観世流シテ方・大槻文蔵さん “心”伝える魅力と責任 「能は特殊な芸能だが、自分を特殊と思ってはならぬ」

2015-04-22 | 本/演劇…など

産経WEST 2015.3.26 16:00更新
【亀岡典子の恋する伝芸】名人に聞く 能楽観世流シテ方・大槻文蔵(上)幻の能を上演、三老女を完演…“心”伝える魅力と責任
 大阪の能楽界の第一人者であり、日本を代表する能楽師のひとり、観世流シテ方の大槻文蔵(おおつき・ぶんぞう)さん。大槻能楽堂(大阪市中央区)の当主としても意欲的な自主公演を企画し、クオリティーの高い舞台を提供し続けている。現代に生きる能を探求する文蔵さんに、能の魅力などを聞いた。(上の巻)

        

 「能楽堂の運営は今の時代、大変ですが、多くの人に能を楽しんでいただきたい、その一心でやっています」と話す大槻文蔵さん=大阪市中央区の大槻能楽堂(恵守乾撮影)
■念願の「墨染櫻(すみぞめざくら)」上演
--先日、大槻能楽堂で復曲能「墨染桜」を上演されましたね。文蔵先生の長年の念願だったとか
文蔵 平成21(2009)年に喜多流の塩津哲生さんが復曲されたのを拝見して、大変趣(おもむき)のある、いい曲だなあと思っていました。ぜひ自分でもやってみたいと考えていましたのが、ようやく今年2月に実現しました。
--私も舞台を拝見しましたが、とても詩情のある美しい能で、先生にぴったりだと思いました。先生は若いころから、復曲や新作に携わることが多いですよね。困難な作業だと思うのですが、どうしてあえて取り組まれているのでしょうか。
文蔵 古典の曲というのは、生まれてから何百年も経って、さまざまな人の手を経て洗練され尽くしています。しかし復曲や新作は、詞章はもとより、節付(ふしづけ)や型付(かたづけ)など残っていないものは一から検討し、研究して作っていかねばならず、そういう作業をしていると、能の原初の姿が想像できたり、能の構造や作り方が明らかになってきたりします。復曲や新作は結果としてレパートリーを増やすことにつながりますが、能を研究する上でも大切なことだと思っています。
--そういう作業を重ねられて、能に対する思いや一曲に対する考えが変わってきたということはありますか
文蔵 だんだんと能の中身、能が伝えたいことが深くわかるようになりました。能というのは謡(うたい)があって、舞(まい)があって、型があってと、劇構造が何層にもなっています。しかし劇性、つまり物語性は弱い。その何層になっている奥に、思いとか心情とか、そういうものがあり、それこそが作者の語りたいことなんです。能の劇構造というのは、そういう思いを引っ張り出すために作者が主人公を設定しているというふうに考えられます。ですから、何が正解かわからない。それはご覧になる人がそれぞれ考えられることではないでしょうか。
■“三老女”完演に責任
--最近、勤められた曲で印象深い曲はなんでしょう
文蔵 「定家(ていか)」ですね。大変、やっかいな曲で、なかなか手に負えないところがあります。藤原定家の式子内親王に対する忍ぶ恋を描いた能ですが、定家の思いが植物の葛(かずら)となって、死んでもなお、愛する女性の墓にまといつくというところがおもしろい。しかも式子内親王は定家の執心に苦しみながらも内心では定家が去っていくのを望んでいるわけではない。つまり両方に愛の苦悩と喜びがある。何回か演じていくうちに、表現をどんどんしぼっていって、息のとり方、構えなどで見所(けんしょ=観客席)に伝える。そういうところが難しいけれども、やりがいのあるところですね。
--文蔵先生は、能の中では最奥(さいおう)の曲とされる“三老女”の「檜垣(ひがき)」「姨捨(おばすて)」「関寺小町(せきでらこまち)」を全部勤めています。能楽師は、生涯に一度勤められればいいといわれるほどの曲で、現在の観世流でも完演しているのは数人だけといわれています
文蔵 全部やれたことに、ほっとするというか…。でも、ただ、やればいいというものではない。こういう曲は特に、ちゃんとしたものをちゃんとやれないといけないわけで、そういう責任があると思っています。 =続く

2015.4.8 16:00更新
【亀岡典子の恋する伝芸】名人に聞く 能楽観世流シテ方・大槻文蔵(下)自分を特殊と思ってはならぬ-天才の教え、今も
 現代の能楽界を牽引するリーダーのひとり、観世流シテ方の大槻文蔵さん。自身の芸を深めるばかりか、大阪市内にある大槻能楽堂の当主として常に斬新な自主公演を企画、また、能の普及のため、今でも自ら学校を回って子供たちに能のおもしろさを見せている。そんな文蔵さんの能に対する考え方はどのようにして培われたのだろうか。青年時代を振り返っていただきながら、能の未来も語っていただいた。今回は下の巻。
■能は特殊な芸能だが…
--能の家に生まれ、能楽師になることは自然の成り行きだったのでしょうか
文蔵 まあ、やるよりしょうがなかったというのかな。そんな感じでした。子供のころから当たり前のように稽古をして、能面にも触ったりしていましたしね。
--それでも嫌ではなかった
文蔵 そうなんでしょうね。能は好きでしたからね。
--20代の頃、東京に行かれて、天才の呼び声が高かった観世流シテ方の観世寿夫(ひさお)さんの教えを受けられています。
文蔵 能の技術はもちろんですが、それよりも、能作りというのか、そういうものを教わったような気がしますね。
--今の一定の年齢以上の能楽師の方にお話をうかがうと、ほとんどの方が寿夫さんの影響を受けているとおっしゃいます。崇拝しているという感じを受けるんです。文蔵先生からご覧になって、どういうところが素晴しかったのでしょう
文蔵 一言で言いますと、舞台に鋼(はがね)のような力強い美しさがありましたね。それでいてしなやかなんです。寿夫さんの最期の能「通盛(みちもり)」のとき、ツレを勤めさせていただいたのですが、透明度に驚かされました。
--先生も憧れられた?
文蔵 もちろんです。それに大変大きな影響も受けました。いまでも寿夫さんがおっしゃった言葉で忘れられないのは、「能は特殊な芸能だが、能楽師は自分を特殊だと思ってはいけない」です。この言葉をつねに自分の心において行動しています。
■能と美術の共通点
--大槻能楽堂では、毎年、年間を通して画期的なシリーズ公演を行っています。一昨年から昨年にかけて、世阿弥生誕650年を記念して企画された「老(おい)の美と悴(やつれ)」と題された公演です。通常、能の最奥の曲とされる老女物の大曲5番を現代の最高の能楽師で上演されましたが、これが毎回超満員でした。決してわかりやすい能でも、ドラマチックな能でもないのに、どうしてこんなにお客さまを引き寄せられたのでしょう文蔵 うれしかったですね。こういう企画が当たるというのは本当にうれしい。あれは、冒険ではありましたが、いまなら演者も揃っているし、「やれる」と思ったのです。
--文蔵先生も、昨年3月に「鸚鵡小町(おうむこまち)」を勤められました
文蔵 この曲は祖父(大槻十三)も父(大槻秀夫)もしていませんので、どうしていいかわからなかったのですが、やってみると非常におもしろかった。それで、この3月に東京でもう一度勤めました。
--こういう老女物の大曲は鑑賞する方も、なんというか、覚悟して見ることになります。正直、30代で老女物を見たときは、おもしろさがわかりませんでした。でも、年齢を重ねるにつれて次第にひかれるようになりました。老いや死が少しずつ身近に感じられるようになったからかもしれません。
文蔵 能というのは、絵画などとどこか共通点があるように思うのですよ。私はモネの「睡蓮(すいれん)」が大好きですが、能も美術も目に見える喜びの奥にもっと深い、別の世界があるように思うんです。ですから、見る方も演じる方も、自分の人生経験や(能の)技術の進歩でどんどん深く感じられるんですね。能楽師は、そういう意味で作家や画家と同じかもしれません。いろんな芸術に触れ、人生経験を積んで、さまざまなものが見えてくるんです。
--文蔵先生は一昨年、芸養子として赤松裕一さんを迎えました。いま、彼は「大槻裕一」として先生のもとで修業しているわけですけれども、どういうふうに育っていけばいいと思われますか
文蔵 まずは徹底的に技術を習得することです。能は何よりもまず技術です。10代はそういう時期ですね。幸い、裕一は能が好きで、それが一番大切なのですが、好きなことばかりしていてはだめで、苦手なことにも立ち向かっていってほしい。そして同世代の能楽師と塊(かたまり)となって能の未来を作り上げていってほしいと期待しています。

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名古屋能楽堂 3月定例公演 2015.3.7 狂言「柑子」 シテ 野村又三郎 / 能「定家」 シテ 久田三津子 

     

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