「北ノ御所」 豊田の浄照寺に移築

2011-01-04 | 仏教・・・

「北ノ御所」 豊田の浄照寺に移築 東本願寺開祖の書院
2011年1月4日 中日新聞朝刊
「北ノ御所」の内部。左端奥が「一の間」。簡素だが気品ある数寄屋風書院の空間が広がる=愛知県豊田市の浄照寺で(佐藤春彦撮影)
 真宗大谷派・東本願寺開祖の教如(きょうにょ)(1558~1614年)が住んだ桃山時代の数寄屋風書院「北ノ御所(ごしょ)」が、愛知県豊田市若林西町向屋敷の浄照(じょうしょう)寺(渡辺真住職)に移築された。桃山時代の数寄屋風書院は全国的に珍しく、貴重な文化財とされるが、これまで公になることはなかった。元の所有者の死後、競売にかけられて取り壊し寸前に同じ大谷派の同寺に「安住の地」を得た。
 北ノ御所は、優美な反りを持つ入り母屋銅板ぶきで、四方を廊下が巡り八畳六間からなる。延べ床面積139平方メートル。主室の「一の間」には書院飾り用の「二重棚付き違い棚」に「筆返し」が付く。「二の間」の床の間とも「建築当初からのオリジナル」(渡辺住職)という。
 数寄屋建築に詳しい神谷昇司人間環境大教授(61)は「国宝の西本願寺黒書院(京都市)や、国重要文化財の旧正伝院書院(愛知県犬山市)と似た簡素で上品な雰囲気」と指摘。創建後400年の間に三度の移築と修理で原形が変わるが「未指定ながら価値ある文化財」と話している。
 伝来によると、教如が豊臣秀吉の圧力に屈し本願寺(京都市)門主を弟の准如(じゅんにょ)に譲り、寺を割って東本願寺を創立するまでの1592~1602年に住んだ。本願寺の東西分派を決めた徳川家康と教如の会談場所だった可能性が高いとされる。
 本願寺境内から、18世紀に同市の大谷本廟(びょう)に移転。それを資産家の故・伊東富士丸弁護士が譲り受け、1970年ごろ名古屋市千種区富士見台の自宅に移築した。
 伊東氏の死後、北ノ御所の引受先は難航し、取り壊し間際の2006年2月に浄照寺で決着。2年半かけ、6千万円をかけて移築された。3月13日の法要で関係者に披露される。渡辺住職は「地域の歴史教育に役立てるため、学校、グループ単位の見学など相談に応じたい」としている。(中日新聞)
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〈来栖の独白〉
 本年元旦から連載開始となった五木寛之著『親鸞』〈激動編〉。紙面右横に上記の記事(一面にも)。
 親鸞に関係する記事、出来事は、興味深い。いつの頃からだろう、親鸞に心惹かれてならない。
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