【死刑執行】命令書にサインする法相と現場刑務官の苦衷…私も胸が痛む〈来栖の独白2018.7.7〉

2018-07-07 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白2018.7.7 Sat〉
 昨日(平成30年7月6日)、オウム真理教事件死刑囚7名に対する死刑執行があった。多くの記事を読んだ。
 私には今、死刑制度の是非について論じる気持は失せている。「(死刑でなく)生きて償う」事に価値を認める人もいるが、きれい事に映る。「生きて」どうやって償うのか。
  命は最も重い、との論もある。が、私は113号事件勝田清孝存命中も、その論には与しなかった。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(論語 )、命よりも大切なものがあると考える。イエスは云う。

マタイ10章
28また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
34 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
36 そして家の者が、その人の敵となるであろう。
37 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。

 死刑制度を必ずしも非としない私だけれど、死刑執行の報道に接し、ひどく胸痛むのは、法相始め刑務官の心中を思う時である。
 昨日、記者会見に臨んだ上川陽子法相の表情は、直視するに忍びなかった。憐れでならなかった。諸般の事情が重なり、今月3日に執行命令書にサインを余儀なくされたのであろう。生気が消えていた。昨年12月の死刑執行時は、まだ力があった。直接手を下すわけではないが、法相のサインによって、事は始まる。今回、上川法相の命令により命を落とした死刑囚は10名となった。
 そして、私の胸痛むのは、当該拘置所職員の事である。命令書が届けば、5日以内に執行しなければならぬ。今回の場合、恐らくはオウム死刑囚が分散移送された時点で、刑場等、準備はされていただろう。
 所長が、当日朝、本日がその日であることを告げ、刑務官が房へ当該死刑囚を連れ出しにゆく。死刑囚は朝、「お迎えではないか」「自分の房のまえで足音が止るのではないか」と全神経を集注させている---この状況、私は首席から聞かされたことがある---。房へ呼び出しにゆくのも苦しみを伴うが、執行のボタンを押すことの苦しみは、法相がサインをするに等しいかもしれない。直接手を下す(絞首)わけではないが、どれほどの違いがあるだろう。
 その傷みは、魂に長く残る。昨日の死刑執行に携わった人たち、どのような思いで当夜をやり過ごし、今朝を迎えられたことだろう。痛ましくてならない。
 「諸般の事情が重なり」と書いた。同事情により、上川法相には残存のオウム死刑囚6名に対するサインも求められることだろう。総裁選(9月)の前ということか。苛酷だ。
 
 ※ 2人の死刑執行 2017.12.19 Tue 関光彦死刑囚(=犯行当時19歳) 松井喜代司死刑囚 上川陽子法相命令 
 ※ 闇サイト事件 神田司死刑囚の死刑執行 2015.6.25 上川陽子法相
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「命奪うこと罪深い」 井上死刑囚、苦悩の手紙
 東京新聞 2018年7月7日 朝刊
 死刑が執行された井上嘉浩(よしひろ)死刑囚(48)の支援団体の僧侶平野喜之さん(54)は六日、「生きているからこそ償えることもあったはず」と残念がった。井上死刑囚と同じ京都・洛南高校の卒業生で、二〇〇六年に支援団体を設立し、井上死刑囚と年数回の面会や約百三十通にも及ぶ手紙のやりとりを続けていた。
 今年二月二十一日付の手紙には、自らの罪や死を直視した井上死刑囚の苦悩がつづられていた。「死と向き合うほど、どれほど生きていることそのものがかけがえのないものなのか、しみじみ感じます」。「どれほど他者の命を奪うことが恐ろしく、罪深いものであるのか」
 六月二十五日の大阪拘置所での最後の面会。初めて井上死刑囚から「会って話がしたい」と手紙で面会をせがまれた。いつもより冗舌で二十分間の面会時間が近づくと「もう少し話がしたい」と拘置所の係員に頼み、約五分間延長した。
 支援者の僧侶鈴木君代さんは六日、執行後の事務的な手続きのため、大阪拘置所に行った井上死刑囚の母親に同行した。井上死刑囚は三月に再審請求しており「再審請求中で、本人も執行されるとは思っていなかった」と悔しがった。 (深世古峻一、佐藤圭)
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 中川智正死刑囚(55)の家族が六日、共同通信の取材に応じ「被害者やご遺族の方にはおわびの気持ちしかない。執行で皆さんの気が晴れるわけではないと思う。ただただ、申し訳ない」と涙で声を詰まらせながら話した。
 中川死刑囚は三月、東京拘置所から故郷の岡山に近い広島拘置所に移送された。家族は「移送されたときに、覚悟は決めていた」と語った。目を真っ赤にして謝罪の言葉を口にした後、「これで償えたわけではない」とも述べた。
 広島拘置所では二回目の五月下旬の面会が、最後の会話となった。そのときの中川死刑囚の様子については「普段通りでした」と言葉少なだった。

 ◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です
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◇ オウム裁判終結 2011/11/18 中川智正被告の母「わが子を(死刑で)失い、少しでもご遺族の気持ちに近づくことができれば」
“修行の天才”井上嘉浩 再審請求は“生への執着ではない”  「オウム死刑囚」13人の罪と罰(7)
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