〈来栖の独白 2018.5.20 Sun〉
本日は能楽堂。種々、不平はあるのだが、能楽・狂言は好きなので、行くことになる。
不平というのは、本日も強く感じたこと。
まったく、あちらは、客を引き留めることしか考えていない。能、狂言が好きで(観たくて)行く客のことを第一に考えるのなら、最初の演目を「仕舞」2つとするのは如何なものか。
仕舞2つのあとに、能(本日は「田村」)である。
その後、10分の休憩を挟んで狂言(「朝比奈」)。続けて、舞囃子だ。
再び10分の休憩。
その後、やっと能「大江山」。
客を引き留めようとの魂胆は、狂言に舞囃子が続くことでも、見える。
栞に記載されている終演時間を、私はうっかり「16時20分頃」と読んでいた。ところが正しくは、午後6時20分頃であった。「客引き留め」が最優先なら、少しは客の都合も考えて、開演時刻を繰り上げては如何か。午後2時開演では、終演が18時にずれ込むのは目に見えているが、あちらさんは平気である。
最近疲れやすい私は、狂言終了と同時に席を立った。のんびり座っていると、舞囃子を見せられる(演目の中途退出はまずい)。「大江山」は、諦めたのである。
能・狂言など、日本伝統芸能は、“独占企業”を余儀なくされている。幼い頃から、親や祖父の芸を身近に見て育つ。それでなくては芸に纏わるすべてを身に付けることは難しいだろう。名跡を継ぐなど、余所から途中で入った人間には不可能だ。先日NHKTVのトーク番組で尾上菊之助氏を見たが、音羽屋の雰囲気を全身から感じさせ、その品の良さ、美しさに圧倒された。
愚痴れば、キリが無い。まぁ、せめて開演時刻を13時に繰り上げてくださっては、如何か。仕舞、舞囃子を「最後に」もってきてくだされば、この上なく嬉しい。が、「最後に」というのは、奇蹟に等しい。
2018年5月20日 聖霊降臨の主日 B年(赤)
第1朗読 使徒言行録2・1-11
1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
答唱詩編 典礼聖歌69 ①②③
神よ あなたのいぶきを 地のおもてに
第2朗読 ガラテヤ5・16ー25
16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
福音朗読 ヨハネ15・26ー27 16・12ー15
26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
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