毒ぶどう酒事件 依然としてハードルが高い再審決定のあり方

2010-04-07 | 死刑/重刑/生命犯

中日春秋 2010年4月7日
 一九六一年とは、どういう年か。現在の米大統領バラク・オバマ氏がハワイで呱々(ここ)の声を上げ、俳優赤木圭一郎がゴーカート事故で突然、天に召された▼テレビドラマ『七人の刑事』が始まり、『銀座の恋の物語』が大ヒットしている。三重県名張市で、農薬入りぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」が起きたのはそんな年の三月のこと▼その容疑者として逮捕されたのが奥西勝死刑囚だ。直接証拠がなく、本人が「強要された」とする自白調書が決め手。実際、起訴直前からは無実の主張に転じている▼その七度目の再審請求にかすかな光が差した。五年前に、いったん決定した再審開始を、検察の異議申し立てを受けて取り消した名古屋高裁の判断に、最高裁が疑義を呈し、審理差し戻しを決めた▼ただ事件から既に四十九年。この間は一審無罪、二審死刑、死刑確定、数次の再審請求、再審開始決定、決定取り消しと“手続きの迷宮”のような歳月だ。その上、差し戻しの手続きが重なり、あらためて高裁判断が出るまでにはさらなる時間が消費される▼事件当時、三十五歳だった奥西死刑囚も八十四歳。弁護士は今回の決定の意味を図に書いて説明したという。最高裁が高裁の「証拠評価に疑問がある」というなら、自ら再審開始を決定する道はなかったものか。とにかく急がねばならない。
--------------------------------------------------
毒ぶどう酒事件 再審の扉は開かれるのか
(4月7日付・読売社説)
 「名張(なばり)毒ぶどう酒事件」の再審開始の是非を決める特別抗告審で、最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻した。
 死刑囚に再審の道を開くかどうか――。この重い判断をするにあたっては、審理を尽くし、事件の根幹に未解明の部分を残してはならない。それが最高裁決定の趣旨だろう。
 これにより、犯人として死刑が確定した奥西勝死刑囚の再審が開始される可能性が出てきた。
 足利事件を契機に、冤罪(えんざい)を生んだ司法界に厳しい目が注がれている。名古屋高裁には、疑念を招かない厳格な判断が求められる。
 事件は1961年に発生した。三重県名張市の公民館で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡し、12人が中毒となった。
 奥西死刑囚は「妻と愛人の三角関係を清算するため、ぶどう酒に農薬を入れた」と自白したが、起訴前に否認に転じた。
 最大の謎は、事件直後に行われた鑑定で、奥西死刑囚が使ったとした農薬に含まれているはずの成分が、飲み残しのぶどう酒から検出されなかったことだ。
 今回の再審請求では、そこが大きな争点となり、最高裁は「事実は解明されておらず、審理が尽くされていない」と、再審開始を認めなかった名古屋高裁の判断を批判した。
 仮に、ぶどう酒に混入されたのが別の毒物であれば、奥西死刑囚の自白の信用性が崩れることになる。それを考えれば、最高裁の判断は妥当なものといえる。
 それにしても、これほど複雑な経過をたどってきた裁判は、極めてまれである。1審は無罪としたが、2審は死刑を言い渡し、72年に最高裁もそれを支持した。
 奥西死刑囚の7度目の再審請求に対し、名古屋高裁は2005年、再審開始を認めたが、翌年に同高裁の別の部がこれを取り消した。今回の決定の結果、審理は再度、高裁に戻ることになった。
 最高裁の裁判官の一人は、「事件発生から50年近くが経過し、差し戻し審での証拠調べは必要最小限に限定することが肝要だ」との補足意見を示した。
 拙速な審理は禁物だが、奥西死刑囚が既に84歳であることを考えれば、当然の指摘である。
 「疑わしきは被告人の利益に」というのが、刑事裁判の鉄則だ。まずは再審を開始し、その法廷で詳しい証拠調べをすべきだとの声も多い。この裁判は、依然としてハードルが高い再審決定のあり方を考える契機となろう。(2010年4月7日01時26分  読売新聞)
--------------------------------------------------
毒ぶどう酒事件 一刻も早い審理が必要
毎日新聞社説2010年4月7日
 発生から半世紀近くがたった「名張毒ぶどう酒事件」で、最高裁が奥西勝死刑囚(84)の第7次再審請求について、名古屋高裁で審理をやり直す決定をした。
 再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定(06年)について、「審理不十分」と批判しており、再審開始の可能性に道を開いたものだ。
 この事件で司法判断は無罪から死刑、再審開始から再審取り消しへと揺れている。奥西死刑囚は高齢だ。一刻も早く最終的な結論を出すように、弁護側、検察、裁判所は努力しなければならない。
 61年3月、農薬入りの毒ぶどう酒を飲んだ5人が死亡、12人が重軽傷を負った事件である。
 第7次請求審では、奥西死刑囚が混入したと自白した農薬の成分が、飲み残しのぶどう酒から検出されなかった捜査段階の鑑定結果の評価が争点になった。
 死刑を言い渡した名古屋高裁判決(69年)は「成分が検出されないこともある」とし、06年の名古屋高裁決定も同様の判断をした。
 これについて最高裁決定は「科学的知見に基づく検討をしたとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある」と指摘した。
 鑑定を科学的に突き詰めて事実解明する作業が不十分だったということだろう。DNA鑑定の再鑑定に消極的で、再審開始を大幅に遅らせた足利事件を思い起こさせる。
 奥西死刑囚の取り調べは、発生翌日から逮捕までの6日間で49時間にも及んだという。取り調べ段階で自白したが、起訴当日に全面否認に転じ、今日に至る。捜査段階で供述を強要されたと主張する点も足利事件と共通する。
 無罪を言い渡した津地裁判決(64年)、第7次請求審で再審開始を選んだ名古屋高裁決定(05年)では、このような取り調べによる自白の信用性を認めなかった。
 プロの裁判官でも自白が真実か虚偽かを見極めるのは難しく意見は割れる。やはり、取り調べの全面的な録音・録画が必要ではないか。可視化の議論にも影響を与えそうだ。
 「疑わしきは被告の利益に」との刑事裁判の原則を再審事件でも適用すべきだとした最高裁の「白鳥決定」(75年)を狭く解釈する傾向が90年代以後続いた。だが、再審無罪が確定した足利事件に続き、昨年は茨城県で起きた強盗殺人事件「布川事件」でも無期懲役が確定していた2人の再審決定を最高裁がしている。
 それにしても、あまりに長い年月が経過した。鑑定について十分かつ迅速な証拠調べをしてほしい。そのうえで、検察の立証が合理性を欠くならば再審の扉を開くべきだ。
毎日新聞2010年4月7日2時33分
--------------------------------------------------
「毒ブドウ酒」―長すぎる裁判の耐え難さ
朝日新聞社説2010/4/7
 60年安保の翌年、いまや「歴史」として語られようという時代に、三重県の山里でその事件は起きた。
 名張毒ブドウ酒事件の再審請求審で、最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻した。犯行に使われたブドウ酒に入っていた毒物の成分分析の検討が不十分で、裁判をやり直すかどうか、結論を出すだけの事実の解明がいまだなされていないという判断だ。
 7度目となる今回の再審請求からでも8年。多くの時間が流れたのに決着に至らない。死刑囚として拘置されたままの元被告の人権、裁判への信頼を考えたとき、見過ごせない事態だ。
 もちろん拙速で処理していい話ではない。究極の刑罰である死刑を維持するのか否かという重大な岐路だ。5人の最高裁判事がぎりぎりまで議論し、さらに審理を尽くすべきだとの結論に至ったのであれば、それを尊重するほかない。それでもなお、この混迷は深刻と言わざるを得ない。
 再審を認めなかった名古屋高裁決定を改めて読むと、「あり得ないことではないと考えられる」「毒物がAでなかった可能性は否定できないが、Aであった可能性も十分にある」といった持って回った表現が目につく。
 焦点は半世紀前の毒物をめぐる論争であり、困難はあっただろう。だが、最高裁が指摘するように、科学的知見に基づかず、あいまいな論拠で推論をつないだ感があるのは否めない。弁護側が「無罪であることを我々が立証しない限り、再審の扉は開かないのか」と反発したのも無理はない。
 今回の最高裁決定は慎重かつ中立的な表現で貫かれており、今後の行方を軽々に予測することはできない。一方で決定は、差し戻し審でどのような証拠調べをするべきか、その対象や段取りまで具体的に書き込んでいる。これまでに費やした時間、84歳という元被告の年齢や健康状態などを考え、迅速な審理を高裁に指示したといえよう。当然の措置であり、検察、弁護双方にも最大限の努力を求めたい。
 シェークスピアは、世の中の耐え難いものとして、戯曲「ハムレット」の主人公の口を借りて、権力の不正や役人の横暴などとあわせ、長すぎる裁判をあげた。
 これを古今東西に通じる人類普遍の病理などと言ってはいられない。権利を脅かされたり争いが生じたりしたときに、救済や解決のため最後に頼るのは司法しかない。公平で迅速な裁判を受ける権利は、憲法が保障する大切な人権のひとつである。
 関係者はそのことを胸に刻み、今度こそ混迷に終止符を打ってもらいたい。そしてその際、忘れてはならないのは、「疑わしきは被告人の利益に」という、多くの冤罪や失敗の上に到達した私たちの英知である。
--------------------------------------------------
4月7日付 編集手帳
 NHKが料理番組で「ぶどう酒」の呼び名を「ワイン」に改めたのは1982年(昭和57年)という。作家、北村薫さんの『続・詩歌の待ち伏せ』(文芸春秋)に教えられた◆その21年前、1961年(昭和36年)の事件である。三重県名張(なばり)市で農薬入りのぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」ほど、歳月を感じさせる事件名はなかろう◆最高裁が5日付で、再審を開くかどうかを決める審理を高裁に差し戻したことで、奥西勝死刑囚に再審の扉が開かれる可能性が出てきた。混入したとされる農薬と飲み残しから検出された農薬の成分鑑定が焦点になる◆容疑者の逮捕を報じた日の本紙をひらく。黒沢明監督の映画『用心棒』の広告があり、松本清張の新聞小説『砂の器』があり、テレビ欄には『バス通り裏』や『ボナンザ』といった番組が並んでいる。その日、35歳の奥西死刑囚はいま、84歳である◆1年、否、1日の意味が例えようもなく重い高齢の身を考えればまずは再審を開始し、その法廷で真相を解明する――差し戻しよりも踏み込んだ決断が最高裁にはあってもよかっただろう。(2010年4月7日01時23分 読売新聞)
---------------------------------------------
「命の限り頑張る」審理差し戻しに奥西死刑囚
名張毒ぶどう酒事件で最高裁の差し戻し決定を受け、会見する鈴木泉弁護団長=谷之口昭撮影 名張毒ぶどう酒事件の再審請求で、奥西勝死刑囚(84)(名古屋拘置所在監)の再審を開始するか否かの審理を名古屋高裁に差し戻した最高裁決定を受け、弁護団は6日、奥西死刑囚と面会し、結果を報告した。
 「良い結果が出てうれしい。一日も早く再審をしていただき、冤罪(えんざい)が晴れるまで頑張ります」。事件発生から49年。奥西死刑囚は安堵(あんど)の笑顔をみせたというが、最終的な司法判断の時期はまだ見通せない。
 最高裁決定は5日付。再審開始決定を取り消した2006年12月の名古屋高裁決定を再び取り消したもので、この決定により、死刑の執行が停止される。弁護団は6日、名古屋拘置所の面会室で、奥西死刑囚に決定の内容を説明した。弁護団によると、奥西死刑囚は青色のセーターに灰色のズボンで現れ、顔色は良かったという。最初は状況を理解できず、きょとんとしながら、「どうなるんですか」と聞き返したが、小林修弁護士(57)と鬼頭治雄弁護士(38)が状況を説明すると、「勝ったんですか」と穏やかな笑顔を見せたという。
 2003年には胃がんが見つかって胃の3分の2を摘出し、おかゆ中心の食事になっているという奥西死刑囚だが、面会した支援者で特別面会人の稲生昌三さん(71)が「いよいよですよ」と話しかけると、奥西死刑囚はぐっと身を乗り出し、「わしも頑張る。命の限り頑張る」と応じた。
 この日、名古屋市の愛知県弁護士会館で記者会見した鈴木泉弁護団長(63)は「再審無罪に向けて光が差し込んだ。大きく前進した」と笑顔をのぞかせた。ただ、審理が名古屋高裁に差し戻された点については、「奥西さんは40年以上にわたって拘束され、死刑の恐怖にさらされている。凶器について疑問があることが明らかになったのだから、最高裁が自ら再審開始を決定するべきだった」と不満も漏らした。
 一方、最高裁決定が、農薬の「ニッカリンT」の再鑑定を改めて求めている点について、鈴木団長は「事件当時の条件での再鑑定は、現実に相当困難だったので試みなかった。今から検討を始める」と慎重に言葉を選んで答えた。ニッカリンTはすでに製造が中止され、再鑑定には困難が予想される。
 ◆名張毒ぶどう酒事件◆
 1961年3月28日、三重県名張市の公民館で開かれた会合で、ぶどう酒を飲んだ地域の女性5人が死亡、12人が中毒症状を起こした事件。奥西死刑囚の妻と愛人が死亡し、奥西死刑囚は捜査段階で、三角関係を清算するためぶどう酒に農薬のニッカリンTを入れたと自白したが、起訴前に否認に転じ、公判では無罪を主張。1審・津地裁は64年、自白の信用性を否定して無罪を言い渡したが、2審・名古屋高裁は69年、逆に死刑を言い渡し、72年に最高裁で確定した。(2010年4月7日03時03分 読売新聞)
--------------------------------------------------
「無罪となったら温泉に」奥西死刑囚の近況
事件から間もないころの奥西勝死刑囚(1961年4月2日撮影) 最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻す決定をした「名張毒ぶどう酒事件」で、冤罪を訴え続ける奥西勝死刑囚(84)は、三重県名張市の尋常高等小学校を卒業した後、修理工を経て両親と茶の栽培など農業を営む一方、石切り場で働いていた。
 1961年の逮捕直後に警察署で行った記者会見では「大きな事件を自分のちょっとした気持ちから引き起こした」と犯行を認めた。しかし、起訴前に否認に転じ、1審判決は無罪。釈放後の記者会見で、「(逮捕直後の会見は)警察官に『教えてやるから』と言われ、下書きするなど勉強した」と話していた。
 2審では一転して死刑判決が出たが、無罪を信じる母親が出廷前に「前祝い」として炊いた赤飯は、奥西死刑囚が口にした最後の手料理となった。
 名古屋高裁でいったん出た再審決定が2006年12月に取り消された時には、面会に訪れた弁護士に「私は無実です。命の限り闘いたい」と話した。
 支援者や弁護士によると、奥西死刑囚は03年には胃がんが見つかり、大阪医療刑務所で手術を受け、胃の3分の2を摘出。食事はおかゆ中心となっている。「無罪となったら温泉に行きたい」と話しているという。(2010年4月7日02時28分 読売新聞)


名張毒ブドウ酒事件 辛い地元住民「無罪ならやっていない証拠を示して」
名張毒ぶどう酒事件 「今さら真犯人を…」住民から不安や怒り
名張毒葡萄酒事件 再審認めず/「自供後は豹変したように穏やかに」古川秀夫氏   
◆ 名張毒ぶどう酒事件 異議審(再審取消し)決定 2006.12.26. 名高裁刑事2部 門野博裁判長/ 柳川善郎氏の話 2006-12-27 
 
===============================
 名張毒ぶどう酒事件/「司法官僚」裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステム 
奥西死刑囚は3つの“村社会”を守るための生贄にされた 名張毒ぶどう酒事件の闇に迫る再現ドラマ『約束』   
.................


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。