堀田力氏の連載『この道』 諸田玲子著『遊女(ゆめ)のあと』

2007-10-25 | 本/演劇…など

 10月22日月曜日から中日新聞夕刊で、堀田力氏の連載『この道』が始まった。第1回からミスター検察伊藤榮樹(しげき)検事総長の名前も出で来て、興味深い。伊藤元検事総長の名前は清孝の上告趣意書に出て来て、私は知った。

 中日新聞夕刊は、10ヶ月ほども前から諸田玲子著『遊女(ゆめ)のあと』を連載しており、諸田氏の力量には目を見張るものがある。構成・表現・人間洞察に優れて深い。夕刊が愉しみでならない。

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堀田力著『この道』2007/10/22

 1991年4月17日、ついに念願の司法試験改正法が国会を通った日である。

 87年に作業に着手した時は、弁護士会は大反対で、当時人事課長だった私の説明を聞く機会すら、なかなか作ってくれなかった。それが4年後は、いま検事総長になっている但木敬一司法法制課長が、日弁連の担当副会長と一緒に、国会議員たちに根回しに歩くほどの関係になった。

 この作業に取り組みたいと言った時、ミスター検察と呼ばれていた伊藤榮樹検事総長は、鋭い眼で私を見据えながら、強い口調で言った。

 「堀田君、この作業はまともにやっても成功しませんよ。大失敗した20年前とほとんど状況は変わっていない。日弁連は絶対に反対だし、最高裁だって法律家を増やすのにはすごい抵抗でしょ。私学も嫌がる。君はどこから道を開くんですか」

 「道は国民から開きたいと思います」

 伊藤総長は、けげんな目をした。『しめた、聞いてもらえる!』

 

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諸田玲子著『遊女(ゆめ)のあと』2007/10/22

№283

  癇癪の発作に見舞われれば豹変するものの、ふだんの本寿院は、身ぎれいで、歳よりずっと若々しく、柔和で聡明な女人だった。

「なにがあったか、言うてみなされ」

 本寿院は、こなぎの胸中を見通すかのように真剣なまなざしをそそいでいる。

 こなぎは両手をついた。

「うちには好いたお人がおます」

 思わず言っている。

 本寿院の目の色が深くなった。

№284

 本寿院はついと目を逸らせた。

「後悔は先に立たぬ。わらわも早うに心を決めるべきじゃった。共に逃げるか、共に死ぬか。そう、闇(くらがり)の森八幡宮の小さんのように・・・・」

 こなぎに視線を戻す。

「女子は歳をとるのが早い。わらわは老いてゆく己を見せとうなかった。しわもしみも、それにこの髪も・・・」

 いきなり髪をつかむや、力まかせに引っぱった。鬘をもぎとる。白髪になった本寿院は老女に豹変したが、いつかの夜とちがって、その眸は生気に満ちていた。

「早う、お行き」

「御方さま・・・」

「おまえにあるのは・・・いえ、だれにあるのも今、このときだけ。その男のところへ行って、気が済むまで看病するがよい」

「・・・申しわけござりまへん」

「上手くゆかなんだら帰っておいで。というても、そのときまで、わらわが生きていられるかどうか、おぼつかぬが・・・」

 

 本寿院の心遣いは、温かな言葉だけではなかった。

「女子は美しゅうのうては・・・」

 小袖や帯、紅まで持たせてくれた。鉄太郎のための薬も忘れない。 


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