人々は、それから急激に熱が引いて冷めていくのがわかった。
 傍聴席でメモをとっていたぼくのペン先も震えていた。ノートに残った「ドラえもん」の文字も、ひときわ大きくなって躍っている。

死者に対する姦淫行為の意味
 そんなことを聞かされる側も、どう受け止めてよいのやら、困ってしまう。
 さらには、死者に対する姦淫行為を、こう意味付けるのだ。
 弁護人が聞く。
──姦淫行為に対する気持ちはどういうものでしたか。
「生き返って欲しいという思いですね」
──それはどうつながるのですか。
「山田風太郎の『魔界転生』を読んで、姦淫行為をすること、精子を女性に入れることで、復活の行為ができるとありました」
──死体に精子を入れることで生き返ると?
「その通りであります」
──それまでに女性との性交渉は?
「経験ありません」
 そしてこう続けた。
「ぼくの中では、姦淫行為というより、お母さんと長い間いっしょにいたかったとありまして、膣の中に──当時、膣という言葉も知りませんでしたが、ぼくの勃起したチンチンを入れて、すぐに射精したということもありません。どの時点か、射精はしとります」
 死者が生き返る、そのための儀式が精子の注入、屍姦行為なのだった。それも、小説が教えてくれたこと。 
 しかし、死者は甦ってはいない。
 ドラえもんも助けてはくれなかった。

母は自殺、父は暴力
 もう、そののっけから弁護側の主張は混乱していた。
 事件を起こす前月に高校を卒業し、4月に地元の水道整備会社に就職したばかりだった。ところが勤めはじめて2週間で、会社に風邪だと嘘をついて欠勤する一方、家族には出勤を装い、作業着を着て家を出るようになる。この日もそうだった。そこで彼のはじめたことを、冒頭陳述の中でこう説明する。
「仕事に行けない自分、やることもなく独りぼっちの自分、そこで被告人は時間つぶしのための遊びを思いついた。それが、アパートを戸別に回り、玄関ブザーを押して、下水の検査に来たと言ってトイレの水を流させるという、ピンポンダッシュに似た遊びであった。それは仕事のまねごと、つまり、ママゴトであった」
 被告人の実母は彼が中学一年の時に首吊り自殺をして他界していた。原因は度重なる父親の暴力だとする。そこに起因する精神的未発達。だから、被害者に襲い掛ったのも、
「被告人が居間の入口に立ったとき、そこに被害児を抱え座椅子に座っている被害者を見た。それは被害者でも被害児でもなく、まさにそれは、亡くした母親と2歳年下の弟であった。そこは、十数年前に存在した異空間であった。被告人は、当然のように母親に抱きついた。『僕も入れて』と、母親と弟の中に加わっていったのである」
 そういって強姦目的を一切否定する。
 被告人も、この時の状況を、
「たいへん申し訳ないのですが、頭を撫でてもらいたいという気持ちでした」
 と、語っている。それから、
「弥生さんの後ろに回りました。その後、抱きつきました」
「性的なものは期待しておりませんでした」
 しかし、抱きつかれたほうはたまったものではない、抵抗する。繰り返し抵抗を受けるものだから、必死になって相手を押さえつけた。そのうち、抵抗が止む。その時、気が付いたら、自分の右手が相手の顎の下に入って、首を絞めた状態にあった。だから、殺す気など毛頭なかった、という次第だった。
 では、なぜここから姦淫行為にたどり着くのか。
 そのストーリーも、ある意味で秀逸だった。

下腹部からの異臭
 押さえ付けていたら、抵抗がなくなった被害者。しかし、気を失っただけかもしれない。あるいは、そうしたフリをして、隙をみて反撃に出るかもしれない。そう思った被告人は、横たわる被害者の脇に座って、
「両手をガムテープでグルグル巻きにしています」
「巻いたあと、口にもガムテープを貼っています」
 それから、被害者が目覚める、あるいは気絶の振りを解くのではないかと思って、まずはトイレから持ち出したスプレー式のものを顔の前に掲げて噴霧する素振りをする。しかし反応はない。次に作業着の胸ポケットにあったカッターを顔の前に振り翳し、着ていたセーターと肌着を乳房のあたりまでたくしあげる。
「当時、羞恥心という言葉は知りませんでしたが、恥ずかしいと身動きをするのではと思って、たくしあげました」
 しかし、反応はない。そこで肌着にカッターで切り込みを入れ左右に引きちぎる。反応はない。そして次にブラジャーに手をかけ、中央をカッターで切り開く。その挙句に、
「ぼくの右手で左の乳房を触り、右を口で吸ったりしています」
 それから、下腹部からの異臭に気付く。
「ウンチの異臭ですね」
「ぼくは、そのことが信じられない、殺す気はない、なんでこうなったのか、確認しようと」して、穿いていたジーパンを下にずらし、見えたパンティーをカッターで切り開く。するとそこに汚物が確認できた。
「母親が自殺して亡くなった状態と酷似していて、母が亡くなった状態と重なり、うめき声をあげてそこに立ち上がってます」
 そして、このあとだった。
「廊下に弥生さんの幽霊を目撃いたした次第であります」
 これが、ドラえもんや小説への伏線だった。

死者復活の儀式
 続けて被告人が主張する。
「弥生さんに汚物の付いている状態で放置していたので、幽霊が出てきたのかと思いました」
 そこで被告人は、風呂場からバスタオルをとってきて、被害者の汚物の処理に入った。
「ジーパンを脱がし始める前に、まず弥生さんの右肩が上になるように横にして、お尻のあたりにバスタオルを敷かしてもらっております」
「敷き終わりまして、弥生さんの姿勢を仰向けにして、ジーパンを脱がしにかかった次第であります。詳しくは、横向きにして、お尻のあたりを先に脱がして、仰向けにして、それから脱がしはじめた次第です……」
 そんな調子で、ジーパンとパンティーを一緒に下ろした様子、それからこれをトイレに持ち込んで「固形物」を流した模様を事細かく再現する。
 傍聴席の最後列で証言を聞いていたぼくの少し前には、遺影を抱いた遺族が静かに座っていた。意図せずして、目線を上にあげると、その後ろ姿が視界に入る。同じ言葉が遺族の耳にも届き、被告人と同じ法廷の空気を吸っている。じっとしたまま動かない。固まっている。
 やがて、被害者の下半身をきれいに拭うと、ジーパンから下着、バスタオルを丸めて天袋の中に投げ込んだ。
 いつの間にか、上半身がはだけ、下半身が露になった女性が、そこに横たわっている状態になっている。
 この間に、気が付くと赤ちゃんも死んでいた、といった。動揺が激しかった。首を絞めた認識もない。
 続けて弁護人が聞く。
──それから、身体に変化は感じましたか。
「はい。感じとります」
──それは何ですか。
「勃起している状態にありました」
 どうしてここで勃起していたのかは不明だ。そして、
「弥生さんにハイハイする状態で歩み寄ってます。心境として、お母さんに救いを求める状態にありました」
──近づいてどうしましたか。
「姦淫行為というものに及んでおります」
 それが、死者復活の儀式だったのだ。

 ◎上記事は[文春オンライン]からの転載・引用です


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