弁護人安田好弘さんの講演(2006/6/19)から。
私の思い込みかも知れませんけれども、実はこんな感じを持ったんですね。一つは私自身は直接体験していないんですけれども、関東大震災のときに住民がこぞって在日の人たちを虐殺していった。あの東京大虐殺をやりかねない精神風土ができつつあるのかなと思い始めたわけです。普通はたいへん従順で、おとなしくて冷静のように見えるけれども、実は一枚タガを外してみるとその中では凶暴性が蓄積されており、南京大虐殺、あるいは中国での三光作戦と言われる虐殺行為が、容易に繰り返されるのではないかという感じを持つわけです。いま「殺せ、殺せ」と言っている人たちは、より激しくなって、遂には棒とかそういうものを持って走る出すかもしれないという感じを持ち始めたわけです。
そういう危機感が私だけにあるのか、それとも他の人たちも持っていらっしゃるんだろうか。この間のマスメデイアの動き方を見てくると、週刊誌的には、あるいは弱小メディア的には、わりあいそこら辺りについて危機感を持っているけれども、テレビメディアをはじめとして、新聞メディアも、おそらくそういうものに対して歯止めになるような論調とか事実報道というのがほとんどできていないのが実情じゃないかと思うわけです。誰が見ても今回のケースは司法そのものを放擲しようとする話ですから、ものすごく危険な話です。しかしその危険性についてはほとんど誰も問題にし
ない。むしろ今日の論調なんかを見ても、死刑か無期かという予測をして、さらに仇討ちが認められるかどうかという、いわば、忠臣蔵の仇討ちを見て楽しむレベルを超えて、もっと激しく仇討ちをさせようとしているような情勢にあるわけですね。しかしこの問題は仇討ちの問題でもないし、あるいは死刑か無期かというような、いわゆる賭事的なものでもない。問われているのは、司法のあり方です。司法はマスメディアとかあるいは被害者の求めに応答するようなものか、それともこれから超然として法を公平・公正に適用できるだけの力量を持っているかどうかということが、実は今回の裁判の中では試されているわけですけれども、そういう視点がまったくないということ
だと思うんです。
暴走するマスメディア、あるいは暴走する世論を止める力というのはまったくなくなってしまったこの社会をどうしていくのかということを、やはりこれからは考えていかざるをえないわけです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/ 「最高裁判決と弁護人バッシング報道」