日経新聞 社説 壁崩壊から20年 変化に追いつけぬ日本(11/6)
東西冷戦の終結を象徴した1989年のベルリンの壁崩壊から9日で20年。米国とロシアはかつての米ソのような対立関係ではなくなったが、宗教や民族の違いを背景とする地域紛争は絶えない。北朝鮮など小国も核兵器の開発を進め、国家ではない組織や集団が大規模テロを繰り返すなど、世界の安全保障を揺るがす脅威の源は大きく変わった。
経済では、旧共産圏も含め一体となった市場を資本や技術が自由に動き回り、企業活動のグローバル化が進んだ。そこに中国、インドなどが参入し競争に拍車をかけている。
民主化促進に貢献を
この歴史的な変革期に、日本は外交、政治、経済など様々な分野で対応に手間取り、存在感を自ら弱めているように見える。
米政治経済学者F・フクヤマ氏は旧ソ連崩壊を受けた92年の著書「歴史の終わり」で、個人の自由を尊重するリベラルな民主主義が最終的な統治の形という見方を示した。その見方は正しいとしても、現実にはミャンマーで軍事政権が居座り、スーダンや中国のチベットなどで人権抑圧の問題が続く。またインド、パキスタン、北朝鮮が核兵器を開発し、イランにも核開発疑惑がある。
世界の民主主義と安全は冷戦時代と別の形で脅かされ、それへの対応が先進国に求められている。
日本は91年の湾岸戦争で資金協力にとどめ、小切手外交という批判を浴びた。その後、イラク戦争で自衛隊が民生支援に加わり、カンボジアや東ティモールなどの平和構築に協力したが、欧米に比べ消極的だ。
情けは人のためならず。冷戦後は他国に好かれる力、ソフトパワーが自らの安全に重みを増した。特に中国が21年続けて国防費を増やし、北朝鮮の核の脅威が存在する今日、日本は米国との関係を保ちつつ国際貢献を通じ仲間を増やす必要がある。
国際貢献のお手本はカナダだ。スエズ戦争の際、ピアソン外相(後に首相)の提唱で発足したのが国連平和維持軍の前身である。近年では対人地雷禁止や、100人以上の犠牲者を出したアフガンでの平和活動などで各国から尊敬されている。
海上自衛隊のインド洋での給油活動は小泉政権下で始まった。鳩山政権はそれをやめ、代わりにアフガン支援に自衛官数人を派遣することを検討中という。43カ国が7万人強の兵員を送るなか、自衛官数人で中身のある貢献をできるのだろうか。
経済でも日本の変革力の弱さが目立つ。冷戦後に投資の安全性が増した旧共産圏や新興国に資本や技術が流入した。特に中国は「社会主義市場経済」を掲げるトウ小平氏の下で92年から改革開放を加速し、ドル表示の国内総生産(GDP)はこの20年間で11倍弱になった。今年か来年に日本を抜いて世界第2位になる。
市場経済への過信は米欧の金融機関を暴走させ、不況を招いた。このため市場経済やグローバル化を責める声がある。しかし米欧とも政府介入で経済の崩壊を免れ、中国、インドは高い成長を続ける。市場経済化とグローバル化は今後も続く。
日本はグローバル化に適応を進めた部門とそうでない部門に分かれている。自動車や電機などの業界は消費地や賃金の低い国で生産するなど流れに乗って次の展開に備えている。半面、農業や医療、教育、電力など規制に守られた内需型産業は生産性の伸びが低い。雇用の面では、賃金が低い中国などとの競争で単純な労働の賃金が下がり、所得格差の拡大にもつながっている。
内向きで経済改革滞る
グローバル競争を生き抜くには、市場を開放し規制を緩めて、内需型産業を含めた企業全体を内外の競争にさらすことが第一に重要だ。加えて教育・訓練や研究・開発に国も企業も力を入れ、日本人の事業機会と仕事を確保する必要がある。
この点で見習うべきは英国だ。今は銀行経営の失敗で不況に陥っているが、サッチャー政権以来、国営事業の民営化、規制緩和、行政・税制改革など、経済構造を市場経済に合うよう改造してきた。不況を克服すれば再び力強く成長するだろう。
日本も小泉内閣が構造改革に向かったが、郵政民営化の後退が示すように停滞している。それもあり名目GDPはバブル崩壊後の92年度から16年間で3%しか増えていない。
一方、欧州は93年に欧州連合(EU)を発足させ、99年からは単一通貨ユーロを導入。経済の統合を進め、地域としての力を増した。日本は東アジアでの経済連携を唱えるが、農産物市場を十分に開かないため相手国も関税を大幅に下げない。この地域では、独特の磁力を持つ中国が通商の中心になりつつある。
冷戦後、日本は小選挙区導入を経て政権交代を実現させた。だが政策をめぐる政治家の発想や行動は内向きで、冷戦時代とそれほど大きく変わっていない。これでよいのか。
東西冷戦の終結を象徴した1989年のベルリンの壁崩壊から9日で20年。米国とロシアはかつての米ソのような対立関係ではなくなったが、宗教や民族の違いを背景とする地域紛争は絶えない。北朝鮮など小国も核兵器の開発を進め、国家ではない組織や集団が大規模テロを繰り返すなど、世界の安全保障を揺るがす脅威の源は大きく変わった。
経済では、旧共産圏も含め一体となった市場を資本や技術が自由に動き回り、企業活動のグローバル化が進んだ。そこに中国、インドなどが参入し競争に拍車をかけている。
民主化促進に貢献を
この歴史的な変革期に、日本は外交、政治、経済など様々な分野で対応に手間取り、存在感を自ら弱めているように見える。
米政治経済学者F・フクヤマ氏は旧ソ連崩壊を受けた92年の著書「歴史の終わり」で、個人の自由を尊重するリベラルな民主主義が最終的な統治の形という見方を示した。その見方は正しいとしても、現実にはミャンマーで軍事政権が居座り、スーダンや中国のチベットなどで人権抑圧の問題が続く。またインド、パキスタン、北朝鮮が核兵器を開発し、イランにも核開発疑惑がある。
世界の民主主義と安全は冷戦時代と別の形で脅かされ、それへの対応が先進国に求められている。
日本は91年の湾岸戦争で資金協力にとどめ、小切手外交という批判を浴びた。その後、イラク戦争で自衛隊が民生支援に加わり、カンボジアや東ティモールなどの平和構築に協力したが、欧米に比べ消極的だ。
情けは人のためならず。冷戦後は他国に好かれる力、ソフトパワーが自らの安全に重みを増した。特に中国が21年続けて国防費を増やし、北朝鮮の核の脅威が存在する今日、日本は米国との関係を保ちつつ国際貢献を通じ仲間を増やす必要がある。
国際貢献のお手本はカナダだ。スエズ戦争の際、ピアソン外相(後に首相)の提唱で発足したのが国連平和維持軍の前身である。近年では対人地雷禁止や、100人以上の犠牲者を出したアフガンでの平和活動などで各国から尊敬されている。
海上自衛隊のインド洋での給油活動は小泉政権下で始まった。鳩山政権はそれをやめ、代わりにアフガン支援に自衛官数人を派遣することを検討中という。43カ国が7万人強の兵員を送るなか、自衛官数人で中身のある貢献をできるのだろうか。
経済でも日本の変革力の弱さが目立つ。冷戦後に投資の安全性が増した旧共産圏や新興国に資本や技術が流入した。特に中国は「社会主義市場経済」を掲げるトウ小平氏の下で92年から改革開放を加速し、ドル表示の国内総生産(GDP)はこの20年間で11倍弱になった。今年か来年に日本を抜いて世界第2位になる。
市場経済への過信は米欧の金融機関を暴走させ、不況を招いた。このため市場経済やグローバル化を責める声がある。しかし米欧とも政府介入で経済の崩壊を免れ、中国、インドは高い成長を続ける。市場経済化とグローバル化は今後も続く。
日本はグローバル化に適応を進めた部門とそうでない部門に分かれている。自動車や電機などの業界は消費地や賃金の低い国で生産するなど流れに乗って次の展開に備えている。半面、農業や医療、教育、電力など規制に守られた内需型産業は生産性の伸びが低い。雇用の面では、賃金が低い中国などとの競争で単純な労働の賃金が下がり、所得格差の拡大にもつながっている。
内向きで経済改革滞る
グローバル競争を生き抜くには、市場を開放し規制を緩めて、内需型産業を含めた企業全体を内外の競争にさらすことが第一に重要だ。加えて教育・訓練や研究・開発に国も企業も力を入れ、日本人の事業機会と仕事を確保する必要がある。
この点で見習うべきは英国だ。今は銀行経営の失敗で不況に陥っているが、サッチャー政権以来、国営事業の民営化、規制緩和、行政・税制改革など、経済構造を市場経済に合うよう改造してきた。不況を克服すれば再び力強く成長するだろう。
日本も小泉内閣が構造改革に向かったが、郵政民営化の後退が示すように停滞している。それもあり名目GDPはバブル崩壊後の92年度から16年間で3%しか増えていない。
一方、欧州は93年に欧州連合(EU)を発足させ、99年からは単一通貨ユーロを導入。経済の統合を進め、地域としての力を増した。日本は東アジアでの経済連携を唱えるが、農産物市場を十分に開かないため相手国も関税を大幅に下げない。この地域では、独特の磁力を持つ中国が通商の中心になりつつある。
冷戦後、日本は小選挙区導入を経て政権交代を実現させた。だが政策をめぐる政治家の発想や行動は内向きで、冷戦時代とそれほど大きく変わっていない。これでよいのか。