民主党:対立くっきりの新年会 菅首相と小沢元代表
民主党は1日、菅直人首相と小沢一郎元代表が、それぞれ新年会を開いた。「脱小沢」路線を維持する首相に対し、小沢氏は自らに近いグループから政府や党の要職に人材を起用し挙党態勢を築くよう求め、年初から根深い党内対立を印象づける結果となった。
小沢氏は東京都世田谷区の私邸で新年会を開催。海江田万里経済財政担当相や原口一博前総務相、山岡賢次副代表ら民主党の衆参両院議員118人が駆けつけたほか、新党大地の浅野貴博、無所属の石川知裕両衆院議員の計120人の国会議員が参加した。
小沢氏は資金管理団体の政治資金規正法違反事件で強制起訴を控えており、参加人数が注目された。現職幹事長だった昨年の165人(新党大地の鈴木宗男代表は含まず)は下回ったが一定の存在感を示した。全体の約3分の1が新人衆院議員で、小沢氏の党内基盤の重点も印象づけた。閣僚で唯一参加した海江田氏は早めに退出し、菅直人首相の新年会にも参加した。
小沢氏はあいさつで「私が(89年に)自民党幹事長に就任した時も参院は過半数を割っていたが、野党と話し合い、議論することができた。ねじれ国会という理屈は通用しない」と国会運営に苦しむ菅政権を批判。「政府・与党が力を合わせなくてはならない」と挙党態勢の構築を求めた。自身の「政治とカネ」の問題については「ご迷惑ばかりかけている」と述べるにとどめた。
一方、菅首相は公邸で年賀会を開催。仙谷由人官房長官、蓮舫行政刷新担当相、鉢呂吉雄国対委員長、枝野幸男幹事長代理ら政府・民主党幹部や、菅グループの江田五月前参院議長ら国会議員約45人が参加。首相は「脱小沢」も念頭に「多少のハレーションは覚悟して、自分なりの言葉でやりたいことをしっかり伝えていきたい」とあいさつした。【葛西大博、倉田陶子】
◇小沢邸新年会出席を取材で確認した国会議員(敬称略)
【民主党衆院議員】※海江田万里▽原口一博▽山岡賢次▽山田正彦▽東祥三(以上当選5回)吉田治▽細野豪志▽松野頼久▽※城島光力▽※松原仁(以上当選4回)樋高剛▽松木謙公▽内山晃▽松宮勲▽高山智司▽津島恭一▽小宮山泰子▽神風英男▽山口壮▽中津川博郷▽中塚一宏▽鈴木克昌(以上当選3回)岡島一正▽太田和美▽辻恵▽横山北斗▽福田昭夫▽中野譲▽渡辺浩一郎▽橋本清仁▽松崎哲久▽古賀敬章▽若井康彦▽梶原康弘▽階猛▽石関貴史(以上当選2回)黒田雄▽中後淳▽水野智彦▽岡本英子▽川島智太郎▽金子健一▽石田三示▽岸本周平▽山口和之▽石原洋三郎▽菊池長右エ門▽畑浩治▽瑞慶覧長敏▽高橋英行▽三宅雪子▽江端貴子▽木村剛司▽相原史乃▽大西孝典▽菅川洋▽仁木博文▽山崎摩耶▽萩原仁▽早川久美子▽大谷啓▽渡辺義彦▽玉城デニー▽笠原多見子▽大山昌宏▽柳田和己▽奥野総一郎▽村上史好▽高松和夫▽小林正枝▽川口浩▽熊谷貞俊▽木内孝胤▽空本誠喜▽阪口直人(以上当選1回)
【同参院議員】平田健二(当選3回)平野達男▽広野允士▽森ゆうこ▽尾立源幸(以上当選2回)藤原良信▽外山斎▽谷亮子▽田城郁▽安井美沙子▽行田邦子▽小見山幸治▽主浜了▽姫井由美子▽一川保夫▽室井邦彦▽米長晴信▽大久保潔重▽平山幸司▽友近聡朗▽佐藤公治▽川上義博(以上当選1回)
【民主党以外の衆院議員】石川知裕(無所属、当選2回)▽浅野貴博(新党大地、当選1回)
※は菅首相の年賀会への出席も確認した議員
毎日新聞 2011年1月2日 20時20分(最終更新 1月2日 21時27分)
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小沢元代表:新年会に120人参加 「みなさんに迷惑」
民主党の小沢一郎元代表は1日、東京都世田谷区の私邸で恒例の新年会を開き、海江田万里経済財政相や原口一博前総務相ら党所属国会議員120人が参加した。
小沢氏はあいさつで「(参院で野党が多数を占める)ねじれ国会になったんだからしかたないという理屈は通用しない」と内閣支持率が低迷する菅政権を批判した。強制起訴を控える自らの「政治とカネ」の問題には直接ふれず、「みなさんに迷惑をかけている」と述べるにとどめた。
一方、菅直人首相も1日、首相公邸で、仙谷由人官房長官や北沢俊美防衛相ら閣僚や自らのグループの議員らを集めて新年会を開いた。【葛西大博】
毎日新聞 2011年1月1日 20時37分(最終更新 1月1日 20時38分)
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「小沢で明け、小沢で暮れる去年今年」 読み人しらず
2010年も小沢一郎で明け、小沢で暮れた。2011年も「小沢一郎で明け、小沢で暮れる」だろう。17年間、与党ではなく小さな野党の政治家でありながら、政界のど真ん中で主役を演じ、時代を動かしてきた小沢一郎は歴史に残る希有な政治家である。小沢が、自民党やマスコミ、さらには仲間であるべき菅総理らの「小沢抹殺」を狙った執拗な攻撃をものともしない図太さは何か。それは「智者にわが義破られずば用いじとなり」という高僧のような、哲学者のような、日本人には珍しい哲学・原理原則をふまえた論理の優劣を大切にする頑固さだ。またこれは、なかなか理解しがたいことだが、総理になることが目標という世俗的な執着心ではなく、「国のかたち」を変えたいという、既存の政治家とは次元の違う高い志のゆえでもあろう。
1996年、中曽根康弘元総理は自民党の下野について「東西冷戦の終焉が重大な転機になっているが、直接的には保守合同による、いわゆる55年体制が金属疲労を起こして崩れたということだろう。世論も『自民党よ、もういい加減にしろ』という意識を明確に持ち始めていた。 小沢君一派はそれに乗じて一つのチャンスをつかんだわけです」、「ある程度の数が(自民党から)離脱すれば、自民党より大きくなると算段して、一応成功した。守旧派と改革派の対決とか、言葉の戦術をうまく弄んで、・・・」(「毎日」2010.12.11 『近聞遠見』)と語った。
私は、今では通俗化しているこの見方を否定はしない。小沢が「それに乗じて一つのチャンスをつかんだ」のはたしかだが、しかし、「守旧派と改革派の対決とか、言葉の戦術をうまく弄んで」権力だけを獲りにいったという中曽根の認識は浅薄というよりも間違っていると思う。
1969年の初当選以来、小沢が主張し続けたのは「個人の自立」「国民主権・政治主導」「中央と地方の役割分担=地方主権」「二つの勢力が政権交代する真の政党政治」であり、底辺を流れる哲学は「自立した個人が構成する国家」と「共生」だった。それを実現するための大きな第一歩が小選挙区制の導入と細川非自民党政権の誕生である。無責任政治と自民党型利権政治の根っこはこの瞬間に断たれたと言っても過言ではない。当時、小沢の盟友、羽田孜は私に「小選挙区制だけでは地元の利益誘導のみを考える小粒な国会議員になってしまう。次の目標は徹底的な地方分権だ」と熱っぽく語った。「小選挙区制と地方分権」を同時・併行的に構想していた小沢のスケールの大きさは驚異的である。既存の利権構造が崩壊することに危機感を抱いたのは自民党だけではない。一部の財界人、官僚、マスコミ、評論家、御用学者もそうだ。2009年3月、アメリカの週刊誌「TIME」は小沢を、独立自尊の「扱いにくいパートナー」と評したが、日本を「将棋の駒」の一つとして世界戦略(=誤解を恐れずに言えば世界制覇を目指す『新アメリカ帝国主義』)を構築し、推進してきたアメリカも、日本が小沢によって「自立した国家」に「突然変異」することに脅威を抱いた。「宗主国と属国の関係」(カレル・V・ウォルフレン)の日本が「対等の同盟国」になることは、民主・共和党の別なく、夢想したくもない悪夢なのだ。
細川・羽田の非自民党政権は、社会党、さきがけの「歴史の歯車を逆転させる時代認識を欠いた裏切り」で崩壊した。しかし、歴史の歯車は逆転しなかった。険しい山道を一歩一歩、登ってきた。改革のマグマが噴きあげたのが2009年8月30日の政権交代だ。既成勢力は震え上がり、アメリカは鳩山政権に圧力をかけた。
歴史に学ぼう。17年前、非自民党政権崩壊を策したのは「さきがけの武村正義」だった。今、改革をそっちのけで「眦(まなじり)を決して、小沢粛清」の血刀を振るっているのが「さきがけ出身の菅総理」で、それを操っているのが内ゲバを得意とする「全共闘出身」の梟雄「社会党の仙谷」だ。マスコミは「政治の混迷」「民主党内紛」の原因は全て小沢にある、と扇動しているが、それは陰湿なデマゴギーである。マスコミなど守旧勢力が小沢を倒すために、「改革勢力の中に反革命分子を作った」ことこそが政治の混迷の最大唯一の原因・元凶なのだ。国民は、日本は民主主義の衣をまとっているが、実体は「世論ファシズム国家」であることを、直感的に理解している。誤った歴史を繰り返してはならない。
■小選挙区では党首の指導力、責任感が全てだ
1979年5月、私は「政権奪取を目指す保守党が歴史的な勝利を収めたイギリの総選挙」を視察した。保守党を支援する大会で万余の支持者を前にしたサッチャーの演説は具体的で、説得力のあるものだったが、それ以上に物凄かったのは、そのド迫力だった。イギリスの再生と保守党勝利の責任を全身で受け止めたサッチャーは吠えた。「七つの海を支配したイギリスの栄光を取り戻そう」と。影の内閣の閣僚たちも「保守党勝利で、サッチャーを首相にしよう」と訴えた。熱気と拍手、どよめきで、会場の鉄傘が揺れた。サッチャーの政策には批判も多いが、国民生活を左右し、選挙の勝敗に責任をもつのは、党首の指導力、実行力、責任感であることをイギリスの選挙は如実に示していた。責任の所在が不明確で、ツケを国民に押し付ける日本とは大違いだ。
党首が公約をないがしろにすれば選挙は負ける。小選挙区では党首といえども落選する。カナダでは与党が全滅した。菅総理も落選の可能性はあるのだ。民主党にその危機感があるのか。
■「法の支配」か「世論の支配」か
「法の支配」とは「専断的な国家権力の支配、すなわち、人の支配を排し、全ての統治権力を法(=憲法)で拘束すること」であり、民主主義社会にとって不可欠な、重要な基盤である。
年末の28日、小沢一郎が三権分立や基本的人権の尊重という憲法上の原理原則《注:法の支配》を棚上げしても「国会の審議が円滑に進められるのであれば、通常国会冒頭に政倫審に出席する」と発言した。これは、国会審議の最大の障害物であるだけでなく、菅という操り人形を使って政権交代の理念「国民の生活が第一」を投げ捨てようとする仙谷官房長官の更迭を要求した剛速球でもある。度胆を抜かれたのはマスコミで、例によって、予想通り一斉に反発し、反攻を開始した。菅も憲法や法の支配に言及することなく、「小沢切り」で内閣支持率を上げることだけを考え「世論が説明を要求しているのだから、無条件で政倫審に出席すべきだ」と拒否した。
小沢が投じた剛速球は、本人が意識していたかどうかは分からないが、マスコミや菅の、「世論」は絶対であり、憲法の精神を無視しても「世論」に従うべきであるという「世論の支配」は「法の支配」を否定する反民主的な考えであることを白日の下に曝け出したのである。
小沢の政治資金について、NHKの2010年2月の世論調査では「『国民』に説明責任を果たしていると思うか、どうか」と質問したが、3月以降の調査では「国民」ではなく「『国会』の場で説明する必要があるか、どうか」と巧妙に説問を変えた。小沢は東京地検から事情聴取された1月23日夜の記者会見で300人を超す報道陣に丁寧に説明し、その後も毎週月曜日の定例記者会見で全ての質問に答えた。彼は国民の知る権利に応え、国民への説明責任を果たしていたのだ。報道しなかったのはNHKだ。NHKは、自らが果たさなければならない説明責任を放棄したのだ。そのことに忸怩たる思いがあってか「国民に説明責任云々」とは質問できず、「国会の場で説明云々」と説問を変えたのだろう。マスコミの調査も4月以降、「国民」を「国会」に変えた。マスコミは不承不承、小沢が「国民に説明責任を果たしている」ことを認めざるを得なかったのである。にもかかわらず、彼らは自分たちの不始末を全く公表しなかったし、そのことで、あらぬ誤解をされた小沢に一片の謝罪もしなかった。それどころか、国民が気付いていないことをいいことに、またぞろ、「国民」の名において小沢攻撃をヒート・アップさせている。そんな意図的で陰湿な「世論」を金科玉条として「党首の命令、党の決定に従わなければ離党だ」とわめきたてる菅やマスコミの脳みそはどうなっているのだろう? 民主主義の否定である。
■質実剛健で気品に満ちた国を作ろう
ワシントンで批准書交換を済ませた新見豊前守正興を正使とする日本最初の遣米使節は、1860年6月16日、ニューヨークのユニオン公園での閲兵式に臨んだ。数万の群衆に交じって一行の行列を見たホイットマンは、未開の野蛮国から来た日本人の、礼儀正しく、気品に満ち、毅然とした姿に感嘆して、詩『ブロードウェーの行列』を書いた。
《西方の海を越えて、こちらへ、日本から渡来した、謙譲にして、色浅黒く、
腰に両刀を手挟んだ使節たちは、頭あらわに、落ち着き払って、
無蓋の四輪馬車のなかに反り返り、今日この日、マンハッタンの大路を乗りゆく。
(略)
「創造の女性」がやって来たのである。
言語の巣窟、詩歌を伝えた人びと、古往の民族、
血色鮮やかに、考え深そうな、瞑想に耽り、情熱ゆたかに、
香気馥郁、寛袍ひらひらする衣装を着なして、
陽やけの相貌、白熱せる魂と炯炯たる眼光の持ち主、
波羅門の民族がやって来たのである。》
(略)
1860年といえば、大老・井伊直弼が桜田門外で水戸浪士に暗殺された年である。徳川幕府崩壊の直前で、世情騒然として、混迷の極致にあった。そんなことを、噯気(おくび)にも出さず、日本の名誉、徳川政権の名誉のために堂々と行進した新見遣米使節団の精神の格調の高さは見事と言うほかはない。あえていうが、彼らだけが特別に洗練されていたわけではない。当時、来日した外国人も見聞録に記しているが、普通の日本人の姿でもあった。われわれの先祖は、たとえ貧しくても、礼儀正しく、思いやりがあり、気品に満ちた風格を作り上げていたのである。「未開の野蛮人」どころか、世界有数の文化人であり、文化国家だった。・・
ひるがえって、尖閣諸島問題の責任を一検察官に押し付け、地方選の連戦連敗は小沢の責任だと言い、あまつさえ、政権交代の大功労者を追放しようとする菅総理は常軌を逸している。また、言葉尻を捉えるだけで、骨太の政権構想もなく、大局観に立って政治を正す能力も気概もない野党も同罪である。これでは世界の物笑いだ。
民度を超える政治家はいないという。であるならば、志のある自立した個人が立ち上がり、民度を高めるしかない。2011年はそうした新しい一年にしたい。私の初夢である。
投稿者: 二見伸明 日時: 2011年1月 2日 13:38
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〈来栖の独白〉
小沢一郎さんの新年会に参集した面々を見て、この世にまだ節義も信頼も熱き心も廃れてはいない、と心底嬉しくなった。大丈夫だ。
小沢氏が事あるごとに「迷惑をかけて」と詫びるのが、私は気に入らなかった。何も悪いことなどしていないのに、詫びれば、悪いことをしたと認めたことになるのではないか、と気分を壊してきた。
が、今、ふと思った。これは、この人の優しさであり、人を否定しない大らかさでもあるのではないか、と。確かに小沢氏は罪に問われるような悪いことは何一つしていない。が、氏が「迷惑を」と口にするとき、それは「辛い思いをさせた」という意味なのではないか。小沢氏に心を寄せる議員たちが皆、小沢氏という大きな、抜きん出た存在ゆえに誤解され非難されて選挙区でも苦しい思いを強いられている、その苦衷を小沢氏は「迷惑をかけてすまない」と慰撫しているのではないか。そのように声をかけないではいられない、そういう小沢氏なのだろう。
小沢氏の大らかさ、優しさは、単に政治家としてのみならず、人間として見習いたいものだ。
私は昨年末にやっと「死刑は『国民』による殺人である」と云う事が出来た。これまで言ってきた「死刑は『国家』による殺人である」に替えて、「死刑は『国民』による殺人である」と言い改めた。
宮崎学氏は
今年は、昨年病気のためできなかったこの国を支配するもの、とりわけポピュリズムとの闘いの現場に一兵卒として復帰する所存です。
と本年の抱負を述べられている。ハッとさせられ、「そうだ」と強く同感した。悪しきポピュリズム、この国を過たせるポピュリズム、それと断固闘っていきたい。物事の深奥の真実を見抜く眼を持たねばならない。自分の頭と感性で、考えねばならない。
(閑話休題)本年元旦から中日新聞朝刊で五木寛之著『親鸞』の連載が始まった。前編に続く「激動編」である。前編を私は毎日、愉しく感動のうちに読んだ。高齢である五木寛之氏のご健康を祈りながら、また「親鸞」を読めることを感謝したい。嬉しい。
中日新聞朝刊では、佐藤洋二郎氏の『グッバイ マイラブ』という小説も連載されており、佳境に入った。たまらなく面白い。
小説好きの私は、昨年後半から吉村昭氏の作品を読んできた。氏の「調べて書く」姿勢が、私に安心感をもたらし、愉しませる。
本年も「人」と「社会」の真実に目を凝らして考え、小説も読み、いま一つの楽しみとして、コンサートに昨年よりも足繁く通いたい。
◆ 『親鸞と道元』と裁判員制度/五木寛之×立松和平/悩んで立ちすくむ/葛藤が大事
◆ 尾形英紀死刑囚「死を受け入れるかわりに反省の心をすてました。将来のない死刑囚には反省など無意味」2010-12-25 | 死刑/重刑/生命犯 問題