Business Journal 2015.09.13 元少年A、始動…HPで自身の全裸姿と殺人犯への敬意 「異端の本性を呼び醒ます」と宣言
「元少年Aがまた動き出した……」
今、マスコミ業界が騒然としている。9月10日発売の週刊誌3誌が、1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こした元少年Aからの手紙について報じたのだ。全国紙社会部記者が興奮気味に語る。
「元少年Aは『週刊文春』(文藝春秋)、『週刊新潮』(新潮社)、『女性セブン』(小学館)、朝日新聞、毎日新聞に長野県岡谷市から送ったようです。中に入っていたのはA4で20枚以上にも及ぶワープロ打ちの手紙、同内容のテキストデータが入ったCD-ROMで、宛名も差出人もワープロ打ちで手書きの物は入っていなかったとのことです」
今年6月に自身の手記、『絶歌』(太田出版)を出版し、現在25万部まで版を重ねているというのに、この期に及んで、何を主張したいというのだろうか。
「一言でいえば、幻冬舎の見城徹社長への恨みですね。もともと見城氏のファンだった少年Aが、『絶歌』を幻冬舎に持ち込んだことから書籍化の話が始まっています。結局、この話は反故になり、太田出版に話が移るのですが、見城氏がメディアで語っている『絶歌』出版の経緯に虚偽がある、と元少年Aは訴えているのです」(同)
稀代の犯罪者である元少年Aにしてはスケールが小さな話のように思えてならないが、取材を進めていくと、元少年Aの書いた手紙には暗澹たる思いになる表現が続いていることが判明した。
「私には、四十歳までに何としてでも実現したい具体的なヴィジョンがあります。そのために、この暑苦しい『普通の羊』の着ぐるみを脱ぎ捨て、9年ものあいだ封じ込めていた“異端の本性”を呼び醒まし、精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらず死に物狂いで『一番肝心な』三十代を疾走してやろうと決めたのです」
2004年に更生したと判断され関東医療少年院から出た元少年Aは、自分は「普通の羊」を装っていただけと言い捨てるのだ。凄惨な事件を起こした14歳の頃から、彼の精神性は何も変わっていないといえよう。さらに元少年Aは手紙の中で、自身のオフィシャルホームページ、『存在の耐えられない透明さ』を開設したことも告知している。
「ホームページを開くと、彼の“アート作品”が載っていました。元少年Aの“心象生物”であるナメクジの触角に人の顔が埋め込まれたコラージュや、覆面・全裸姿で横たわり、男性器が映画『エイリアン』のエイリアンのように奇形化しているものなどを『セルフポートレート』として公開しています。オフィシャルホームページには『レビュー』なるコーナーがあり、東北少年院や関東医療少年院時代に読んだ本などの感想が書かれている。<※ネタバレ含みます>という但し書きもみられ、考察も『絶歌』に比べると感情的になっています」(同)
■殺人犯への感謝と敬意
しかし、ある一人に対してだけは異様な熱の込め方をしている。パリ人肉事件(1981年)の犯人、佐川一政だ。「『佐川一政』という稀代の殺人作家の存在は、いつも僕の心の片隅にあった」「女性の美について倒錯的に語らせたら佐川氏の右に出る者はまずいないだろう」と絶賛し、その最後には佐川氏へのプライベートな手紙も添えられている。
「あなたが最初、僕のことを『鬼畜の恥』と言って激しく憎んだように、僕も長年あなたのことを『ピエロ野郎』と軽蔑し、激しく憎みました。(略) 僕はずいぶんと長い間、あなたのことを誤解していました。今頃になってようやく、あなたが抱え込んだ孤独や苦悩の深さに思い至りました。あなたも本当は凄く辛かったのだと思います。(略) 今日まで生き抜いてくださったあなたに、心からの敬意と感謝をこめて。『生きていてくれてありがとう』ございます」
しかし、佐川氏にこの元少年Aの想いは届かない。
「『絶歌』を出版したことにより“母親役”であった担当医との縁も切れ、元少年Aは佐川氏に拠り所を求めているのでしょうが、当の佐川氏は元少年Aの『絶歌』出版に際して、『私は本を出すべきではなかったと後悔している。<元少年A>も実名を公表した上で、遺族に謝罪すべきだ』と彼を非難しています」(出版社関係者)
更生したフリをして遺族を苦しめ続ける元少年Aは、今後どのように生きていくのであろうか。
(文=編集部)
◎上記事は[Business Journal]からの転載・引用です