「凶悪犯罪」とは何か 量刑については関心が高いが、真相解明についてセンスのいい裁判官が育っていない

2007-10-25 | 光市母子殺害事件

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/kyouaku.htm

『2006 年報・死刑廃止』特集“光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか”
「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法

 それから裁判所について言えば、量刑についてはすごく関心が高いけれども、真相解明についてセンスのいい裁判官がどうして育っていないんだろうと思います。もともと裁判は真相解明が命のはずですよね。何でこういうことが起こったかということをきちっと世に知らしめることに裁判体の仕事があるはずなのに、なんで裁判官が凶悪だっていう合唱団の指揮者になるのか。そういう仕事だったのかなぁと錯覚を起こしちゃうような、その恐ろしさですよね。よくあれだけ言葉を並べて凶悪だということの作文ができるなぁというぐらいの恐ろしさです。凶悪な人格があるとしたら、その文章を書くほうが凶悪じゃないかと思うぐらいの気持ちになっちゃいましてね(笑)。ちょっと言い過ぎているかもしれないけれども。もう少し精査して、人間というのは行きつ戻りつして、自分だってここに置かれたらどうなるんだっていう共感性だとか、その場をきちっと見なきゃ人権感覚なんて生まれないですよ。それのないところで、判決だけは、量刑に照らし合わせて、被害者が3人か4人かなんていう相場じゃないですよ。ほんとにその人たちがどうやって生きてきたのか、その軌跡、どういう不条理の中でそこに至ってしまったのかをきちっと掲示して、それでもなお殺しますかっていうことですよ。ほんとにそれでいいですかっていう問いを発する役割を、なぜ裁判体は放棄
するんですかね。そこが不思議でならないですね。せっかく長い時間をかけて、そりゃ完璧ではないかもしれないけれども、ほんとにていねいにていねいに主観性を含めたもう一つのストーリーを掲示しているという点について、わずか2,3行の情状で終わらせてほしくないなって思います。アベック殺人のことでいえば、やっぱり共謀の場所だって変化したわけですよ。そういう丁寧さを見ていただいて、世に中身を問うてほしいですね。
 それから判決文はやっぱり教訓的であってほしいと思いますね。裁判書きをきちっと読みたいと言わしめるものを出していただく役割を果たせる人たちが裁判官になってるんじゃないですか、と言うと皮肉に聞こえますけれども。そんな感じがいたしますね。


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