光市母子殺害事件 裁判資料を読み直す⑬光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書

2008-04-04 | 光市母子殺害事件

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『光市裁判』(インパクト出版会) 資料
第1 著しく正義に反する事実誤認について
第2 検察官の上告理由について(量刑不当)
第3 公正な裁判を求めて(公正な裁判とは何か・・・理性が支配する裁判である)

第4 被告人の現在・・・被告人が反省を深めている事実を正当に評価すべきである
第5 結論

光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【1】

第2 検察官の上告理由について(量刑不当)
1 検察官の上告理由は、第1審判決及び原判決が認定した事実を前提としており、その前提からして失当である。
 なお、ここで注意を喚起する必要があるのは、第1審判決及び原判決が事実誤認をしたのは検察官が、鑑定書、実況見分調書等の客観的証拠を無視して、被告人をして虚偽の自白をさせて事実をねつ造したことによるものであるということである。
 すなわち、検察官は、事実をねつ造して、被告人の悪質性をでっち上げ、そのでっち上げた事実をもって、第1審判決及び原判決に死刑を求め、これが失敗したとみるや、今度は上告までして最高裁に対して死刑を求めていることである。これは、明らかに犯罪であって、およそ許されないものであり、かような違法行為がなされないためにも、本件の検察官の行為は、厳しく非難されかつ断罪されてしかるべきである。日本の司法において、かようなことが許されるならば、それは、およそ司法という名に値せず、自ずから瓦解せざるを得ないのである。
 検察官は、弁護人の主張が、第1審判決及び原審の事実認定を愚弄するものであると主張したが、同人もまた、証拠はもとより記録さえも目を通すことなく平然と裁判に臨もうとする司法を冒涜する輩に過ぎず、自らの不徳を恥じるべきであろう。
 手抜きの輩によっては、公正な司法が実現されることはないのである。
2 検察官の死刑の量刑基準に関する主張の誤りについて
 検察官が上告趣意書で主張している死刑の量刑基準は、全くの誤りであるばかりか、その主張は、裁判所をして誤って死刑を適用させるほど危険である。そのような弊害がないよう、以下に、その誤りを詳述する。
(1) 死刑適用に関する検察官の考えは、既に永山判決によって否定されている。
 ① 検察官の上告趣意の要約
 検察官の上告申立ての趣意を要約すると以下のとおりである。
 i) 永山判決は、死刑選択の判断上重要な量刑要素と判断方法についての一般的な基準を示し、その後最高裁判所で確定した死刑判決のみを集積した別表1「永山判決以後死刑の科刑を是認した最高裁判所の判例一覧表」から、永山判決とこれを確認した一連の最高裁判所の判決で示された一般的基準が、今や死刑の適用に当たって指針となるべく定着していること
 ii) この一般的基準を前提に本件について検討すると、犯行動機が卑劣極まりなく、結果が重大で、殺害態様には人倫にもとる比類のない悪質性が認められ、その罪質は誠に重大であって、死刑を適用すべき事案であるにもかかわらず、原判決は、この一般的基準ではさほど重要視され
ていない量刑要素である前科、前歴の有無、犯罪的傾向、改悛の情等の主観的・個別的事情及びこれを集約した被告人の更生可能性を不当且つ過大に評価し、永山判決及び別表1の判決によって示された最高裁判決の判例を実質的に相反する判断をしたこと(以上検察官上告趣意書第2)
 iii) また、永山判決以降の最高裁判所の判決などが、特に重視すべき量刑要素としての罪質、犯行の動機、態様の悪質性及び結果の重大性を挙げ、そのうち、いずれかが特段に悪質重大と評価される事案では死刑を選択し適用しているという累次の事例の量刑と比較すると、原判決の量刑判断は、著しく正義に反すること(以上検察官上告趣意書第3)
 この検察官の上告申立ての趣意の特徴であるが、i)、ii)の主張はすでに永山判決(昭和58年7月8日)によって退けられた主張であり、iii)は、i)、ii)を踏まえてさらに死刑選択の枠組みを不当にも拡大する主張である。
 ② 永山判決及び死刑求刑検察官上告5事件の最高裁判例の意義
 1) 死刑選択の謙抑的アプローチを説いた永山事件控訴審判決(いわゆる「船田判決」)を検察官が判例違反として批判したときも、検察官は、上告趣意書末尾に、死刑制度の合憲性に関する最高裁大法廷判決「昭和23年3月13日)以後の最高裁確定事例37例を掲げ「被告人の個別的・主観的な事情よりも一般予防・社会防衛の見地を重視している」「死刑の選択につき裁判所に限定的な基準を設けていない」と論じ、上記の①、②と同じ論調で上告していた。
 しかし、永山判決は「所論引用の判例はいずれも所論のような趣旨まで判断しているものではない」として「判例違反」の主張を排斥し、船田判決が示した死刑適用の謙抑的なアプローチに対し、「死刑を選択するにつきほとんど異論の余地がない程度に極めて情状が悪い場合を場合をいうものとして理解することができないものではない」と述べて死刑適用に慎重な姿勢をとるべき方向性を基本的に支持している。当時の解説(1099号判例時報149頁)をみても、「本判決は、原判決が死刑を選択できる場合の基準として示した見解の趣旨は、要するに極めて情状が悪い場合(その程度はほとんど異論の余地がなく死刑の選択を相当とする程度)をいうものと解し、さらにその内容、程度を具体的に敷衍して判示したものである。」と評価されている。
 したがって、永山判決は、検察官の主張する客観的な事情を重視し、主観的・個別的事情を軽視すべきとの考えを否定していることは明らかなことであって、それにもかかわらず、現時点において、同様の主張を永山判決に求めることは背理といわねばならない。
 2) この永山判決によって確認されたことは、実は、その後無期懲役とした控訴審判決について検察官が上告した5事件の際にも最高裁判例によって確認されている。
 検察官は、上告5事件の際にも判例違反を主張し、それは「永山判決によって示され、その後の累次の最高裁判所判決の集積を通じてその内容が敷衍・明確化された死刑適用に関する一般的基準に著しく違背し、・・・・実質的に相反する」というものであり、その論拠を永山判決とその後の最高裁判所の確定判例に求めている。ここでも永山判決後の判例の集積から「罪刑の均衡、一般予防の両見地から死刑を選択するに当たり、犯罪のもたらした結果や影響を含め犯罪行為自体の客観的な悪質性に主眼を置くべきであり、前科がないことや反省していること等といった主観的・個別的な事情はさほど重視すべきではないという形で敷衍・明確化され裁判上の指針として定着している」と論じている。
 しかし、最高裁は、1件の破棄事案を含めて5件すべてにつき、検察官の上告趣意の中心であった「判例違反」の主張を「実質は量刑不当の主張」であるとして排斥し、刑訴法411条2号に基づき個別の量刑判断を職権で行っている。
 このことは、永山判決が定立した死刑適用の一般的基準、即ち客観的事情と主観的・個別的事情を総合的に評価するという枠組みに変更はなく、その前提にある死刑を極めて限局されたされた例外的に位置づける姿勢にはなんらの変更もないことを意味する。
 したがって、この点を、死刑求刑検察官上告5事件の最高裁判例の意義として確認されなければならないと同時に、本件の検察官の上告趣意 i)、ii)は再々度の最高裁への挑戦であり、完全な背理といわねばならず、ましてやiii)の主張は言語道断以外の何者でもない。
(2) 検察官の量刑不当の主張について
 ① 検察官による死刑上告に対する従来の最高裁の運用
 量刑不当を理由とする破棄には最高裁は極めて慎重であり、破棄事例は刑訴法施行以来永山判決に至るまでわずか19件しかなく、それら破棄事例のほとんど全て破棄自判であり、その内容はすべて原判決よりも被告人に有利な内容の自判である。
 永山判決は、最高裁が検察官の上告により量刑不当を理由に原判決を破棄した初めての事例として話題となったが、その後、検察官の上告により量刑不当を理由に原判決を破棄した事例は、死刑求刑検察官上告5事件のうち、福山市独居老人殺害事件(被告人において前刑が強盗殺人による無期懲役刑で仮出獄中に再度強盗殺人を犯した事案・最高裁第2小法廷平成11・12・10判例時報1701号166頁)だけである。
 本件が永山判決事案や福山市独居老人殺害事件と同様に果たして、『原判決の刑の量定が甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる』のかどうか検討されなければならない。
 そして、本件のように無期判決に対する検察官による上告事件である以上、411条2号の解釈論として、上記永山判決の意義とそれ以降の裁判例(下級審確定事例も含む)からして、『原判決が無期判決としたことが妥当なもの』、『死刑にしても不当とまではいえないが、無期判決を覆さなければ著しく正義に反するとまではいえないもの』は、411条2号に該当しないことに注意しなければならない。
 ② 最高裁の破棄差し戻し事例の分析
 上記のように検察官による死刑上告に対し、最高裁判所が411条2号を適用して破棄差し戻しとした事例は、永山判決事案と福山市独居老人殺害事件のみである。
 前者は、犯行当時19歳余の少年が窃取したけん銃を使用して、東京、京都、函館、名古屋の各地で警備員、タクシー運転手ら4人を次々と殺害し、「連続射殺魔」として世上を騒がせた強盗殺人等被告事件であり、被告人が未成年者であるがため、死刑の是非、適用を巡って大きな問題となったが、先例からしても、死刑制度がある以上、死刑判決にしなければ正義に反するものといえる事案であった。
 後者は、強盗殺人罪で無期懲役に処せられその仮出獄中であった被告人が、1名と共謀のうえ、87歳の女性を山中で絞殺してその預金通帳等を強取したとされる強盗殺人事件である。この事案が上告審において破棄差し戻しになった主な理由は、過去10年間に死刑が確定した事例で、無期懲役に処せられ仮出獄中に強盗殺人を犯した者は全て死刑に処せられるという事例があり、この事案も被告人が強盗殺人罪で無期懲役に処せられ、その仮出獄中に再び同種の強盗殺人の犯行に及んだという事情が特に重視された結果であることに異論はない(判例時報701号166頁~170頁)。
 このように最高裁判所が411条2号を適用して、破棄差し戻しした事例は、先例からして無期判決のままでは正義に反するといえるほど質的に明確に指摘することができるものでなければならないといえる。
 ところで、本件では、これら2つの事案と同様に考えることができるであろうか。以下、検察官上告趣意書末尾添付の別表1で掲げられる事例との比較、そして確定した無期判決事案との比較を通じて検討する。
 

以下略(来栖)

 

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