新検事総長に大林宏氏   “検察の正義”に委ねていいのか? 検察を支配する「悪魔」

2010-06-24 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

大林検事総長―国民と「協働」する責任
朝日新聞 社説2010/06/24Sat.
 新しい検事総長に大林宏氏が就任した。司法も政治も大きな曲がり角に差しかかり、検察のあり方が改めて問われる中でのトップ交代である。
 裁判員制度が始まって1年。その前には犯罪被害者が刑事裁判に参加する仕組みがスタートした。検察審査会法の改正で、検察が独占してきた起訴権限にも穴が開き、手続きに一般の人の声が直接反映するようになった。
 いずれも、国民こそ主人公であり、「国民のための司法」を自らの手で実現し支えなければならないという考えに基づいている。検察も社会を構成する一員として、国民と「協働」する。それは、広い意味で民主主義を発展させ、変革していく試みに他ならない。
 だが現実は追いついていない。
 真犯人が別にいた氷見事件、地方選挙を舞台にした権力犯罪というべき志布志事件、そして足利事件と深刻な事例が相次ぐ。検察の描く構図が崩れた郵便不正事件では、検事が勾留(こうりゅう)中の容疑者とトランプをするなど緊張感のない取り調べの実態が明らかになった。
 人を訴追することへのおそれを胸に相手の話に虚心に耳を傾け、地道に裏付けをとる。問題が起きるたびに「基本に忠実な捜査・公判」の徹底が唱えられるが、かけ声に終わってはいないか足元を見つめ直す必要がある。
 基本を欠いた活動で社会を混乱させたり、裁判員を誤った判断、とりわけ冤罪の結論に導いたりすることがあってはならない。取り調べ過程の可視化論議からも逃げることは許されまい。
 「協働」の前提である信頼を、国民との間にどう築くか。民主党の小沢一郎前幹事長の政治資金事件の捜査を通じても、この課題が浮かび上がった。強制捜査に踏み切った判断や収束の仕方をめぐって、賛否両論がわき起こったのは記憶に新しい。
 自民党長期支配の下、検察は政治浄化への期待を担い、国民の圧倒的支持を背にしていた。それが政権交代の時代に移り、時に政権の命運を左右する力をもつ検察に対し、説明責任を問う声が上がったのだ。
 批判の中には見当外れのものも少なくなかったし、何より法廷で犯罪を立証することが検察の本分である。情報の扱いには慎重でなければならない。
 その制約を踏まえつつ、検察権の行使のありようについて人々が抱く正当な疑問にはできる限り丁寧に答える。そんな発想の転換と工夫が不可欠だ。それは国民との距離を縮め、よって立つ基盤の強化にもつながるだろう。
 職務の性格上、政治も不用意な口出しはできず、「官の論理」が最も貫徹する国家機関のひとつが検察である。その裏に潜む危うさを自覚し、独善に陥ることなく、国民の目を常に意識した組織運営に、新総長は危機感をもって取り組んでもらいたい。

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