年金プア 不安の中で 80代、認知症の母 遺族厚生年金7万円
援助する娘の家計圧迫
中日新聞 2017/8/24 朝刊
年金だけでは生活費が足らない高齢の「年金プア」。年齢を重ねるにつれ、アルバイトなどの仕事ができなくなり、息子や娘から支援を受けるケースは多い。介護を受けることもしばしばで、子ども側の負担は重い。家計に余裕がない上に親への支援を強いられると、子ども側の生活まで苦しくなる。年金プア高齢者への家族支援の実情を探った。(白井康彦)
東海地方の地方都市の高齢者施設の一室。軽い認知症の母(81)を娘(53)が訪ねた現場に同席させてもらった。もの忘れが激しくなったというが、「他の入居者と食堂で話をしたり、楽しい日々です」と愛想よく笑顔を見せた。
母はかつて、娘夫婦と同居していたが、自宅周辺を徘徊し迷子になって帰宅できなくなることもあったため、2年前に施設に入居した。それ以来、娘は週に1回は母の部屋を訪ねている。母には月4万円を援助しているが「自分も経済的にきつくて大変なんです」と漏らした。
母の収入は、建設会社の経営者だった自らの夫が死亡した43年前から受給している遺族厚生年金で、月7万円余り。うち約6万8千円は施設の利用料に消える。利用料には食事代が含まれるが、個室での電気代や施設の旅行・食事会の積み立て金などは含まれず、不足分を娘が援助している。
20歳以上60歳未満の人が国民年金に強制加入となった1986年以降、母は国民年金加入者となったが、保険料を支払っていなかったため、老齢基礎年金の受給資格はない。
夫を失った後、母は喫茶店の経営を始めたが、経営は思わしくなく、十数年前には銀行からの借金の返済が困難に。娘はあちこちで借金して、母親が抱えた借金の返済に充てたが、経営状況は好転せず、8年前に母は自己破産した。負債は5千万円を超えていた。
団体職員の娘の手取りの月給は約24万円。節約に努めて、自分名義の預金額は2百万円を超した。それでも見通しは明るくない。母への援助額は年間50万円近く。職場の定年も12年後に控える。その上、個人事業主の夫が病気がちで今は働けておらず、今後も夫の稼ぎは計算に入らない。寂しげなつぶやきが漏れた。「母を援助する気持ちはやまやまなのですが、母が長生きしたら、生活保護を受けてもらわねばならないかもしれません」
*むりせず、公的支援を
年金だけでは足らない生活費をどう捻出するか。60代ではアルバイトなどで収入を得ていても、高齢になるにつれ働けなくなり、80代になると仕事をしている人は少ない。そのため、足りない分は親族からの支援に頼ることは多い。
支援金については出す側、受ける側ともに互いの状況を理解することが必要だ。生活困窮者を支援する「NPO法人ほっとプラス」(さいたま市見沼区)で相談員を務める高野昭博さん(62)は「親も子どもに負担をかけるのはつらく、複雑な心境の人が多い。親が認知症などの場合は難しいが、親子両方が気を使って、けんかが起きないようにするのが重要」と強調する。
高野さんはさらに「年金が少ない親が長生きすればするほど、十分な額の援助をするのは難しい。子どもが頑張りすぎると、親子ともども経済的に破綻して共倒れするケースもある」と指摘。そういった場合については「生活保護など公的な支援制度の活用を検討すべきだ」とアドバイスしている。
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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〈来栖の独白〉
一読し、本記事の娘さんが気の毒でならなかった。<夫を失った後、母は喫茶店の経営を始めた>という。何と向こう見ずな母親であることだろう。あげくは自己破産だが、認知症に罹患した現在、本人は何も分からないのだろう。娘の苦労も。酷い話だ。
<団体職員の娘の手取りの月給は約24万円。節約に努めて、自分名義の預金額は2百万円を超した。><母には月4万円を援助している><母への援助額は年間50万円近く。> 娘さんの苦労が憐れでならぬ。
私の母は、半年前(2017/2/24)に亡くなった。亡くなる前の14年ほど、私は毎年夏、成年後見制度の「保佐人」(第2ランク)として家裁への財産報告など苦労したが、それも母に月々、共済からの年金振り込みがあったからである。母は自分の入居していた施設の利用料も自分の年金から支払い、それでも月々多額が遺っていった。私に金銭面で些かの負担もかけなかった。(成年後見の審判申し立ての時点では認知症のため、貯蓄は元より、月々の年金も振り込まれるや直ぐに悪徳業者に引き落とされる状況であった)
想像を絶する高齢社会となる日本。怖ろしい。